薩摩隼人について






・ 彼らは原理的である。儒教、禅宗仏教があるが、禅宗においても野狐禅は嫌う。宇宙の法則を見極める為の禅である。真理を好み混沌を廃す。ニーチェ曰く、「真理から離れていれば離れている程人は美しくなる。」


・ シラス台地によって貧しいのだが反骨心が育つ。努力家。建築物も無いがそれによって人を強める。「人は城、人は石垣」 しかし建築物は長年に渡って人を啓蒙する。今の鹿児島の下らなさはその事に起因するとも言える。熊本は素晴らしいもの。ホームに降り立った時からのあのアットホームさ。大都会で健康的で個性的でアットホーム。それに比べて鹿児島の雰囲気。何だか洗脳されているような、ゾンビのような。しかし私学校的理念を保っている一部の人には相変わらずの、剛毅さ、優しさが伺えるのである。


・ 原理的であるのでホメロス的ギリシャ人に似ている。激烈さは彼らより上。愛の元に勇ましい。示現流を見よ。(開祖東郷重位) 奇声を上げながら突進し 一撃で相手を袈裟切りにする。刀で防げば刀ごと十文字に。防ぎは無い。攻め太刀だけである。薬丸(野太刀) 自顕流となるとさらに激烈である。使い手に桐野利秋(中村半次郎)、田中新兵衛、辺見十郎太などがいる。彼らは西南戦争で活躍した。田原坂の戦いでは抜刀隊として兵児達が突っ込んだ。それとステガマリという関ヶ原の退却戦の時に用いた自己を捨石にする戦術があるのだが、それらは後の大東亜戦争の時の神風特攻隊に影響を与えているとも言われる。民族主義はどうかと思うが、理念が何であれ勇敢さは素晴らしい。


・ 男色を重んじる。同性で性交渉をする。仲間を大切にし裏切らない。戦場で命が危険に晒されている時でも決して仲間を見捨てない。


・ 芸術もある。薩摩琵琶という琵琶曲である。勇ましい雰囲気である。仏教的な優しさも持つ。勇猛心を育てる。情操を育てる。


・ 記憶力がいい。一度知り合った人は忘れない。そして下郎の侮辱も忘れない。


・ 西郷隆盛は薩摩理念の頂点である。彼は類型を重んじ、しかし自立を重んじた。薩摩剣術が薬丸流ということに関係している。薬丸流の稽古は一人で横木を(立ち木)一万回近くも打つということをする。実戦では真剣だが練習には木刀を使う。真剣で兜を袈裟切りに叩き割るか、生竹を逆袈裟に切り上げることが出来れば免許皆伝である。大抵は山奥などで独り隠れて修行する。よって個性的な人間になりやすい。そしてそれらには立派な男が多かったのだろう。
  南州は優しかった。至誠。そして果断だった。しかし僕が思うには彼は優しい余り果断さが足りなかったと思う。だから村田や野村より、桐野、辺見を好んだ。だから西南戦争で負けるのだ。上策の野村案を取らず、下策の桐野案を取った。熊本城攻めである。仇名を付けよう。杏仁豆腐である。(言い過ぎ。しかし僕や信長に比べれば。)


・ 西南戦争とは何だったのか。僕が思うには思想の相違である。富国強兵は同じく必要だがその背景である。法治的対人治的。法治的な社会は国民を堕落させるが、人治的な社会は人を育てる効果がある。あるシナ人が言うところによると、「多くの法が敷かれる時、国家は没落に瀕するであろう。」 外国への体面を重んじる余り悪い模倣をした。愛をどれだけ重んじるかいうことが相違を生む。大久保利道ら明治政府は武士を否定する政策を取った。又は富国強兵を第一にする余りその長所を見ず、武士の軍事的古さや経済感覚の無さだけが目に付いたのだろう。しかしそれは決定的な短所である。新しい時代に対応出来る薩摩人、島津斉彬の夭折が(毒殺説もある) 後の日本の命運を決めた。現代の日本は法治的な社会であり、宮台真司の相対主義的リベラリズムがまかり通るが如く真のモラルに欠ける。民主党の鳩山由紀夫は薩摩武士道の復興である。期待したい。しかし望み得るのは法治の中での改善であるが。もう一つの道は宮台主義である。相対主義は大衆に最低限の常識を守らせることが出来る。相対主義は形而上学的にいって無茶苦茶なのであるが。
 歯車対感情の古典の戦争。大久保利通が積極的に導入しようとした西洋文明はソクラテス以後、行動や情熱や感性を滅却させ、人間を平静に冷ややかに感性を潰してきた。知識膨れで博識を重んじる、非芸術的状態を進ませてきた。また西洋近代に入ってからの官僚制化は学問を専門化し、仕事も細分化し、人間を感性の欠けた非人間的な歯車にして来た。又フランス革命による民主主義は、人間の高さを認めないことによって高貴な人間を苦しませたり(ダンディー)、社会を卑俗なものにして来た。そのようなものを受け入れる大久保派(彼は真性の薩摩隼人からは嫌われていた)と対立したものは何か。ニーチェが「反時代的考察」の中で反近代を当然含み、そして人間の理想像として挙げたソクラテス以前ホメロス的ギリシャ人にも匹敵する、感情の古典(彼らの絶対理性主義、狂気の誠意をこう呼ばせて貰う)、我らが薩摩隼人達である。1877年(明治10年)、とんでもない戦いが起こったのである。同年9月末、西郷隆盛自刃。古代的な健康さ、素朴さ、力強さ、美しさ(容姿など)が、集団としては、そこで世界史から消えた。 ..........僕はその貴重な残存である。


・ 薩摩の教育はアテナイの教育と類似している所がある。教養は最低限で良い。大切なことは博学であることなどではない。血肉化していること。人間に欠けていてはならない。真の教養とは日々証明されているものでなければならない。また戦場で遅れを取ってはならないからである。まあ現代では白兵戦など大切な事ではないし、(おそらくは戦争自体。あるのは小規模紛争だけである。)せっかく学問も精緻に発達しているので良く勉強し精神的であるべきだろうが。
  学問は己の高貴さへの自信を失わせる。又、行動力を奪う。一々証明して貰わねばならないものになど大した価値はない。高貴な人間は本能的に行動する。刀を振り上げて甲高い叫び声と共に突進する。威嚇、気合を込める、「自分は正しい!!!」。


 武士道こそ日本が世界に誇れる唯一のものである。薩摩武士は武士の生粋である。僕が日本の歴史を眺める時、織田信長以外では薩摩隼人だけが胸を熱くさせる。僕はその血を受け持つ隼人族である事を誇りに思います。


                               1999年6月24日(2000/2/14改訂)  by ひかる  今後とも加筆修正あり。 

<参考文献---薩摩琵琶(越山正三著)  跳ぶが如く(司馬遼太郎著)>