「奇蝶と信長」


 信長は十六歳で、美濃の国主で蝮といわれた斎藤道三の娘、奇蝶(お濃の方)と結婚した。政略結婚なのはいうまでもない。
 結婚して一年ばかりしてからのこと、信長は毎夜、奇蝶の眠るのを待って寝床を抜けだし、明け方にならないと帰らなかった。それがひと月ばかりつづいたので、若い奇蝶は、「お好きな女のもとへお通いなのはわかっております。しかし、それならそれとはっきりおっしゃってくださいませ。わたしにも考えがありますから」
 と嫉妬の目を怒らせた。
 信長はにやにや笑いながらなにも答えず、やはり、夜毎に出かけて行った。奇蝶は自分の言葉が無視され、その行為があまり長くつづくものだから、
 「夫婦は敵味方や親子を超えた一体のものなので、かくしごとをしないでいただきとうございます。それとも、やはりわたしが蝮の娘なのが気に入りませぬか」
 と泣き、口説いた。
 信長は、お前がほんとうにわしの妻なら、かくす必要もないといって、
 「じつはお前の父、道三殿の家老二人がわしに内通していて道三殿を討ち果したなら、国境で狼火をあげることになっている。わしは美濃に討ち入る準備もひそかにしているゆえ、その狼火を見に行くのじゃ」
 とうちあけた。しかし、夫婦は一体だといっても、やはり親子だからと、道三への音信を固く禁じた。
 その後も信長は毎夜出かけたが、しばらく経つと、奇蝶を信用したらしく、時候伺いの手紙くらいは出してもよいだろうといった。
 奇蝶は早速、信長から聞いたことをみな手紙に書いて父のもとへおくった。
 道三は美濃へひそませている間者(諜報者)の報告とも一致するので、容赦なく家老二人を上意討ちにしてしまった。信長は間者もてだてを用いて、たばかったのだった。
 これで道三は二人の股肱を失い、にわかにその勢力が衰えた。