アフォリズムより
・ 詩人の思想---独断的でさえもないところの、詩人の思想が何になるか?
・ 詩人の智慧---詩人は常に理性的であれ。悟性的であってはならない。
・ 詩人と政治---狭義の政治については、詩人は関心をもつ必要がない。しかしながら広義の政治に就いては、時に大いに関心もつ必要がある。広義の政治とは、国家と民族、人類の運命、文化の将来について、政治の関係する主題である。
・ 永世輪廻---独逸の、ある荒涼とした地方の岩の上で、詩人ニイチェの頭脳に浮かんだ気味の悪い思想--永世輪廻の思想--は、次のような数理から演繹されているのである。
宇宙の現存する状態は、物質分子の一定組合せから成立している。現存する世界は、分子の集合と分散による、或る偶然の組合せ数から形成されている。換言すれば、分子の偶然な方程式が、現にある如き必然の世界を構成しているのである。所で、宇宙間における分子の質量は一定したもので、増すこともなく減ることもない故に、そのありとあらゆる無限の変化は、無限の組合せの後に於て、いつかは一度、必ずまた同一の数式に遭遇せねばならないだろう。もとよりかくの如き事情は、有限の時間における、有限の変化にあっては有り得ない。しかしながら、無限の時間における無限の多様なる変化--それが宇宙の真相である--に於ては、数理の必然な計算から、事情の正に起り得るべきことが推断されるのである。
見よ! その時げに万物は初めに回帰する。何もかも、すっかり同じ状態がやってくる。現在、ここにある所の世界が、その時そこに再現する。かくの如く、現に人々の見ているところの建物や、家畜や、樹木や、市街や、その他の物やが、丁度我々の千九百二十三年にあった如く、ずっと永遠の未来に於て、そっくり同じ状態でまた目前に現われてくる。現在、私の隣家に住んでいる貧しい家族は、想像もできない無限の未来に於て、再びこの同じ場所に居り、同じこの家で、同じ職業で、同じこの生活をしているだろう。そしていま、ある裏街の寂しい角で、私が友人と立話をしている如く、丁度無限の或る曇った日に、この同じ私が、同じその友人と、同じ街の角で、全く同じ事柄を話しているのである。
かく無限の未来に於て、我々のだれもが、すべて今在る如き世界に再生する。そして我々は、今一度、すっかり同一の人生を繰返すのである。この思想からして、人々は再生の希望を失ってしまう。一般に人々は願っている。私は私として--現存する自己意識の人物として--ふたたびまた新しく誕生したい。しかしながら次の世には、ちかって過去の悔恨を反復しないだろうと。しかしながら人がもし生れ変るとせば、事情の法則が、宇宙のあらゆる隅々まで、同一必然なければならない。もし異なる事情の下にあっては、決して同一の人物が再生し得ないであろう。しかして一切の事情が同一であるならば、我々の行為もまた同一に決定される。換言すれば、今世における吾人の一切の生涯が、来世に於ても寸分たがわず繰返される。吾人はそれを訂正することもできないし、抹殺することもできないのだ。
この思想における、最も重大な要諦は、再生に関して予想される「無限の未来」が、実は「瞬間の後」を意味していることだ。何となれば死--夢なき眠り--の中では、永遠が一瞬時に過ぎてしまうから。げに吾人は、今日ここに眠り、明日の朝めざめるとき、またふたたび昨日の同じ日課を繰返すべく、運命が予想されている。かくして同様に、明日も翌日も、無限に同じ再生が輪廻され、永遠に業の尽きる時期がない。かく人間の思想し得べき、最も陰鬱な地獄が意味する。--一度起こったことが、今後永遠に起こってくる--それからして退屈が、生存全体を暗黒にしてしまうのである。
・ 先輩との競争について---多くの文学者や芸術家が、その出発に於いて苦しむことは、自己の私淑する天才や先輩の影響から、如何にしても完全に脱し得ないということの悩みにある。この場合での注意は、決してその先輩と競争したり、凌駕したりしようとするなかれということである。すべての名を為した芸術家は、極度の自己のユニークな才能を発揮させ、長所を生かしきっているのである。後から来たものが、同じその特殊なコースで、前の者と競争し、これを駆け抜けようとするのは困難である。たとえ駆け抜けきったところで、所詮先人の道を追従した亜流に過ぎない。むしろ反対にこの場合は、その競争心を放棄し、到底及び得ないことを、早くあきらめてしまうのである。次にその先輩との比較に於いて、自分の何処が劣っているか、何処が及び得ないかをよく見るのである。そしてこの判定が出来たならば、その時以来、諸君はすでに先人の亜流を脱し、逆に前の者を凌駕し、競争に勝ったのでさえもある。なぜなら芸術に於いて、長所は常に短所であり、逆に短所は常に長所である。諸君が先輩に及ばないところは、一方の側に於いて、先輩がまた諸君に及ばないところなのである。長剣を持つ者は、短剣の利技を知らず、短剣を持つものは、長剣の得意を知らない。先人との競争に於いては、早く自己の卑小を知り、同じコースへの追従をあきらめてしまうことが、最も重要なのである。