読書記録


ヴォルテール バビロンの王女  

 アマザンの完璧にして優美でやさしく善良な人間ぶりにヴォルテールの人間の善良さへの信頼が見て取れた。楽しく読めた。無敵のアマザン。(2007/9/17)


ヴォルテール アマベッドの手紙

 インドの文化、宗教に比べてのキリスト教徒、欧州の野蛮さが描かれている。ファテュットや、ファモルトなどのキリスト教徒の僧侶の汚らさしさ、野蛮さ、卑しさが描かれていた。前半はキリスト教の下らなさを訴えていたが、後半はローマの偉大さ、その法王や文化の良さを謳っていた。最後はなにかあっけなく変な終わり方だった。しかしキリスト教の欺瞞を表していたのには僕も同意し、結構楽しむことができた。(2007/9/18)


ヴォルテール 哲学書簡

・ 書簡一、クェーカー派について---クェーカー派はあまり礼儀に気を使わない。キリスト教の洗礼感など、儀式への考え方が普通と違う。彼らは相手を失礼にも「お前」と呼ぶが、それには理由がある。まず皇帝アウグストは貴殿や主と呼ばれることさえ許さず「お前」と呼ばせた。それにうそ臭い謙譲が嫌いで、巧言令色ごっこに対しても対立を保っている。何人に対しても頭さえ下げない。
 神の宿るべき心を汚さぬよう芝居や勝負事も避ける。裁判のときにさえ神に誓わない。神が人間事のために汚されぬようにである。
 戦争で勝利するとロンドン中がお祭り騒ぎだが彼らは残忍な殺人行為に嘆息している。

・ 書簡二、クェーカー派について---クェーカー派には司祭というものがない。直接の啓示なしにはキリスト教はあり得ないとされている。礼拝のようなものでは誰かが急に何かに憑かれたように霊感を受けて話しているのを聞いている。光を与え給えと神に祈り、己の感得するままに真理を告知すれば、それは神に霊感を受けていると考えてよろしいとされている。

・ 書簡三、クェーカー派について---クェーカーはイエスに始まり、イエス自身が最初のクェーカーである。絹織職の息子、ジョージフォックスが真の使徒として全身皮ずくめで宗教活動を始めた。彼は教会を攻撃していたのですぐに投獄された。そこでは彼は片方の頬を打たれたら、もう片方もと、熱心なキリスト教徒として振舞った。精神病院に送られ鞭打たれたが、これは心の鍛錬にいい、もっと打ってくれ、と言い、処刑者に呆気に取られていた。たくさん打たれて心から礼をいい、そして説教し始めた。鞭打った人の何人かは弟子になった。これが彼の最初の弟子である。彼は田舎を放浪し性懲りもなく聖職者攻撃をしていたので、ついに絞首刑台に。しかしその時見物人に対して説教し多くがその時帰依してしまったので、彼らに処刑台から救われ、そういう目に合わせた牧師をみなが処刑台につけ曝し首にしてしまった。フォックス達は迫害されたが、宗教に慣例のように、迫害されればされるほど彼らの心は堅固になっていった。獄吏たちまで改宗させてしまっていた。フォックスは霊感を受けたときの身振りを習得しそれを使った。クェーカーとは「身をふるわせる者」のことである。クロムウェルは彼らを仲間に引き入れようとしたが、彼らはとんどきかなかった。クロムウェルは金で落とせなかった唯一の連中だと後に述懐している。スコットランド人、ロバートバークレイは1675年王チャールズ2世に手紙を出しその最後に「お前も色々苦労してきたのだから圧制の悪さはわかっているだろう。それなのに反省しないなら神にひどい罰を食らう。お前の良心に従え」と書き、そのせいで迫害はやんだ。

・ 書簡四、クェーカー派について---ウィリアムペンは15歳の時クェーカーの一人に出会い、改宗した。彼の父親は彼が礼儀正しくなく、お前ともいうので(王に対しても)勘当されてしまった。しかしペンはその苦難を与えてくれた神に感謝した。ペンは莫大な資産を継いだが、王の借金が多かったので、金の代わりアメリカのペンシルバニアの領地を与えた。彼は法律を作った。宗教に関しての争いはせず、神々を信ずるものは全て兄弟と思えと。プロテスタントは彼を憎悪していた。クェーカーの権利は法律上も認められるようになっていった。クェーカーはどんどん衰えている。彼らは宣誓をすることをしなかったので(出世には宣誓することが大事だった。それでは国会議員にも公職にも就けなかった)商売ばかりやっていった。しかしそれで金持ちになった者の息子は、時流にのってプロテスタントになっていくという感じだ。

・ 書簡五、イギリス国教について---イギリスではアングリカンチャーチ(監督派宗派)でないと出世できない。フランスでは若者が聖職者になり放蕩三昧をするが、イギリスではもっとしっかりしているようだ。野心のなくなる老いた年頃になって上に立てるからだ。年功序列なので若者は下で年寄りが上に立つ。軍隊と同じらしい。

・ 書簡六、長老派について---スコットランドを支配する宗教は長老派である。カルヴァン主義と同じらしい。クロムウェルがチャールズ2世に対し戦いを挑んだとき長老派は王に味方した。しかし彼らは王に日に四回の説教を聴かせ、遊びを禁じ、苦行を課した。彼らは重々しく苦虫をj噛み潰したような顔つきで鼻声で説教するらしい。年収は5万リーヴルと高額らしい。カトリックより厳しく、日曜には何もしないように厳格に禁じられている。
 ロンドン取引所では、長老派もクェーカーもユダヤ教徒もキリスト教徒も、マホメット教徒も共存している。イギリスにはたくさんの宗教があるのでみんな仲良くしている。一つしかなかったら専横するだろうし、二つなら争いあったろう。たくさんあるのが良かった。 (2007/9/21)

・ 書簡七、ソキニウス派、またはアリウス派、または反三位一体派について---イギリスには、聖職者と若干の非常に物知りの信徒からなる小宗派があり、彼らは三位一体を認めず、父は子よりも偉大なりと謳っている。昔は大人物になれたものだが、ヴォルテールの時代では、昔なら偉人になれたものがもう大した影響力のある人物にはなれないのだ。

・ 書簡八、議会について---イギリスは自由を尊ぶ。ローマのようにはできず、変な宗教の争いはあったにせよ、イギリス政治の美点は自由を重んじることだ。ヴォルテールはその点でフランスよりも優れているといっている。

・ 書簡九、政治について---イギリスはしばらくローマ、サクソン人、デーン人、フランス人の奴隷だった。幾つかのことで厳しく生活を管理していた。イギリスに議会をもたらしたのはバルチック海沿岸からヨーロッパに流れてきた蛮族によるものである。イギリスの農民はいわば農奴で奴隷のような扱いだった。しかし懸命な労働で資産を増やし、土地を自分のものにしていった。だから貴族たちは称号をもらっても(土地の名前に関係があるのか)実際はその土地の所有権を持っていなかった。イギリスでは下院が力を持っていた。上院はそれを通すか却下するだけで法律を修正する権利を持っていなかった。イギリスでは称号より所得により税額が決まる。その土地の収入が増えても税額はあまり変わらなかった。この国ではせっせと働く裕福な農民がたくさんいる。

・ 書簡十、商業について---イギリスは商業によって栄えた。彼の故郷フランスを指して、貴族などは下らないことしかやらないが、商人たちは貴族などにいつも蔑まれているが、実は世界全体に、人々に喜びを与えているのである。
 あとがきを読んでみたのだが、この哲学書簡は上手くカモフラージュされ、思想警察の手を逃れた革命的時限爆弾であり、体制によって禁書になり、逮捕状まで出た、ヨーロッパ中に広まったこの書によって啓蒙運動が始まったらしい。

・ 書簡十一、種痘について---イギリス人は賢明で、疱瘡に対して幼少期に種痘をする。一度かかれば二度とかからないし、幼少期なら大人になって疱瘡にかかってしまったときのように死に至らない。チェルケス人は貧乏で娘は美しいので子供を性愛の道具として売り飛ばすために種痘を幼い頃にする。子供の頃に軽い疱瘡にかからせれば、命もそれで落とすことは二度とないし、容貌も衰えない。ヴォルテールの頃は世界で十人に一人は疱瘡で死んでしまったらしい。シナのほうでも鼻から吸わせる形で種痘をしていた。イギリスが進んでいるからといってそんなに優れている人ばかりなわけではない。まずは僧侶が反対し、その後種痘が行われるようになった。偏見が最初で理性が後から出てくる。これは世の常であるらしい。

・ 書簡十二、大法官ベイコンについて---ベイコンは新しい哲学を創始した真の偉人である。彼はニュートンより早く引力の説を言っていた。彼は国庫の金を盗んだ。大犯罪者である。ニーチェはベーコンはシェイクスピアだと言っている。恐ろしい行為こそ幻想の力を持たせるのだ。ニーチェ曰く、我々はベーコンが体験したことをまだ十分に知っていない、と。とてつもない偉大な人間だと訝っている。

・ 書簡十三、ロック氏について---ヴォルテールはロックを褒めちぎっているが、イギリス経験論なんて馬鹿馬鹿しいだろう。帰納法は宗教的演繹よりはましだが、大抵の場合、善の精神から演繹されている。それを含んでいる。変な神学者をやっつけるのにはいいが。人間は白紙で産まれるとは大体そうだが、血によってその知識のつけられ方、精神の方向性などは決められている。運もあるが。遺伝なんていい加減だからだ。変な神学をやっつけるのには演繹より経験(帰納)を重んじるのはいい。精神は物質であるとは思う。しかし変に宗教じみた意味ではなく、もっと神聖なものだと思う。科学では絶対に捉えられない。それは脳科学が進めば進むほど明らかになっていくだろう。
 ヴォルテールのこの時代では宗教に比べ哲学ははるかに無害だ。
 哲学者は大衆のために書くことはないので熱狂を呼び起こさない。それにしても現代から見ればヴォルテールは信心屋だ。理神論者だもんな。

・ 書簡十四、デカルトとニュートンについて---デカルトの大したことのなさ、そして不遇さとニュートンの偉大さ、そして幸福な恵まれた人生であったことを述べている。コギトはニーチェのアートマン否定から見れば下らないが、まあ正しいだろう。しかしそこから神を認めるのはおかしい。しかし神の証明は噴飯ものだ。機械論も馬鹿げている。神によって予定されているという目的論とは両方ともあほらしいが、(神が決めるか科学法則に則るかだが、両方とも法則的だ、世界は偶然である)。唯物論であることもあほらしい。機械論はデモクリトスが最初のようだ。デカルトになって本格的になったのか。ニュートンはイギリスという自由な国土に生まれたことだけでなく、理性の時代だからこそ社会的にも成功した。

・ 書簡十五、引力体系について---デカルトの渦動説に対してニュートンは引力説を立てた。難しい科学の章だが、引力というのは解釈すれば何だろう。物質も勝ちたいのか。

・ 書簡十六、ニュートン氏の光学について---ニュートンの光学賛美。反射望遠鏡はニュートンが発明したらしい。

・ 書簡十七、無限について、および年代学について---僕は科学が苦手なので難解だが、ヴォルテールの言うところによるととにかくニュートンは凄いと。そして今までの年代記より世界はもっと新しいようだ。(少なくともその当時の認識としてはより正しいらしい)

・ 書簡十八、悲劇について---野性的な大天才シェイクスピアについて書いている。彼の悲劇は最高級だが、形式としては野蛮だ。これからもイギリス悲劇は自然的に、あまり形式熱なくやったほうが良いといっている。

・ 書簡十九、喜劇について---イギリスとフランスの喜劇の違いについて書いている。イギリス人はフランスの喜劇作家モリエールに影響を受けているが全然違う風に作り変えた。イギリスの芝居はモリエールと違って筋や、やま、がある。イギリスのはぐんぐん人を引っ張って行くものがある。

・ 書簡二十、文芸をたしなむ貴顕たちについて---フランスではかつて国家の要人達が文芸をたしなむ時代があった。今はそうではないらしい。イギリス人は一般に物をよく考えており、文芸もフランスに比べてたしなまれている。しかしよヴォルテール。イギリス人の浅はかさ、経験論という所詮は演繹の入り混じった道徳哲学、そして文字通りではない自然主義。イギリス人は馬鹿だろう。ヴォルテールの時代は良かったのかな。

・ 書簡二十一、ロチェスター伯とウォラー氏について---詩について色々書いてある。僕の詩は駄目なのか、良いのか。絶望的な賭けとも言える。

・ 書簡二十二、ポープ氏ならびにその他二、三の有名な詩人について---ポープは優れた詩人でしかも翻訳しやすい。イギリスの産んだ最も優れた詩人の一人らしい。耳障りがよく、トランペットの鋭い軋るような音はフルートのような柔らかい音に変えた。イギリス人はまだ歴史が書けない。飾り気のない雄弁調や堂々としてしかも淡々たる態度に書けている。イギリス人は我がフランス人から大きな恩恵を受けてきた。今度は我々フランス人がイギリスから学ぶことである。

・ 書簡二十三、文筆家に払われる尊敬について---フランスほど学芸に理解のある国はない。フランスの優れている芝居というものをイタリア人やイギリス人は攻撃するが、やめてほしいものだ。

・ 書簡二十四、アカデミーについて---イギリスに比べフランスのアカデミーはどうしようもない。
 コルネイユは初期の作品はいいのに、それ以降は文体がぞんざいだ。2、3のおそらくは有名になった作品に文法の間違いがあれば、その国語は駄目になってしまう。

・ 書簡二十五、パスカル氏の『パンセ』について---痛快で圧倒的なヴォルテールのパスカルへの攻撃。彼の数学の才能は疑わないが、この宗教思想とでも呼べるパンセについては徹底的に批判的だ。しかし時にずれが出て強引なところもある。あと何かいじめっ子みたいに調子に乗るところがある。しかしヴォルテールの勝ちだ。

・ 付録 パスカル評注のつづき---相変わらず滅多打ち。神の偉大さ、人間の卑小さ。パスカルの詭弁をよく指し示している。

・ 付録一七三八年五月十日---ひどく阿呆らしいパンセ未収録の文章。僕でも馬鹿にできるアホなパスカルの文だった。

(2007/10/14完筆)


ヴォルテール カンディード

1ウェストフィリアの城で姫と仲良くキス。
2城を追い出されブルガリア軍人に鞭打ちされる。親切な人(医者)が介抱してくれて面倒を見てくれる。
3乞食のようなパングロスとの再会。
4パングロスとの会話 親切な好人物ジャック。
5船で嵐。
6パングロス絞首刑 鞭打ち老婆の介抱。
7老婆がキュネゴンドと再会させてくれる。
8キュネゴンド本人の悲劇の話。
9キュネゴンドを辱めていた奴(ユダヤ人)をカンディードが殺す。
10老婆の策略で上手く殺人罪から逃げる。
11老婆は最高の身分その悲劇的人生の語り。
12その続き。
13カンディード追われてつかまりそうになったので一人逃げる。
14有能な従者カカンボ連れる。キュネゴンドの兄と再会。
15キュネゴンドの兄に殺されそうになったので兄を殺す。
16猿を殺したら猿は恋人だったので大耳族に殺されそうになる。ジェズュイットでないと聞いて助けられる。
17皮で船に乗ってカイエンヌへ。
18エルドラドー。素朴で善良で金やダイヤモンドを石ころの価値にしか感じない。善良だからというより価値観の相違。
19エルドラドーの王様に宝物(彼らにすれば石ころ)をもってヨーロッパに向かうが宝を盗まれる。マルチンという老学者に出会う。
20マルチンと船中語り合う。海戦を見る。自分達の羊(赤い羊)が一匹助かって泳いでくる。うれしい。
21ひどい街パリ。逃げるように去る。
22卑しいペリゴル出の坊主にあう。美人に誘惑され指輪をあげてしまう。ダイヤ。ペリゴル野朗の策略の手紙をカンディード読む。そして警察に捕まる。しかし金品で逃げることができた。
23イギリスもひどい国だぞ。フランスとまた違う風に、とマルチンに言われる。だからイギリスを避けてさっさとキュネゴンドがいるというヴェネツィアへ。
24昔の知り合いのパケットに出会う。娼婦で不幸。坊さん(ジロフレー)と抱き合っていて、あれだけは幸福だろうとカンディード賭けるが、またマルチンが勝つ。僧侶もろくな生活じゃないし、パケットも娼婦で不幸だった。
25マルチンが全員不幸だという。それならば幸せという噂のあるポコクラントの家に行く。多くを所有するがどれも楽しんでいない。ヴォルテール本人の見解なのか、ポコクラントをして古典なんて役に立たないと言わしめている。実際の今、現実的(決して良い意味でないところの)に活用できるものだけを読めばいいと。美術も細密画以外は下らんと。
26カカンボと再会。皇帝アクメットの従僕をしていたキュネゴンドはコンスタンチノーブルにいるそう。何人もの元王が王位を追われてヴェネツィアの謝肉祭に遊びに来ていた。
27キュネゴンドは落ちぶれた王の皿洗いをし、醜い姿になってしまったとカカンボに言われる。カカンボを買いなおしてキュネゴンド探しにガレー船へ乗り換える。ガレー船の漕ぎ手に漕ぎ方がへたくそでしょっちゅう鞭打たれている2人に同情からカンディードは目を留める。二人は哲学者パングロスと、先に殺したはずのキュネゴンドの兄であった。船長に金を払い二人を解放し、別のガレー船へと乗り移りキュネゴンドを助けに向かった。トルコにいるらしい。
28キュネゴンドの兄は坊さんだったが、カンディードが殺したはずだが生きていた。回教徒と一緒にキリスト教の自分が裸で海で水浴びをしていたのが、まさか罪になり、足の裏を百回鞭で打たれ、ガレー船奴隷になった。パングロスは火刑の時ちょうど雨が降ってきて中止になったらしい。代わりに絞首刑に。しかし上手く縄で絞められてなく助かった。外科医が解剖しているところ生き返り、びっくりされ、しかし慈悲をこい、夫婦に良くして貰った。やがてマルタの騎士になるが給料がもらえないのでやめヴェネツィアの商人に仕える身になり、ある日回教の寺に行った時、坊さんと美女の信徒がいて、その女が持っていた花を拾ってやったら、上手く拾い渡せなかったので、坊さんに訴えられ、足の裏を百回板で打たれガレー船送り。たまたま二人両隣の席になった。しかしパングロスはそれでも予定調和を信じ万事良くなるものと思っている。
29カンディード、パングロス、カカンボ、マルチン、若殿(キュネゴンドの兄)と色々人生について論じ合う。船がトランシルヴァニアの君主の家に近づくとカンディードの目に最初に留まったのは、老婆と醜くなったキュネゴンド。カンディードは醜い彼女にぞっとして、引くが、態度を改め抱擁する。老婆はみんなでこの近所の農園に住もうと勧める。カンディードはキュネゴンドと結婚しようとするが、兄に反対される。カンディード怒る。お前を救ってやり、醜くなった彼女と結婚してやるのに反対とは何事か、と。しかし兄はカンディードに殺すといわれても、なら殺せ、俺は絶対認めない。ドイツの領主じゃなければ結婚させないと言う。30章にでてくるのだが、この兄はガレー船送りにして、ローマの大神父に送り返される。ドイツの殿様である彼の高慢の鼻をへし折って楽しんだ。
30この章にヴォルテールの言いたかったこと全てが見事に集約されている。マルチンに言わせるところ、「人間は不安の痙攣のなかか、倦怠の深い睡りの中で生きるために生まれてきた」。パングロスに言わせるところ「人間がエデンの園におかれたのは働いてこれを耕さんがためであった。人間は休息のために生まれてきたのではない」。マルチンはまた言う。「理屈抜きで働きましょう。人生を耐え得るものにする途はただこれ一つです」。パングロスはこの物語の最初からのことはみな続いていて、それがあって今我々はここにいられる。そういうことだ、と。最後のカンディードは言う「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さなければなりません」。


香り高く、面白く、ヴォルテールらしい軽妙さや独特の感覚ある小説だった。人生何が起こるかわからない。みな不幸だ。しかしとにかく働くことが第一だ。これのみが人生の救いだ、と。最後の30章はとりわけ心に響いた。楽しい、そして最後は特に心動かされる話だった。


中上健次 十九歳の地図

 珍しく現代小説を読んだ。時代が近いからかすごく読みやすかった。一気に読んでしまった。すごく読みやすかった。内容は特に深みは感じないがなんだか面白くて解りやすくて良かった。深みはあまりないと思った。女、高山が電話でないたり、最後に主人公が泣いたりする様子は何も共感するところはなかった。しかし現代の小説は面白いなもっと読んでみよう。


中上健次 蛇淫

 十九歳の地図とどこか似ていた。しかしこの人の作品は本当に読みやすい。あまり深さは感じない。


谷崎潤一郎 痴人の愛

1活動映画を一緒に見るナオミ。
2彼女の実家に彼女をもらいにいく。彼女の実家ナオミについて適当。
3御伽噺の家を買う。
4鎌倉にいく。電車で他の品ある女に比べて劣って見えるナオミ。それから洋服をじゃんじゃん買う。
5体洗ってやる。ナオミは自分綺麗かしらと。
6英語出来ない。譲治怒る。わざとひどく。じゃないと関係性からして優しくしているので効果ない。
7ナオミの精神より体を愛す譲治。ナオミはトランプなどの遊びに買って自信満々。英語だって余裕だって。勝ち気になる。ただ譲治も負け癖がついて本当に負けてしまうようになる。わざと負けてるとそういう風に癖がつく。
8ダンスを始める。譲治も行ってみる。外人、ロシア人の夫人が教えている。いざ譲治がロシアの婦人と踊ると緊張しっぱなし。
9ロシア夫人とのダンスは光栄だった。ナオミ食費使いすぎ豪華に食べすぎ。
10ダンスパーティー決行。
11譲治と踊ってくれるナオミ
12遅いから大森の御伽噺の家に泊まってゆけよ、とナオミ。つられて譲治もそういう。まあちゃん(熊谷)と浜ちゃん。
13会社の同僚にナオミとの関係を知られる。そして不倫の関係を指摘される。譲治は会社から大森の家に戻るまで不安でどうしよう本当かしら。そしたらナオミになんと言えばいいのだろう。散々悩む。しかし家に帰るとナオミは無垢な表情でただ寝ていた。
14なおみ、これからは疑われないようにと。そして鎌倉へ泊まりに行く。海でで熊谷(まあちゃん)、浜田、他男子二人と遭遇。
15熊谷、浜田、関、中村などがご飯を食べにきていたがすぐ来なくなる。ある日河合譲治が会社を早めに帰ってくるとナオミがいない。母屋の人に聞くとでかけたという。おいかける。彼女(母屋)によるといつもでかけているらしい。ナオミみつけるが、泥酔していて、浜田、熊谷と一緒。なんだこのやろう淫売、俺の前で酒なんか飲んだことないくせにという。
16鎌倉の家は杉崎先生の関係のものではなく、熊谷の親戚のものだった。おかみさんにきくと会社に行っている間しょっちゅう男達が遊びに来ていると。彼女に問いただすとふりんめいたことはしていないって。何か書庫はないかと大森の家に帰ってみると浜田が。合鍵をもらっているという。自分も彼女が好きで結婚したいという。彼女には譲治さんとは夫婦ではなかったといわれたと。また熊谷と一番仲がいいと。小娘にしてやられてわけだ。浜田も可哀相な目に当ていたのだ。
17浜田に遊びにこいというが、失恋でつらいので会いたくないと。不倫をナオミにやわらかく責める。彼女はわかったもうしないと。
18自分が丹精こめて育てたナオミは二人の男に汚された。探偵のようにナオミの日常を探る。ナオミにはそれはばれている。もうナオミの体しか愛していない。しかしナオミの体は素晴らしい。肉体。情愛。性愛。
19家が悪いんだ。もっとちゃんとした住居を。じゃないとすさむ。色々家具や住宅を物色する。そして探偵行動は続ける。ナオミの熊谷とあっているのを目撃。出て行けと怒鳴る。彼女はあっさりと「どうもお世話になりました」と。
20彼女がいなくなってほっとするが、すぐに後悔する。特にこちらが怒ったときのあの美しい顔、そしていつもの素晴らしい肉体。もう彼女がいないと我慢ならない。土下座してでも降伏してでもマゾでも何でも彼女に降伏しよう。彼女を背中に乗せてハイハイドウドウしたいし、一人でしてみたりする。ナオミを求めて実家にいってみるがいない。
21ナオミの姉に居所聞きに行くが知らない。もう時とともにナオミとの縁が遠くなっていく気がして、大変。急に信心が出て観音様にお参りしたりして。浜田に電話してみる。
22浜田に電話。ナオミ捜索頼み。そして大森の家まで来てもらう。あれからナオミは熊谷のところに行ったがいきなり荷物抱えてこられたので家にいれず二人で外に出て、でもナオミは他にも泊まるところあるっていって西洋人のところに行ったらしい。そこでたくさん衣装など買ってもらったり、借りさせたりしてエルドラドでダンスをしている。譲治はもうあんな女捨てると浜田に泣きつき抱きつく。
23ナオミについて悪口とかこんなことがあったとか、色々浜田と酒を飲みながら話す。居酒屋だったかな。
24母が死ぬ。ものすごく悲しい。僕も母が死んだら嫌だなあ。人間て哀しいなあ。会社のほうでももはや「君子」と呼ばれない。ナオミの不倫話があったからだ。会社でも色々それで嫌がされをされて、もう会社を辞めることに。ナオミがきて、衣装を持って帰る。
25ナオミが荷物と本をとりに来る。最初見たとき西洋人にしか見えなかった。いやずっと見てても別人だ。真っ白な肌、唇の赤さ、そして目のところ。まったく変身していて外国人のように美しかった。どこかで嗅いだ様な匂い。香水だ。そしてあのロシア夫人と同じ香水だ。
26ナオミは度々泊まりになどやってくる。「友達のキス」という息をまじかで吹きかけることをされたり、譲治は焦らされる。気がおかしくなりそうなほど。譲治はナオミに焦らされて彼女が欲しくてたまらない。
27ナオミが泊まりに来る。壁伝いに彼女の様子がわかって、うずうずして眠れない。寝て目を覚ますととナオミがそばに。顔を剃ってと。剃っている途中あまりにもナオミの美しさに興奮して急に抱きつく。そして何でも言うとおりにするから関係を戻してくれと。お馬さんハイハイだけでもいいからしてくれと。ナオミは跨る。そしてよりを戻す代わりに多くの贅沢な条件を付ける。譲治は無論、という感じで全て承知する。
28あれから色々家を変え、西洋風の建物に移り、譲治は会社を起こしてたまに働いている。ナオミは家の中でおしゃれをし、気分よく贅沢に過ごし、ダンスなどにも行っている。色々な男と付き合っているが、ある嫌な西洋人と付き合っていたときそいつをぶん殴ってしまった。でももうナオミには逆らえない。「あたしの恐ろしいことが分ったか」の一言が身に染みまた同じ目にあうかと思うと怖くてナオミには逆らえない。しかし浮気なところもまた魅力だ。こんな風に私たちは過ごしています。


非常に読みやすく、楽しく読めた。すいすい飲める飲みやすい冷やしの日本酒のよう。あっさりしているが、これでいい感じ。楽しかった。理解しやすかった。 (200/11/6)


中上健次 水の女

湿気のある田舎の森の家の雰囲気が文体に良く表現されていた。なにぶん「痴人の愛」読破後の直後の読書なので最初読みにくかったが段々慣れた。一日くらいで読めた。性交のリアルな描写がすごいと思った。そこまでの性交は僕はしたことがない。淫猥で快楽的で興味深い。雰囲気のある作品。 (2007/11/7)


中上健次 鳩どもの家

詩情のあるいい作品だった。なんとなく中上健次のことがわかってきたような気がする。 (2007/11/8)


谷崎潤一郎 刺青

短かった。痴人の愛と違って読みにくい文章が結構あった。彼の初期はそうなのかもしれない。後になるほど今風になるのかな。耽美的といわれるゆえんは解った。 (2007/11/8)


中上健次 一番はじめの出来事

少年時代の物語。彼の味わった少年期ではないだろうか。文章の装飾もリズムも良かった。国文学はいいね。また泣いていた。夭折したとてもいい小説家だな。


中上健次 浄徳寺ツアー

話が曖昧模糊としているところがあったが、主人公の激しい情念が面白かった。赤ん坊め、産まれて来たら絞め殺してやる、とか、浄徳寺が燃える想像とか。 (2007/11/27)


中上健次 千年の愉楽 半蔵の鳥 

半蔵はよほどいい男なのだろう。しかしこの著者余りにも淫蕩で性の描写が過ぎる。少し気持ち悪くもなる。でもそうでもないかも。時代か、都会か。 (2007/12/3)


中上健次 千年の愉楽 六道の辻

中本の血が流れている者はみな夭折したりおかしな死に方をする。三好もまたそうだ。龍の刺青を背中にきれいにいれていて、半蔵には及ばなくとも不思議な魅力がある。最後の龍が昇るような描写は中上健次に時折現れる表現で、僕は好きだ。


中上健次 千年の愉楽 天狗の松

中本一統の血を引く文彦の物語。彼は鴉天狗を見たという。彼が幼い頃は天狗が人間を殺すと言われていて、みんなが恐れ、若衆たちは挑戦しに行ったらしい。何もいなかったが。文彦は中本一統の血の中でも変わっている。産毛が非常に濃い。これは生れ落ちたときからそうだった。24にして鉄人のような胸をしていた。中本にしては変わっていると思いきや、やはり血のせいなのか不思議な子だった。最後は若くして首を吊って死んだ。


中上健次 千年の愉楽 天人五衰

オリエントの康の話。新天地を想像したり、鉄人会作ったり、結局南米に渡って行方不明みたいに死んだ。24で死ぬ。半蔵にかなうほどのモテ男。ピストルで2回も撃たれた。だがそれでは死ななかった。あんまりはっきりとした印象のない作品だった。 (2007/12/23)


中上健次 千年の愉楽 ラプラタ奇譚

中本一統の新一郎の話。最後は水銀を飲んで自殺した。理由はわからない。女を縛って犯すのが好きだった。余り印象深くない作品だった。 (2007/12/27)


中上健次 千年の愉楽 カンナカナイの翼

達男の話。体格は15のときから良いし、肌の色も桃色だった。しかし顔は中本一統のなかでは醜男だったらしい。我流の空手で朝鮮人を半殺しにした。
千年の愉楽はこれで読み終わったが、ある印象が続く作品だと思った。独特の印象。 (2008/1/4)


安部公房 砂の女

 現代文学だけあって中上健次より読みやすかった。だけど砂だらけで、何か単調で余り訴えかけてくるものがなかった。解説に正確な比喩と書いてあったが、過剰比喩だらけだった。 (2008/1/31)


シェイクスピア リア王

 壮絶な作品だった。激情が吹き荒れる。何をしても必ず滅び失敗するというのがテーマなのだろうか。激情が吹き荒れていた。 (2008/2/9)


安部公房 夢の兵士

 巡査の息子が脱走兵で列車飛び込み自殺。なんかある雰囲気のある作品だったが、あまり印象はない。印象は浅い。 (2008/2/9)


安部公房 誘惑者

 最後の大逆転が見事だった。作者も良くここまで耐え通せたものだ。よく最後まで何事もないように隠し通せたものだ。 (2008/2/10)
 巻末の解説読んでいたら、最後に白衣を着た屈強な連中が取り押さえるのは精神病院関係だとわかった。犯人だと思ったら狂人だったわけだ。(2008/2/10)


大江健三郎 奇妙な仕事

 犬殺しの話。犬殺しの話。まあ読みやすいな。最初の頃の作品という感じ。悪くないが。 (2008/2/10)


安部公房 家

 眠い中必死に一回で読み終えたが、なんだ、結局最後は小賢しい内容だった。まるで「世の中みな幻」とでも言いたげだ。現実は現実だよ。安部公房って砂の女もそうだけど、なんかそういう感じのする、つまり過剰比喩や、ここでは、哲学的内容だったり、心理学が下らない。


安部公房 使者

 宇宙についての学生どもなんかに講演をしてやるために待合室でまっていたら、火星人と名乗る男が現れる。一緒に火星まで来てくれと頼まれたが、逃げて警察に電話し、精神病院の車に閉じ込めさせる。しかしあれが本物の火星人だったのならと後悔に近い感情が出る。なんかそういうお話。 (2008/2/11)


安部公房 透視図法

 ここでも彼の変な比喩が出ていたがまあそれはさておいて(早くんには絶対勧められないな。安部公房は)、おがくずを砂糖にする発明をしている老人。ベッドの上からロープと鉤を使って泥棒しようとしていると、逆に下から自分の靴めがけてそろそろとロープが上がってくる・・・・・。そして嗚咽しながら男と歩いてくる女。自分の宿の壁際で誰も助けにこねえよ、壁の向こうの奴らも見てみぬフリだ。そう言われて自分が辱められている、という・・・・。なんと捉えていいのか難解な小説だ。みんな見られてる、ばれてる、ってことかな? (2008/2/12)


安部公房 賭

 ビルの設計を任された男が、その仕事場に見学へ。アイデアを搾り出す会社みたいなもので、部下にアイデアを出させ、そのある部下が無人島に行って現代の格好をして帰ってくるという賭をさせる。その後それがどうなったかはわからない。ビルは完成した。変なビルだが。だけどその変な構造のビルのその社長室の隣に無人島が現れるかもしれない、という意味の解らない難解な小説。よく言ってやって難解。でたらめかな? (2008/2/13)


安部公房 なわ

 ゴミ置き場で子犬を首吊りで殺したように少女達は父を絞め殺す。なわと棒は昔からの人類の友。なわで父を絞め殺す。難しい作品だ。どう理解したらいいのか中々解らない。 (2008/2/14)


安部公房 無関係な死

 帰宅すると部屋に死体が転がっている。その死体をめぐってさまざまの思い、行動がでる。死体一つが部屋にあったことでいろいろと話が出るものだ。これも意欲作。この短編集にはこういう不思議なのが多い。


安部公房 人魚伝

 読みやすいが、内容が難解だ。というより実験的な内容だ。人魚を住まわせるくらいならいいが、もう一人の自分が出てきたりそれがばらばらになって、でも植物のように育っていってもう一人の自分になる。何がなんだかわからん内容だ。(2008/2/22)


安部公房 時の崖

 ボクサーの話。なんか面白くて軽々と読めた。独白が良かった。安部公房はボクシングの経験あるのかな。何かそういう感じがする。でもしてないかも。哀れなボクサー。ボクサーの惨めな姿を描いている。実際こういうものなのかも。(2008/2/22)


安部公房 第四間氷期

実験的な小説と感じた。でも言っていることが何か無理があり、ストーリーも態をなしてなくて、あまりできは良くないと思った。つまらないSFに感じた。比喩は相変わらずぜんぜん駄目だし、読み辛く、あまりいい印象はなかった。安部公房の本はこれで大体いいだろう。


中上健次 岬

中上健次の芥川賞受賞作。兄弟両親の関係が複雑で解りづらいところもあった。彼、秋幸が主人公。姉の美恵が狂ったり、兄の古市が安雄に殺されたり、兄が首を吊って死んだりした。みんな母が違ったり父が違ったりする。特に秋幸の父は魔物のような男だったらしい。しょっちゅう空白の章みたいなくぎりがあるので読みやすかった。なかなか面白かったが、読み終わって何か感想を書けといわれても特に浮かばない。 (2008/4/5)


中上健次 臥龍山

山持ちの佐倉の不思議な人柄。伝説的な感じのあるモリド。主人公の利久は山の支配されているように山に凄さを感じている。臥龍山に。最後は自分の寝ている場所に火をつける。なんか中上健次のありきたり。この人は同じテーマばかり書いている。もういいや。性の描写はやはり淫猥なリアル。 (2008/4/17)


中上健次 藁の家

山か崩され路地が消えてゆくことが背景にある物語。でも大した印象はなかった。(2008/2/20)


中上健次 修験

乱暴な大男。暴力が原因で妻と別居する。勤め先の会社には休暇届けを出し熊野の山中を歩き、見知らぬ女たちとその子供たちの姿を見たり、死んだ親戚の姿が見えたりした。何を表現したかったのかわからない小説。


中上健次 化粧

小鳥が出てくる話。何も印象的なところがなかった。(2008/4/22)


中上健次 重力の都

とうの昔に死んだ高貴な御人が、自分を苦しめると女が言う。あとは淫猥な性交描写。僕は淡白だからなんか淫猥でついてゆけない。不快でさえある。汚い。最後、女の希望で主人公の吉明が針で女の目を突く。(2008/4/25)


ホメロス イリアス 松平千秋訳

2度目の読書。前は自作詩「イーリアス」みたいな感覚で読んだが、ちょっと読んでみたが映画トロイの影響でわかりやすくなったところもあり、なんだか面白い。

第一歌---祭司クリュセスが宝と引き換えに娘を返してもらおうとしたのにアガメムノンだけがこれを嫌がり馬鹿にしたので、アポロンは怒り、夜中オリュンポスの峰を下り矢を放つ。ギリシャ軍(アカイア人)が次々と神アポロンに殺される。最初から諸王の王アガメムノンと勇者アキレウスの舌戦。占い師は、祭司を馬鹿にしたせいとアガメムノンに言う。アガメムノンは欲張りで戦利品を沢山欲しがる、アキレウスは自分の獲得した女ブリセイスをあげまいとする。アキレウスは自分が引きあがれば、自分の武勇がなければギリシャ軍は大変な目にあい後悔するだろうと言う。そしてもし自分の持ち物を取ろうとすれば殺してやるとアガメムノンに対して言い放つ。だがブリセイスは渡してしまう。アキレウスは女神である母テティスにみじめな思いをしたと。ゼウスに言ってもうちょっといい境遇にしてくれるように頼む。クリュセイスはオディッセウスがクリュスに返す。みんなで仲良く食事酒盛り。テティスの願いはゼウスに聞き遂げられるが、ヘレがなんとなく気付き妻ヘレはゼウスに詰問するが、ゼウスは半ば暴力的に黙らせてしまう。(途中です)


永井均 これがニーチェだ

最初ヨーカドーでちらっと見ただけで馬鹿らしかったので読まなかったが、図書館で最近ちらりと見て、まあ最近のニーチェ解釈でも知っといてやるか、と思って読んだら、結構いい点をついてる。認識論などはなかなかいいように感じた。しかし永井には決定的に英雄主義が欠けている。あと行間という言葉嫌いだが、高貴な感性に欠けており、ニーチェの微妙な言葉の出し方、馬鹿は矛盾していると感じるだろうが、実は全く矛盾していない。それが全くわからない。こんな本は焚書にしろ。
(2009/7/4)


リルケ オルフォイスへのソネット

今まで僕はこういう僕の作るものとは正反対の、僕の言葉の選択の安易さとは正反対の、慎重な意味深の詩は理解できなかった。こんな詩を書けたら自己嫌悪、自分への作品への嫌悪感はなくなるだろう。


堺屋太一 日本を創った12人

聖徳太子---神仏儒習合思想の発案者兼実践者。十七条憲法、冠位十二階の制を作った。日本人の「ええとこどり」の気風を作った。外国のある文化を真似ても例えば神々をどうしよう、変わってしまう捨てなければならないということが起こらない。普通の国ではそういうことが起きるゆえに国が発展しない。こんな気風を持っているのは日本だけ。聖徳太子は大天才。外国のいいところだけを切り離して取り入れる。絶対的価値観をもたない、いろんな宗教が社会に混在し、また一人の人間の中にも混在する、そんな特徴を持ち、ええとこどりをし、部分だけを取り入れられるので外国の文化などをそれだけで、他のをくっつけてこず移入できる。日本人は実は独創的で、物凄く独創的な大天才聖徳太子がいた。この人の思想は宗教対立が渦巻く現代、これからの世界に有用であり、重要である。

光源氏---上品な、日本的リーダーの典型。実務にも、政治的理想にも欠け、品位、美意識に生きる。僕もある程度これと似ている。女性にもてたいし、甘えたいしね。女性に甘えたいね。ほんと甘えたい。ただ、政治的な方向性、社会のあり方の方向性の創造は必要だし、僕としては行使したい。光源氏でいながら悪魔的残酷さで、高いところでは方向性を与えたい。

源頼朝---最初の武家政治。征夷大将軍を最高権力者にした初めての人物。それまでは東北などの夷敵をやっつけるだけの称号だった。最初の幕府、鎌倉幕府を開いた人。

織田信長---世界に先駆けて絶対王政、専制君主のビジョンを持っていた。兵農分離により傭兵を雇った。今でいうフリーターやニートを使った。彼らは弱い。しかしとにかく金を使ってたくさん集め戦争した。武田や上杉をはじめ、農耕兵だから稲の刈り入れの時は帰らなければならない。その時を見はらかって攻めて砦を一つずつ落としてゆく。それと信長軍は豪族同士が集まった兵ではなく、一リーダーに従うシステムだったため、桶狭間の時も今川も「あ、信長の奴、あそこにいやがるな。(信長の動きは義元軍の方から全て見えていた)でも当然常識として、豪族会議をやってしばらくしたらくるのだろう」と思っていたら、信長はワンマンで行け!、と。夕立の法則を知って降ると同時にいきなり攻め込んできた。これには慌てふためき何倍もの軍が崩れ、トップの今川義元を打ち取った。この豪族の集まりでない、のちには絶対王政を夢見、志半ばにして倒れた本能寺までの間に絶対王政へ向かって行ったそのシステムはうまく働いた。長篠の鉄砲隊による粉砕(三段鉄砲)もそうだろう。(僕はNHKの新説で雨の日は鉄砲は撃てない。撃てたとしてもその日は雨で敵は雨が激しく降ると見えない、だから信長は砦を築いてそこに勝頼をおびき寄せたという、資料つきの新説を見た。あれはどうなのだろう。いずれ信長の研究はしてみたい。信長を知ることは僕みたいな人間においては自分を、本当の隠れた自分を見つけることだ。また目標にもなる。)
僕にとって信長を知ることは自分を知ることである。この人類史上最も優れた人間の三傑---仏陀、信長、ニーチェ、---の一人であるこの男は家族にも、嫁にも、24時間神経を張りつめさせ隙なく生きた。(僕の19か20の頃のように。この男も眼痛には苦しめられていただろう。)そこに隙が出ると馬鹿にした、人事を尽くして天命を待つ、ということを嫌い(天命を待つというところで、人事をつくしていてもどこか隙が出るものだ、と)徹底して振り絞って生きた、そういう人間は以前僕がアフォリズムで述べた信長像のこととはまた違うことで、破滅的な態度にでるものだろう。一人単独で行動する。危ない目にあえて自分を晒す、そしていつでも起こりえたテロによってやられた。あの時代テロでやられるのは三流の人物だ。ところが信長は超一流なのにやられた。何もかも徹底的にやる者は突然とんでもない隙だらけの姿を見せてしまうものだと思う。平成22年、2010年の正月は終わった。これからの日本を強い国にしていくためには(ある程度は軍事的にも--自衛隊的なものでいい--、なにより経済的に、そして文化)信長のような独善性の強い、優れた、そして大衆を熱狂させるような人物がでなければ駄目なのだろう。それは今どこにいるのか。どんな形で現れてくるか。かなり意外な形で現れてくる気もする。

石田光成---会社の課長クラスが大プロジェクトを立ち上げるようなことをやった最初の人。石田光成が初めてそれをやったので後世の人もそういう様なことが出来るようになったらしい。石田光成は、偉くない、地位の高くない権力も持たない人が大きな仕事をすることができることを関ヶ原においてクライマックに達したそのプロジェクトにおいて証明した。こんなことは世界中を見ても日本においてもほとんど例がない。

徳川家康---首都機能を江戸に移した。彼は天下統一しナンバーワンの権力者になっただけでなく、後世彼の生き方が模範になった。律儀と辛抱の哲学をもち、後世にも影響を与えたのではないか。また家康の偉いところは信長の恐ろしさを良く知っていたことである。武田信玄健在の頃から信長の恐ろしさを知っていた。信長の恐ろしさとは一年中戦える織田傭兵隊を持っていたことである。武田の兵がどんなに強くても刈り入れのときには農民兵は国に帰る。その間に砦、城ひとつびとつ落とされてしまう。江戸時代は地方分権的であるが、参勤交代制は江戸の文化などを諸藩に伝播させた。東京中心のありかたを強めた。忍耐倹約の人と言われるが、実際はあまり倹約家ではなく結構贅沢をしていた。そして忍耐と言っても信長にくっついていれば成長企業であることができるし必ずしも忍耐の人ではない。島国根性、鎖国は家康のせいにすべきではない。家康は貿易などにも意義を認めていたし、あとの将軍が鎖国したのである。しかし晩年の家康は鎖国的な考えを持っていたし、関連はあるだろう。それとお上意識と封建的秩序を作った。そして僕は知らなかったのだが家康は「冷酷非情」である。特に関ヶ原での味方の大名を何人も殺した。一番ひどいのは秀吉に「息子の秀頼を頼む」と言われ何度も天下人にしてやると言いながら結局は殺してしまった。それも秀頼本人や母の淀君だけでなく無害な秀頼の幼い子まで根絶やしにしてしまった。こんな冷酷非情だとは全然知らなかった。そういや母が言っていたな。吉川英治の徳川家康を読んでそんなことを言っていた。タヌキオヤジ、タヌキジジイ。政治家になるにはタヌキオヤジでなければならない、権力者というものは冷酷非情なものだ、というイメージが日本では定着している。これも家康が今日の日本人に残した重要な影響である。

石田梅岩---石門心学の始祖。勤勉と倹約という町人哲学を生み出した。これは今日の日本人の美意識、倫理観、生活様式や人間評価に深い影響を与えている。この国独特の勤労観を決定づけた。子供みたいに年が離れている奉公人と一緒に奉公したり色々苦労を重ねた。時代は吉宗、享保の時代。現代のバブルみたいな元禄バブルを少年の頃に過ごし(しかし梅岩はその頃も苦しんでいた)バブルも崩壊し、どんどん貧しくなっていく江戸時代の真っただ中を生きた。勤勉に働くことは人生修業なんてものを作った。また勤勉と倹約両立という思想が細部へのこだわりを生み、さらに手続き主義を生み出した。これは現在の官僚統制とも関わりがある。これから我々は石田梅岩を超えた新しい倫理と美意識を作らなければならない。

大久保利通---官僚支配を作った人。ドイツの真似をした。独裁者的人物。今現在克服しなければならない官尊民卑、官僚主導政治、官僚が偉いということを作った人。明治の頃はそれでうまくいった。しかしこれからはそうはいかない。だが官僚支配は圧倒的で日本人でそれをぶち壊せる人はいるのだろうか。アフォリズムにも書いてあったように知価社会になって政治主導になってもそんなに変わらないけどね。民主主義と歯車が強い。でも結構色々良くなるよ。

渋沢栄一---日本の資本主義の父。ライバルの岩崎弥太郎は個人主義的な経営をした(会社は一人で持つ)。財閥。会社は株主のものという個人主義的発想に立っていた。これは英米式の純粋な資本主義に忠実なやり方とも言える。渋沢栄一はみんなが資本金を出して経営する合本主義をとった。会社会社が協調していくやり方を取った。それは後に官民協調体制と言われるものを生みもした。渋沢の経営のあり方、考え方は今の官僚主導の資本主義に関係がある。行政改革、規制緩和、自由競争社会の構築などは、渋沢的なものからの脱却を意味している。平成の日本が渋沢を超えられるかあるいは捨てられるか、これが今の日本の課題である行政改革の成否を決める重要なポイントである。

マッカーサー ---政治的能力の高い軍人。太平洋戦争中に元帥に昇格。そして日本軍を打ち破った。占領政策として日本をアメリカ的民主主義国家にしようとした。日本は農耕社会としてある程度の水準の生活で満足するだろうと思っていた。軍事力強化に繋がることのない、中小企業と小規模自作農の国にしようとした。日本の製造業がここまで凄くなるとは思っていなかった。平等と安全重視の倫理を注入した。何より第一に「平和」であり、いかなる事情があれども戦争は絶対悪、暴力も絶対悪とされた。そして精神性を否定し、その結果奇妙な唯物的思想がはびこり賤しいほどの経済至上主義が生まれた。マッカーサーのやろうとしたことは良い所も悪いところもあった。マッカーサーの理想は達しない、日本を誤解していた面があるが、とにかく彼のやろうとしたことの影響は強い。これから日本はどれを強化し、どれを削ぎ落としてゆくかが問われるところである。

池田勇人---所得倍増計画を主張。運よくちょうど日本が高度経済成長期に入ったのに重なった。この男の植え付けた経済優先思想とそれを実現する官僚主導の仕組みは、今日まで揺るぎなく続いている。所得倍増計画は目標をはるかに上回る達成を遂げた。池田勇人の経済優先は自由な市場主義ではなく、戦中の統制経済を官僚主導の計画誘導経済に変えようとしたものである。所得倍増計画では工業先導性理論を打ち出した。規格大量生産が重視され、教育は個性のない均質的な人間を生み出すためのものとなった。成績、偏差値のまんまる人間。個性的なものはつぶしたともいえる気がする。東京中心の、官僚による全国の均質な規格化が行われた。街づくりも公園にしてもなにもかも官僚の「正しい価値観」に従って作られていった。全国が無性格になった。そうして強化された官僚と自民党が結びつく。同時に官僚の指導によって競争を避け、その名目で談合体質が育っていった。一方では自民党政治家を操り、一方では協調体制の業界、この両方を操っていく、官僚主導の業界協調体制は池田内閣の時に確立した。「政、官、財のトライアングル」である。「所得倍増計画」は色々なところに関係している。技術は向上、企業は拡大、土地も値上がりしバラ色の未来。企業は従業員の生涯の面倒を見る、職場に帰属することが一番いい生き方と言われる社会。「職縁社会」を確立した。しかし今はもう時代は変わった。これからはその現実を直視しなければならない。

松下幸之助---二股ソケットや自転車用ランプの考案から始まり、ラジオの普及、そして3種の神器、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機など消費者の身近な方面で頑張った。岩崎弥太郎の三菱とは違って、もっと庶民寄りの家電などで頑張った。また日本式経営を創った。昭和初期の大恐慌の時に示した終身雇用の発想である。ホンダは技術者、松下は販売の松下だ。経営の神様である。松下は会社人間を生み出し、職縁社会をつくった。松下のその考えは55年体制として日本中に広がり、日本的特色とまで言われるようになった。松下の考えたことは、まず規格大量生産、これもこれからハードからソフトの時代になっているので今はもう通用しない。また勤勉の哲学も広めた。松下幸之助は哲学者としての面も持っていた。PHP研究所を作ったり、松下政経塾なども作って自ら指導した。フォードや松下の効率勤勉主義、そしてチャップリン、ディズニー、ビートルズたちが作った快楽主義、今は快楽主義が氾濫し非常に大きな力となっている。それに対応するためには効率勤勉主義はどのように変化していけばいいのだろうか。効率勤勉主義の代表である松下幸之助、昭和の象徴であり偉大な彼の何を引き継ぎ何を乗り越えていくかがこれから平成の世の中の課題である。

(2010/2/21)


堺屋太一 凄い時代 勝負は二〇一一年

2回目読破。ロシア周辺のきな臭さが不安だ。今回の恐慌はグローバリズム、新自由主義によってなったものではなく、一部の強欲なものたちの犯罪に近いひどいやり方にあった。それらの監視は必要だが、知価革命の流れは変えてはならないし、またそれは知価社会が知価革命が進行しているのに世界中の制度がそれに対応していないことによる。日本でも内部では起こっているのに、日本は官僚始めくだらない奴らによって解放されていない。これは壊さなければ破滅だ。民主党またはそれに次ぐ政党、政治家などが変えていくのだろう。参加しつつ期待している。孫さんも堺屋さんも生きているから結構楽観的です、僕は。いつも期待に裏切られてきたけど、やっと民主党も盤石(およそ)に政権を取れたしね。(2010/2/21)


ヘミングウェイ 老人と海

面白かった。大きな魚を捕らえ、そのあと鮫と戦うところは特に面白かった。お爺さんが頑張って鮫を叩き殺したり突き殺したりする所はインパクトが強くあって良かった。野球選手のディマジオとか出てきてなんか良かったし、お爺さんの底知れぬ体力、頑健さ、食事や水分も余り取らずに過ごしていったり、漁をしたり、、なんか凄みがあった。10ページずつ、10日位で読み終わったかな。ヘミングウェイ的なリアリズムも良いし。賞を取った作品だけあって面白かったです。(2010/3/19)


ガンジー 非暴力

内容は解りやすかった。。文章は少し解りにくかった。無抵抗無暴力は結構だが馬鹿馬鹿しいと思った。リアリストの僕から見れば下らない。しかし民主主義精神から見ればこれも一つの理想的なあり方なのだろう。我は貴族主義者である。そして人を傷付けることに喜びを感じ、勇敢に戦う者だ。復讐心も極めて強い。(2010/5/31)


芥川竜之介 ある阿呆の一生

何度読んだことだろう、何度目だろう。歯車と並ぶ、いやそれ以上の傑作でしょう。だけど今回はあまり何とも思わなかったな。好きだけどそんなに凄いとは思ってないかも。(2010/6/3)