権力への意志

  


       


・ 階序。価値を決定し、最高の本性の持ち主に方向をあたえることによって、数千年の意志に方向を与える者こそ、最高の人間である。


・ 価値感情は上方と下方とでは異なっているという絶対的確信。無数の経験が下方の者には欠けており、下方から上方へ向かってのときには誤解が必然的なのである。


・ 崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても、最高の価値をもっている。というのは、まったく重厚で稀有な事物が、豊富に、多くの世代をつうじて育成され、いっしょに保存されているからである。


・ 偉大な人間に対する闘争は、経済的根拠からは是認される。彼らは、危険であり、偶然、例外、荒天であり、ゆっくりと気付きあげられ基礎づけられたものを疑問視するほど十分強い。爆発的なものを無害に爆発させるのみならず、能う限りその爆発を予防するということが、すべての文明社会の根本本能である。


 どこにより強い本性をもとめるべきかの問題。----独居的種の徹底的没落や変質ははるかに大きく恐るべきものである。彼らは、畜群の本能を、価値の伝統を、おのれの敵にまわしているからである。弁護のための彼らの道具、彼らの防御本能は、はじめから十分強くはなく、十分安全ではない。----彼らが繁栄するためには、多くの恵まれた偶然がなければならない(----彼らは最も低劣な社会的にはまったく見捨てられた諸要素のうちで最もしばしば繁栄する。人格を探しもとめるとすれば、そうしたところで、中流階級においてよりもそれだけいっそう確実にみいだされる!)。
「権利の平等」をめざす階級闘争、---この闘争がほとんど片付いてしまえば、独居的人格に対する闘争が勃発する。(或る意味ではこの独居的人格は民主主義的社会において最も容易に保存され発達することが出来る。すなわち、それは、より粗野な弁護手段がもはや必要ではなく、秩序、実直、公正、信頼になれた或る習慣が平均条件に属しているときなのである。)
 最強の者は、最もしっかりと拘束され、監視され、鎖につなぎとめられ、監督をうけていなければならないと、そう畜群の本性は欲する。畜群にとっては、自己圧制の、禁欲的隔絶の、ないしは、もはや我にかえることのない消耗させる労働における「義務」の制度が、必要なのである。


・ 位階を決定し、位階を廃するのは、権力量のみである。しかもそれ以外の何ものでもない。


・ 位階を決するのは権力量であり、君自身がこの権力量にほかならない。残余のものは臆病である。


・ 位階について。「平等」の戦慄すべき帰結----ついには各人があらゆる問題にふれる権利をもっている、と信じている。全ての階序がなくなってしまった。


・ 大衆に対する高級な人間の宣戦布告こそ必要である! おのれが主となろうとして、いたるところで凡庸なものが提携しあっている! 柔弱ならしめ、柔和ならしめ、「民衆」を、ないしは「女々しきもの」を通用せしめるすべてのものが、普通選挙に、言いかえれば低級な人間の支配に有利なようにはたらいている。しかし私たちは、対抗手段を練り、こうした全部の騒ぎ(ヨーロッパにおいてはキリスト教とともにはじまったところの)を明るみにだし、審判の座に引きだそうと思う。


・ 私は、普通選挙の時代において、言いかえれば、各人があらゆる人間とあらゆる事物を裁くことの許されている時代において、階序をふたたび樹立することを迫られている。


・ 未来のヨーロッパ人の総体的相貌。すなわち、きわめて勤勉で、根本においてはきわめて謙譲で、異常なまでに好奇心に富み、複雑で、甘やかされた、意志薄弱な、最も知性的な奴隷獣としてのこのヨーロッパ人。---一つの世界市民的な欲情と知性の混沌。どうしたらこのヨーロッパ人から一つのより強い種が引きだされえようか? 古典的趣味をそなえたそうした種が? 古典的趣味、すなわちそれは、単純化、強化への、幸福を可視的ならしめることへの、恐ろしさへの意志であり、心理学的裸形への気力である(---単純化は強化への意志の一帰結であり、幸福を、同じくまた裸形を可視的ならしめることは、恐ろしさへの意志の一帰結である・・・)。あの混沌からこの形態化への高まりを戦いとるためには---そのためには一つの強要を必要とする。ひとは、徹底的没落か自己貫徹かの二者選一をなさなければならないのである。支配的種族は恐るべき強暴な発端からのみ成長することができる。問題、すなわち、20世紀の野蛮人はどこにいるのか? 彼らが、巨大な社会主義的危機ののちにはじめて姿をあらわし、身を固めるであろうということは、明白である、---彼らは、おのれ自身に対する最大の冷酷さに耐え、しかも最も長い意志を保証することのできる要素となるであろう。


・ 哲学者の本来的に王者的な天職はこうである、「邪なるものを正し、正なるものを強め、正なるものを高めること」。


・ どうしたらより強くなるのか? ---ゆっくりと決断すること、そして、決断してしまったことを強靭に固執すること。すべてその他のことはこれに引き続いて生ずる。
 熱しやすい者と冷めやすい者、これが弱者の二種類である。おのれを彼らと取りちがてはならない。距離を感ずべし---機を失せずに!  お人好しの者を警戒せよ! 彼らとつきあえば無気力となる。本能のうちにもっている攻防の武器を磨いてくれるいずれのつきあいも、優れている。おのれの意志力を吟味するという工夫心は全部そのうちにある・・・知識、明敏、機知のうちにではなくこのことのうちに自他を区別するものをみとめること。
  機を失せずに、命令することを習得しなければならない、---服従することと同様に。謙譲を、謙譲における手心を、習得しなければならない。つまり、おのれが謙譲であるとき、相手を際立たせ、畏敬することを。同様に、信頼することで---相手を際立たせ、畏敬することを。 


・ 「私はこれこれのことを意欲する」、「私はこれこれのことがかくかくであってくれたらとねがう」、「私は、これこれのことがかくかくであることを知っている」---力の度合い。すなわち、意志の人間、要望の人間、信仰の人間。


・ つぎのことは純然たる力の問題である。すなわち、社会の保存条件やその先入見に反抗してどこまでおのれを貫徹するか? ---たいていの者がそれで徹底的に没落するところの、おのれの恐るべき固有性をどこまで解放するか? ---どこまで真理を迎えいれて、真理の最も疑わしい側面を心にとどめるか? ---はたしてそれらを支配するにいたるであろうかとの疑問符をたずさえながら、苦悩、自己軽蔑、同情、病気、背徳をどこまで迎えいれるか? (---私たちを破壊することのないものは、私たちをより強くしてくれる・・・)---最後に、それらでおのれが卑俗にされることなく、常則を、凡俗な、卑小な、善良な、正直な者を、平均的な本性を、どこまでまともに正しいとみとめるか? ・・・性格の最も強い試練は、善の誘惑によってわが身を台なしならしめないことである。奢侈としての、洗練としての、背徳としての善。


・ 行為に考えおよんでもよいようになる以前に、私たちは数しれない仕事をなしおえていなければならない。しかし主要なことに関しては、あたえられた状勢を賢明に利用しつくすことが、おそらく私たちのなすべき最善最適の活動である。偶然が提供してくれるそうした諸条件を実際につくりだすことは、いまだかつて生存したことのない鉄のごとき人間を前提する。まず第一には、個人的理想を貫徹し実現すべし
  人間の本性を、人間の最高のものの起源をとらえた者は、人間に戦慄し、すべての行為を避ける。すべての行為は、遺伝された評価の結果にほかならない!!
  人間の本性は悪であるということは、私の慰めである。このことが力を保証する!


・ 「パラダイスは白刃の影にひそむ」---これもまた、魂が高貴な好戦的な血統のものであることを推測させるに足る象徴であり標語である。


・ 生理学的純化と強化。新しい貴族政治は、それと抗争する対立を必要とする。それは、自己保存のために、恐るべき切迫をもたなければならない。
  人類の二つの未来。すなわち、1) 凡庸化の帰結、2) 意識的な傑出、自己形成。
  間隙をつくりだす一つの教え。この教えは最高級種と最低級種とを保存する。(それは中級種を破壊する)。
  これまでの貴族主義者たちは、僧俗を問わず、新しい貴族政治の必然性に反対する何ものをも証明していない。 


・ 「人類」ではなく、超人こそ目標である!  


・ 痛ましい緊張と傷心のときには戦いを選ぶべし。戦いは、鍛錬し、筋肉をたくましくする。


・ すでに十年が経過した。もはや私の耳に達するいかなる物音もない---降雨なき土地に。乾燥のうちにあって憔悴しないためには、人は多くの人間性を保有していなければならない。