久方の山
      (マックス・ピカート博士及び佐野利勝教授に)



 久しぶりにすっぽりと
 深く履いたしなやかな強い山靴、
 老にせばまった左右の肩をひろげさせ
 たわんだ背骨をまっすぐにする
 厚地のルックサックの適度の重みよ---
 今日わたしは山へ行く。
 ああ、山へ行く、
 久しぶりに、
 杖をかかえて。


 青い蛇紋石の崩壊斜面や
 脂肪光沢をした華麗なチャートが
 きれいに露出している日当りの朝の沢、
 ときどきかすかな小鳥の声を聴きながら
 明るい冬の静かさを登ってゆくと、
 とつぜん現われた峠のむこうに
 薄雪刷いた隣国の
 歌のような山々谷々のひろがる風景......
 そういうのが今日のわたしの山旅だ。


 青春のさかんな体力が衰えると
 老年の豊かな心や智慧の力がこれに代る。
 よく連続した時間による人間の完成は
 青春から老年へと大きく懸かった
 一本の美しい虹の弧線だ。
 若い時代の強力な閃光と老境の柔和な輝き、
 その漸変し震動する光の波が
              アーチ
 やがては消えるこの弓形六十年の構成だ。 


 久しぶりに今日わたしは山へ行く。
 どんな遭遇、どんな見ものも、
 けっして見落とさず、軽んじもしない。
 わたしは美に満ち意味に満ちたこの世界が
 また大きな謎でもあることを今こそよろこぶ。
 そしてその脈々と波うつ謎の深みへと
 自分の思惟や心をひそめに行くのが
 ほんとうに楽しい。