ギリシャ関係の文





・ ホメロスの英雄たちにとって一切は名誉と美徳(すなわち体力,度胸,身体的勇気,武勲)という純一の要素を軸として回転していた。そこには「十戒」の痕跡も,家族にたいする以外の責任感も,だれかある人や,なにかある物にたいする義務の意識も認められず,あるのはただ自己の武勲,自己の勝利と力への衝動だけなのである。(M.I.フィンリー『オデュッセウスの時代』)

・ 大多数のギリシアの哲学者の教説によると,人はみな,案内者として,それぞれのダイモーンをもち,かれの精神的個性はそのダイモーンに体現されるという.したがって狂人,激怒する者,常軌を逸した者は,その妄想をダイモーンに負い,またピタゴラス,ソクラテス,ディオゲネスらの智恵もダイモーンに負っている.(A.モーリー『魔術と占星術』)

・ ギリシア芸術は,塔を建設しようとする一切の衝動を欠いている.ギリシアの造形美術はつねに近くから見られることが計算に入れられ,目標とされていて,遠くから見られることは入っていない.(M.R.アレクサンダー『塔の思想』)

・ 中庸の教えはその特質としてギリシア的であるが,そこからギリシア人は情熱を知らず,安泰で,美的でない中庸の人間に過ぎなかったと判断してはいけない.彼らが中庸を非常に高く評価したのは,彼らが極端に走る傾向があったからである.(キトー『ギリシャ人』)

・ 「何代にもわたってずっと後まで名を残すこと」.この不朽の名声への情熱的な渇望と不死なるアレテーとがギリシア人の行為の源泉となっている,とプラトンの「饗宴」のなかでディオティマは語っているが,これが,哲人,詩人,政治的演説家の中においても見出される,正規のギリシア的教理なのである.(キトー『ギリシャ人』)

・ ギリシアではホメーロス以来,呪術でも魔法でも,それが文学や造形美術に見られる限りでは,,北欧やスラヴやケルトの民族の物語のような暗い,漠として捕え難い,何物かわからぬ闇の奥にみえる恐ろしい背景をすべて剥ぎ取られている.(高津春繁『ギリシア神話』)

・ 畑を荒廃させること,実りかけている穀物畑を焼き払うこと,オリーブの樹を切り倒すこと,葡萄畑を壊滅させること――多かれ少なかれ影響が後に長く残るような略奪や国土の荒廃は,ギリシア人にもローマ人にも,戦争の「権利」とみなされていた.ギリシアの歴史家たちは,「インド人は敵の領地を焼き払うことも果樹を伐採することもしない」と,驚きをこめて認めている.(K-W.ヴェーバー『アッティカの大気汚染』)

・ 海賊行為は,ホメロスの時代にはこの上なく高貴な仕事だった.島々の覇者である海賊の頭目たちは無防備の商船を海峡で待ち伏せ,あるいは遠方の海岸へ略奪に出かけた.オデュッセウスがイタケーに帰ったとき,彼はクレタ人を名乗った.海賊であるということがもっとも名誉な資格だと思ったのである.(H.デシャン『海賊』)

・ 前48年,カエサルの放った火は埠頭から広がって,70万冊を蔵する「大図書館」を類焼させた.その20数年後,ストラボンは皇帝不可蝕のタブーを怖れ,非常に回りくどいやり方でこの事実を記し,後1世紀プルタルコスに至ってようやくはっきりと歴史に記された.(M.エル=アバディ『古代アレクサンドリア図書館』)

・ ヒポクラテスは,病気をからだの自然(physis)の経過であると考えた.病むとはからだの変動(apostasis)である.ここにはあらゆる病気を徹底して敵対視し,病気があればすべて摘発し攻撃するという現代医学の思想はない.(立川昭二『神の手人の手 逆光の医学史』)

・ 「賢い愚者 Wise Fool」.愚者は偶像破壊的であり,ただ単に不敬であるというよりは,そもそも権威が依拠する諸前提を理解できないという点で権威を覆滅するポテンシャルを秘めた厄介な存在であった.古典的原形は言うまでもなくソクラテスである.(W・カイザー『愚者の知恵』)

・ 哲学者という人種の悩み事を,健全に生きられる人が一緒に悩んでやる必要など,どこにもない.(池田晶子『考える人』)

・ 哲学史に残る偉大な哲学者たちの座右に哲学辞典は置かれていなかった.(池田晶子『考える人』)

・ ギリシア悲劇は,人間が節度を失った(hybris)ことに原因する悲しい運命のドラマである.(高津春繁『古典ギリシア』)

・ ギリシア人は調和を愛し,何事にも節度を保つことを生活の信条としていた.'meden agan' --- not too much of anything. 過ぎたるは猶及ばざるが如し.(高津春繁『古典ギリシア』)・・・・いやだ(ひかる)

・ 「文化 culture 」という語のもとの意味は「地を耕して作物を育てる」ことである。ところがこれが日本語になると,もっぱら「心を耕す」ことばかり考えられて,はじめの意味がきれいに忘れられて,枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし,根を忘れて花だけを見ている文化観は,根なし草にひとしい。(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』)  政治の大切さ(ひかる)

・ 耳にはまぶたがない。つまり無限の受動性(不可視の強制的な受容)こそが人間の聴覚の根拠をなしているということだ。(P.キニャール『音楽への憎しみ』)

・ 古来,戦闘行動そのものは一種の狩猟,すなわち戦利品という獲物を獲得するための行為であった。領地よりもむしろ戦利品や略奪品を獲得することによって富を作り出すことが戦争本来の目的であった。略奪は一種の経済行為である。(樺山紘一「現代ヨーロッパをとく鍵は中世にある」『いま「ヨーロッパ」が崩壊する』所収)

・ われわれはホメロスやタッソーの戦争叙事詩を,静かな書斎で読むときでも,知らず知らずにこれら虚構譚に惹き入れられ,一時的にもせよ,輝かしい英雄たちの功業に胸ときめかせることはある。だがしかし,こうした平和時の心がひとり書斎裡の研究で感じる興奮など,いかに冷たく影薄いことか。かつて吟遊詩人たちが,これら古代英雄の功業を讃え歌ったのは,まさに戦闘の最中か,でなければ,勝利のあとの饗宴の席でだった。(E.ギボン『ローマ帝国衰亡史』9)

・ 芸術には様式というものがある.ある時代の芸術は,その時代の様式をいやがおうなく身にまとう.様式によって時代の刻印を押されている.同じことは,芸術を鑑賞する側の態度についてもあてはまる.ひとびとの審美眼もまた,時代の拘束を受けている.(井上章一『つくられた桂離宮神話』)

・ 古代ギリシアでは老人は歓迎されていなかった.老人よりも若者,熟年,美や力が好まれた.老人は嘲笑され,年配の指導者には信頼を寄せず,長老に助言を求めても従わなかった.老人の運命について心を砕いたのは,プラトンのユートピアの中だけだった.老いた父母はよい扱いを受けず,尊敬を受けた少数の老人は哲学者と悲劇作家だった.スパルタをのぞき,ギリシアでは,神からも人間からも老人は愛されなかった.(J.ミノワ『老いの歴史』)

・ 個人やグループのアイデンティティを定義・形成しているのは,彼らに対する他の人々の態度である.誤解があろうがなかろうが,他の人々がどう考えているかが,その人々の生活する世界を作り出しているのであって,それが外部の人々の態度なり認識なりと無関係に形成されたと考えるのはいささか浅はかというものである.(R.L.ウィルケン『ローマ人が見たキリスト教』)

・ 古代ギリシア市民の間に政治的社会的平等が実現し,ポリス民主制が完成した時期に,非ギリシア系原住民を中心とする典型的奴隷制度が発展を遂げたことは注目に値する.貧しい人々の債務に基づく身体緊縛や隷農耕作などの中間的隷属労働が優勢であった時代には典型的奴隷の使役は行われていなかった.つまり中間的隷属労働の消滅とそれに代わる典型的奴隷制度のうえにギリシア民主制は成り立っていたのである.(伊藤貞夫『古典期アテネの政治と社会』)

・ ポリスは実際の,あるいは仮定された近親,すなわちある種の延長された家族に基礎を置く生きた共同体であった.彼らは共同体の問題処理に自分の役割を演ずることを欲した.ギリシア人が本質的に社会的であったということは,彼らが為しかつ考えたことの多くを説明する.(キトー『ギリシャ人』)

・ 一般的な著作でも学問的な著作でも,固有名詞の使用が少なければ少ないほど作者の考えは深く成熟しており,逆に固有名詞が多ければ多いほど,言いかえれば,知識の量に頼れば頼るほど,その著作は生煮えで,考えは浅いものだ.

・ 阿刀田高とかいう人の『ホメロスを楽しむために』がやたらに書店で平積みになっていたので読んでみた。どうせ『〜を知っていますか』のたぐいだろうとは思ったがやっぱりそうだ。本文中に「いくつかのテキストを読み比べてみてもワカラナイ」と云う表現があることからして,この人,ギリシア語は読めないとみた。たしかに地域限定の冗談を自分で笑って自分でつっこみを入れると云うくさい癖はあるにしても,要約としては高津版よりも口当たりはいいはずだ。が,所詮要約なのである。男どもが自分の名誉のためだけに命を張り合った体臭と血の臭いと,その哀れむべき愚かさを美学に仕立て上げたホメロスの天才がまるで伝わらない。それに常識では,要約のことを「エッセイ」とは云わないものだ。

・ オリュンポス的なものと非オリュンポス的なもの,永遠に明るいものと致命的で暗鬱なものを厳しく峻別するのがホメロスの神学である。(K.ケレーニイ『医神アスクレピオス』)

・ 日本人はRとLの区別ができないと云われるが,そう悲観したものでもない。前5世紀後半のギリシア世界を一人で引っ掻き回して遊んだ美青年アルキビアデスもRとLがへたくそだったと古人が伝えているが,このご愛嬌でみんなころっと騙されたらしいのだ。(アリストパネス『蜂』44-46,プルタルコス「アルキビアデス」1)

・ 「アテナイではだれが王として命令を下すのですか」「アテナイ人はだれの奴隷でもなく家来でもありません」 現代ギリシア語で上演される舞台のこの科白のところで嵐のような拍手が巻き起こる。(周藤芳幸『図説ギリシア』)

・ 神々が人類をそれぞれ,金,銀,青銅(銅),鉄の四つの時代に区分したとする物語はイランに起源を持つ。ところがヘシオドスは青銅と鉄の間に英雄の時代をはめ込んで五つの時代区分に改変した。どんな事情があろうとギリシア人は,あの短いが名誉と栄光に輝く時代を外すわけにはいかなかったのである。(M.I.フィンリー『オデュッセウスの時代』)

・ 旅行したり郷里を離れたりして生活する人は評判の悪い人物である,というのが前4世紀の弁論術の常識である。(P.マケクニー『都市国家のアウトサイダー』)

・ 総督アントニヌスはアシア州のキリスト教徒たちに告げて云った,「哀れな人たちよ,それほどまでに生に倦んでいるというのなら,縄だって断崖だって,簡単にすぐ見つかるはずではないか」(E.ギボン『ローマ帝国衰亡史』16)

・ アテナイの訴訟手続きで疑わしい事件の場合,拷問により奴隷を訊問することによって真実を得る決まりになっていた。自由人の自由意志による証言は買収による嘘が含まれる可能性があり,また自由人を拷問することは禁止されていたので,けっきょく奴隷の肉体から激痛による不随意的かつ物的な事実を得るのがもっとも確実な方法と思われたのである。(З.Л.カザケヴィチ『古典期アテナイの市民・非市民・奴隷』)

・ 視床下部にIHN3という神経核があるそうで,これが性を決定しているという。同性愛の成立の要因として,従来はフロイト的解釈に基づく幼児体験や生活環境を重視してきたが,もし生物学的なものに規定されているとしたら,同性愛を異常性欲として差別したり,道徳的に非難したりするのは全く根拠がなく,それはまさしく人間の性の生物学的多型性の中でのひとつの形なのであるという。とすると,古代ギリシア人の少年好きに今後生物学的な新しい解釈が生まれるかもしれない。(多田富雄『生命の意味論』より)

・ キリスト教の洗礼を受けた人間にはギリシアはわからない,とヴァラモヴィッツは言っている.(田中美知太郎対談集『プラトンに学ぶ』より高津春繁の発言) (僕は改心したから大丈夫。 by ひかる)

多くの人たちが信じている神々を否認する者が不敬神な人ではなく,多くの人たちが抱いている考えを神々に押しつけている者の方が,不敬神なのである.(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

・ ライオンの心を持ちたければライオンを食い,狡知でありたいならば蛇を食うべきである.臆病者は鶏やウサギを食い,豚のような小さな目は豚を食ったからである.同様に,神に似ることを願うならば,神を,少なくとも神的なものを,血が流れ出さぬうちに生のまますばやく食うことが肝要である.(E.R.ドッズ『ギリシャ人と非理性』)

・ 悪人の反対は善人ではなく,別の種類の悪人である.ギリシア人は敵に復讐するために訴訟を起こす.敵を赦すことは悪であり,復讐は彼の義務である.彼は家族の一員であり,つぎにポリスの一員である.彼に対して為される罪悪は,彼の家族や問題次第ではポリス全体に対して為される罪悪である.そこで彼は自分の家族,自分のポリスのために,彼の名誉をかけて復讐するのである.(キトー『ギリシャ人』)

・ 殺人の鮮血は,ギリシャの夏の容赦ない乾燥にあっという間に蒸発してしまい,流血の生臭さはすぐに散失する.大理石の上に不定形に浸透した染みの跡だけが殺人の証拠である.夏のギリシャのこの異常な透明度と過酷な乾燥度を体験することなくしては,ギリシャ悲劇の本質的なイメージは把握できない.ギリシャ悲劇は陽性の物語なのである.(山形治江『ギリシャ悲劇』)

・ ギリシア人の理想像は 'kalokagathia' の持ち主であること.すなわち,美(kalos)と善(agathos)の具有である.これらはともに調和と節度によって律せられている.(高津春繁『古典ギリシア』)

・ 水道はローマ人の誇りだった.西暦97年からローマ市の水道管理者になったフロンティヌスは『ローマ市の水道について』の中で,「数多くの必要不可欠なローマの水道は,眼につくが何の役にも立たないピラミッドや,どこでも有名ではあるが実用的でないギリシア人の著述と比較できようか」と書いている.(鯖田豊之『水道の思想』)

・  ヘルメス柱像を建てることは,アテネの民主制が固まったことによって強く意識されるようになった男性の自己主張と,男性的な平等主義に対する新たな誇りをあらわすもう一つの徴候であり,それはまた市民権と売春との象徴的な対立からなる社会における自己表現でもあった.アテネの民主制は純粋に政治的制度ではなく,ジェンダーの制度でもあったのだ.(D.M.ハルプリン『同性愛の百年間』)

・ 前5世紀のアテナイの人口は,妻子を含めた市民が13万人,居留外国人が7万人,奴隷が20万人の合計40万人であった.人口の半分が奴隷である.一般市民はふつう,下男1人下女2人を有し,彼らの大部分は家庭内手工業に従事した.奴隷の供給源は,戦争捕虜,奴隷の子,略奪,自由人の破産である.(A.ボナール『ギリシア文明史』)

・ 最初は利他的行動を行い,次からは相手の出方に応じて相手と同じ手を打つ(協調には協調,裏切りには裏切り)という戦略が,生存の可能性を維持し増大させるためには最も有効である.ヒトにおける倫理や道徳性に関連する情動は,こうした生物学的な最適ストラテジーに極めてうまく適合する.(遠藤利彦『喜怒哀楽の起源』)

・  「囚人のディレンマ」により,それぞれが利己主義者としてふるまうよりも,契約を交わして,他人の生命や財産を,各人に帰すべき当然の権利として認め合い,各人が互いに他人の権利を尊重する者としてふるまった方が,各人にとって得られる利益は大きい。権利国家の機構やソフトウェアはすべて多数者が自己利益の追求のために,あるいは「力への意志」の実現のために作り出した装置である。(笹澤 豊『小説・倫理学講義』要旨)

・  society という言葉は,それぞれの個人の尊厳が少なくとも原則として認められているところでしか本来の意味を持たない.しかしわが国では欧米の意味での個人が生まれていないのにその訳語の「社会」という言葉が通用するようになってから,あたかも欧米流の社会があるかのような幻想が生まれた.さまざまな掟に縛られ,自分なりの生き方をしようと思っても容易にはできず,個人として自己の中に自分の行動についての絶対的基準を持たず,他人との関係の中に基準を置くわが国に,「社会」は存在しない.あるのは「世間」である.(阿部謹也『「世間」とは何か』要約)

・ アルクメオン家のクレイステネスが考え出した歴史上最古の民主制は,じつは,市民からの支持を得ることによって自分の派閥の生き残りを図った,いわば派閥争いの副産物として誕生したのである。(周藤芳幸『図説ギリシア』

・ ローマ帝政期,とりわけその初期の,いわゆる「ローマの平和」の時代における奴隷の供給源として,嬰児遺棄の慣習が重要な役割を果たしており,遺棄奴隷が奴隷総人口の過半数を占めていた。(本村凌二『薄暮のローマ世界』)

・ 総督アントニヌスはアシア州のキリスト教徒たちに告げて云った,「哀れな人たちよ,それほどまでに生に倦んでいるというのなら,縄だって断崖だって,簡単にすぐ見つかるはずではないか」(E.ギボン『ローマ帝国衰亡史』16)