形而上学

 

・ 形而上学的に言って、世界は真理があるのだから永遠回帰説(混沌)は間違えている。あるかないか、である。意思の強さ弱さに関わらず混沌には飲み込まれてしまう。それは理論上の知的正直性であり、体験上の誤魔化せない点である。
  世界の実相が混沌だとしてもそこから創造しなければならない。しかし身勝手なものは許されない。老人が美少年にはなれない。(荘子) 積み重ねられて来た数学的な錯覚に援助し合わなければならない。そして混沌は放逐しなければならない。アマテラス大神はスサノオの尊によって天の岩戸に隠れてしまうが再び「復活」し、そしてスサノオの尊は天界を追放されたのである。要するに「あるかないか」の場合と体して事情は変わらない。
  世人が何を叫ぼうとも科学絶対主義は崩壊のしようがない。


・ 科学の残酷さ以外に真理はありえない。(ソクラテス以前、ギリシャ初期哲学者創始。) キリスト教以来、人類は残酷さを生み出す手法の中で軟弱に生きて来た。(あくまで科学的残酷世界の中で)


・ 数学という手法の中で真理の塗り替えをすれば良いのであって、道徳から無道徳へと移り行く中途、混沌を挟む必要は全く無い。


・ 相対主義はあらゆる意味においておかしい。僕は生まれてこの方一度足りとも「人それぞれ」という言葉を理解したことはない。真理がある以上おかしいし永遠回帰の学説上もおかしい。永遠回帰の学説においては、一瞬において何がしかの真理が世界を支配するのだ。新数学もまた硬い。世界は哲学者の夢かもしれないが、相対主義は、哲学者の創った世界の中で捏ね繰り回しているだけの民主主義衆愚に過ぎない。 1+1=2の中で、1+1=3 や1+1=4 などと身勝手な事を言っている。 


・ 現代の混沌は世界創造以前の混沌ではなく、世界創造以後の混沌である。宮台真司は社会学者に過ぎない。混沌という誤謬を利用し、原理の元にだらだらとやっている現代人を指して、永遠回帰? 女子高生がディオニュソス的な生き方? TPOや多様が荘子的な原理創造? 富国強兵から成熟社会になってゆくことがニヒリズム到来? 頭の良い人が増えたり学問の専門化によってエリートさえも社会の歯車になってしまうことがニヒリズム? 経済の安定がニヒリズム? もうビートルズの様な文化ヒーローは出て来ないであろうことがニヒリズム? ----形而上学的に言っても世界混沌説はおかしいし、現代の社会状態はそれでさえない。
  治安上なら相対主義も悪くない。


・ 相対主義の「等価」でさえ理解出来ない。永久に対立し決着が付かないのであるが戦い続けるということの性格上、おそらくどちらかが正しいのだ。よって治安上でさえ不安である。しかし10割の充足は危険だから7割の充足で我慢ということもあり得るので、治安哲学として何とか成り立つか。


・ 原理的世界考察が必要です。始まりがあり、終わりもある。時間を有限に。進化の頂点を置く。有限だが果てがなく広がりがない宇宙。(無限でも良い。広さと、進化などの成長は違う。)世界はビデオテープであって始まりがあって終わりがある。終わった瞬間にいかなる時間も挟まずにに始まりに戻り、それが永遠に繰り返される。世界は化石になる。外の世界は何も無し。新、永遠回帰説。  


・ 数学という手法により導き出される結論。愛とは力の争いに過ぎない。このことから全ての道徳が反駁される。世界は力への衝動である。力こそ全て。私は神になりたい。


  哲学教授や科学者は無邪気に永遠回帰説(混沌)を唱えるが、自分の言っていることが果してどういうことを意味するのかを全く理解していない。


  良い哲学者であることの条件----毅然とした正しい人間であること。道徳的天才であること。       
                                                          
       
                                                      
                                            改訂 1999/6/6 (改訂2000/12/28)  by ひかる   


<参考文献---権力への意志(ニーチェ)>