僕の経歴






・ 1975年5月9日誕生。とても可愛い赤ちゃんとして生まれた。賢い幼年期。今でも幼稚園の先生が僕の天才の兆候としての特異ぶりを覚えている。しかし天才特有の変質的な所は一切なく、素朴な(今もそうだ) 秀才であった。ミッション系の幼稚園、何故なら家はクリスチャン家庭。先生や母の日記が残っている、僕は素直な魂を持つ子供であった。動物を慈しむ心。食事や就寝の際のお祈りは毎日欠かさず。


・ 地元の公立小学校入学。小学生の時は当然学年トップの成績。(少年期IQ124) 算数が得意。習い事は公文(算数) とピアノ。小学校卒業まで続ける。孤独がちで、繊細で内向的な、宗教的に深く素質付けられた少年期。対立の始まり。深い孤独。精神病院に閉じ込められるイメージ。子供の頃から母の膝枕で耳垢を取ってもらったり、妹に足の裏をくすぐられるのが好き。ボーっと気持ちいい。弱小サッカークラブの右ウイング、足の速さを活かして中々の上手さ。子供の頃から足は速かった。市の大会で優勝したこともある。


・ 中学は県外のミッション系私立校に試験入学。主席入学。(その後不勉強の為急落) 背丈が低かったこともあって下郎の迫害あり。自由な校風を自称するには保守的。孤立する僕は、1番のキリスト教徒。一年生から1年間サッカー部、無茶苦茶苦しい地獄の練習。
  中高一貫によりそのまま高等部に入学。高一の時親友と出会う。理念は無いがセンスのいい奴、福田力。(中央大学卒、商学部) 1年間陸上部に在籍。夢が欲しかった。12歳の時から毎日神様に夢を与えてくれと祈っていた。その頃流行っていたホーキングに触発されて宇宙論に注目。哲学などという言葉さえ知らなかったので物理学者になろうと思った。しかし一年では物理の授業はなく、まず数学をやることにした。早退遅刻までして毎日図書館や自宅で6、10時間勉強。「精神病院に閉じ込められても頑張り続けるぞ。」 だけどやっぱり天職じゃなかった。結局1年も長続きせず挫折した。高校も一年で中退。高一の時受洗。


・ 1992年4月25日、尾崎豊死去。報道を見てファンになる。代々木オリンピックプールの十代のライブを見て感激する。その後も盛んに見続ける。
  夏期に熊本に帰郷。母の実家へ。テレビ購入のために農業のアルバイトを一ヶ月間。帰ってからアイス工場で一週間だけ働く。
  1993年の1月、念願のテレビ購入。29型キララバッソ。バブリーステイタスを目指す。
  3月初恋。同い年の女の子。電話で話して初恋。登校拒否同士ということで牧師の紹介。同じ頃虚無感に襲われる。朝生の不毛な議論を見た後。徹夜の自動書記。人生の虚しさ。そこからの救いを愛に。愛こそ全て。ジョン.レノン。4月15日、尾崎豊「誰かのクラクション」でピーク現象。
  5月より急にピアノを再開する。音が体中全身に響く。ベートーベンの初期ソナチネでも感動した。
  7月に通販でエレキギターを購入。練習開始。自分にロックが出来るのかどうか不安に駆られながらも頑張る。短期間で全コード習得。(運指と理論)
  1994年の1月。塚越に出会う。市井に隠れ住む間違えた人間。全共闘の生き残り。精神的に押さえ付けられる。冬の、雪解けの中の憔悴。(良く聞いた曲はOh My Little GirlとRedio HeadとJohn Lennon)何とか切り抜けた。下郎との言葉の戦争の始まり。後に謝罪さす。またこの頃からアングラビデオにはまる。食人族、デスファイル、悪魔のいけにえ、ミッドナイトエクスプレス、キャリーや、SMもの、殺人もの、死体ものなど(カリギュラやナチスもの)。
  4月に高校の通信部に入学。殆ど勉強せずに退学する。真夏の地獄。火山の上に住んでいるような不安。「O街中を睨み歩く張り詰めた心で 誰も知らぬ重みに挑み耐える 勝つ事だけが正しいから 戦い続けるだけさ  O真実を射抜き見れば何もかも醜く 己貫き生きれば嘲られる 全ては力の争いさ 逃げ場無く神を目指すだけ」(孤独のランナーより) その頃からニーチェを読む。「権力への意志」に熱中。愛の論理全てが反駁されてゆく。 例の女の子に初めて会う。全然想像と違う。きつい、嗜虐傾向のある女。そうさ、僕は現実の女なんて愛せないんだ。想像の方がまだまし。僕は愛を捧げたが彼女はサディズム全開で振る舞う。学校の帰り、置いてけぼりにされた僕は彼女を惨めに追う。追いついて「ごめんねー、迷子にしちゃって。」 彼女の家に呼ばれた時、半ズボンで僕の前に座り、股を閉じたり開いたり。性器を見せびらかすように。内向的で性的に奥手な僕をからかうように。しばらくして告白。振られる。愛を捨てる。振られたからじゃなくて、愛なんてあるわけないじゃん。
 7月より発声練習。ピアノに合わせて練習する。


・ 1994年9月、悪魔に変化。ジョギングを始める。英雄主義。ここから新しい世界が始まる。恐怖の、戦慄の世界。その世界を知る者は「ブルータスは偉大だった!」(アントニー)と叫ぶ必要を感じるだろう。シェイクスピアのジュリアスシーザーか。なんて悲劇作品だ。観客席まで舞台にしやがる。観客まで出演者になっている。僕は男だ。葉隠などを読みながら毎日厳しく努力する、運動と音楽と。右翼に一瞬寄れながらもすぐ間違いに気付く。「タクシードライバー」でますます頑張る。「こんなに凄い世界が隠されていたんだ。」 僕は神々だ。深夜や早朝、ジョギングをしながら喜びに踊る。肉体の神化。
  12月、教会のクリスマスパーティーで初ライブ。「Oh My Little Girl」と「炎の柱」。
  1995年4月、10代最後の月にマーヴィンゲイに出会う。強力なブラックミュージックだ。これぞダンスミュージック。ゴスペル&ジャズ。


・ 1995年5月、20歳。エレキを購入。これより少し先から精神科受診を親に勧められる。行っておけば良かった。でも行かずにいたからこそ強制入院させられそこでいい出会いもあったのだけれど。6月より正伝空手道始める。戦慄の孤独を多く体験する。通い道に通る夜の田園が素敵。夏はいいが冬は風が最悪(からっ風)。毎日か一日置きに2、3、4時間練習。意識が朦朧とするまで。
 10月頃ジミに会う。空手の練習後、混沌の狂騒状態を味わう。この後は度々死ぬ。
 12月9日、空手の審査会三級合格、茶帯に。しかし本当なら一級だったのに。12月15日、禊祓えを作詞後精神病院の往診隊が来る。(医者2人、看護士5人、看護婦1人。) 1、2時間の激しい口論の末、結局強制入院。ワゴン車で病院まで。閉鎖病棟に医療保護入院。


・ 1996年3月6日、退院。この間たくさんの仲間と出会う。青柳さん、森さん、3階で挨拶だけした太めの女の人、江原さん、森久保さん。5,6月、駅前の精神科クリニックで健康美の神々しさ、手洗いの鏡にて。
  6月に病院チェンジ。この頃作曲「地獄の世界」、サビは口ずさんで出来た。空手の市大会、十三の型優勝。7月に空手審査会初段合格。黒帯に。(しかし一回もこれを締めて稽古した事はない。) そのまま退会。理由は「疲れる、民主主義法律があって使えない、(威圧効果になるといっても、結局殴れないという事を察知し舐める奴もいる。) 怪我が怖い(手と脳震盪)、馬鹿ばかりで道場に行くと神経疲れる、僕は精神の戦士。」
 ストレッチを始める。毎日3,4時間。
 以後年末まで薄明の美少年になりゆく。それと失恋以来始まっていたマゾヒズム欲情の増大。


・ 1997年5月、22歳。同性愛デビュー。初めての新宿、行き道の迷いもありパニック。ホモバーや飲み会サークル。(越谷にて、嫉妬される。) 8月、お台場へ、魂の勝利は詰まらない。期待外れ。西垣の復讐、尾崎過敏症(影響を未だ受け続けていながら背伸びして、乗り越えた風を衒う。理解もせずに乗り越えた。自分の過去を人に当てはめる、格好つけの猿真似を。影響を今でも受けている証拠に「孤独」「寂しい」「真実」(真理と言えばいいのね)「愛」「永遠」と言うと、「尾崎?」「尾崎みてえ、まだ尾崎聞いてるのか?(馬鹿にする様に) へーっ、青臭え!」と言う。言葉に敏感に反応する。解りやすい奴だ。カス超人。ショック。他は何もないまま年が暮れる。夜の散歩をしながら作曲「夢のお散歩 夜の街で」。


・ 1998年4月からワープロでニフティサーブ開始。5月23歳。6月に鹿児島旅行、帰りに熊本、京都。12月に前に入院した精神病院への深夜のせつない散歩。暮れからパソコン買ってインターネット。


・ 1999年1月から太極拳、4月でやめる。5月、24歳。7月から薬丸自顕流の稽古。(本格的には9月から)

・ 後は日記見てください。





                                                      by ひかる  2000/1/7