雑感





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1 ・ 下劣な人間というものは人の表面的な特徴ばかりを指摘し、全人的に侮辱する。かくすることによって自己の下劣さを暴露する。


2 ・ 几帳面に行き過ぎということはない。必ず何らかの報酬を見出すはずだ。それによって全てが塗り替えられることもある。


3 ・ 妖精達と戯れながら僕は死ぬ、明るい昼間に。世界が砕ける。ディオニュソス。人は徹底的ニヒリズムの中では生きることが出来ない。


4 ・ 愛の天使---尾崎豊、ジョンレノン、イエス、西郷隆盛、薩摩隼人達、鳩山由紀夫。神々---ニーチェ、ホメロス、織田信長、ひかる。


5 ・ 尾崎豊---濡れた心の襞。人類への憐れみ。諦めの混じった深い悲しみ。愛という真理への殉教。偉大な日本人への用意。


6 ・ Jimi Hendrix---彼の祖先はアフリカ人とアメリカンインディアン。混沌と戦闘。クラシック和音の感触など表面的にはベートーベン、内容は戦闘的な部分のワーグナー。(神々の黄昏などは除く) 混沌を示唆する音は戦闘的な音と解釈出来る。 


7 ・ 新しい対立---貴族主義対民主主義。 


8 ・ 高貴な魂を持つ人間は人々と出会い過ごしてゆく中で、人間的な、あまりに人間的なものへの同情、魂の品性への同情から、眼を塞ぎ、騙されたふりをし、実際に騙されてしまうものだ。
 下郎は謎めいている。僕には最初の接触でそれとわかる。一般人でさえ例外者から見れば謎めいている。修羅場になれば発露する。もしくは時間の経過が、謎めいて見えたその理由を知らせる。(再開の折に) 形容して「人間でない物」もいる。関○誠、空手の師範。破壊欲の塊。麻原彰晃以上にある不信感を感じさせる。感性を食う怪物。長い間彼と接していると目つきがおかしくなる。洗脳された女の子もいる、野○久○子さん。


9 ・ ああ僕の妖精達! 今日も幻の友と仲間と戯れる孤独な人間。下郎もまた。


10 ・ 愛とは力の争いに過ぎない。このことから全ての道徳が反駁される。人生は力の争いである。逃げ場なし、死に狂うのみ。この思想への変化が人生においての最大の変化である。その後破滅が訪れるがもう一度世界へと戻って来なければならない。混沌という誤謬は好んで知るものでもない。だから、道徳家から無道徳家になることは精神的変化の内で最大で最終のものである。


11 ・ 現代の混沌は世界創造以前の混沌ではなく、世界創造以後の混沌である。


12 ・ ニーチェの著作が出版されて一世紀近く経つが、彼の思想を正しく理解したのはただ一人しかいない。他人の血を理解することは容易には出来ない。真剣になること、本気になること、そう生きてみること。血をもって読むこと。


13 ・ Redio Headのアルバム「Ok Computer」---地面を這いずり回るとかげ。僕はとかげ。地面にへばりついて生きる。アルバム 「The Bends」---新宿との戦い。紫色の地獄。僕の曲「紫の街」と似ている。(真似した) 又はルナシーのアルバム「スタイル」に。Redio Head---地の塩対奴隷。


14 ・ 僕はこれから続々と現れるであろう「新しい貴族」の先駆者の一人であり、人類の未来を担っている。だから例えば腕力を奮わなければならない場面においても臆病な程に保留する。ミスは許されない。僕は哲学者だ。僕はホメロスにならなければ。「ニューポリス」の創造。


15 ・ 隠遁者の孤独。いつも一人ぼっち、さみしいから求めるのさ。僕の仲間、妖精たち。笑ったり、泣いたり、怒ったり、微笑んだり、甘えたり、甘えられたり、キスしたり、腰を合わせたり........。いつも最後に呟くのは、誰もいない、誰もいない、誰もいない、誰もいない..........。


16 ・ 現代において富や名声を求めるのは卑しいことだ。価値を決めるのは大衆である。大衆の需要に見合ったものが価値或るものになり、大衆の需要に見合わないものは無価値となる。
  人々を大衆と呼んでいる者の殆どもまた大衆である。ここで言っているのは現代の知識人、教養人、芸術家、哲学研究者、学者たちのことなのだ。 


[2001/9/13 改訂]

17 ・ 現代ほど永遠回帰説(混沌)や相対主義が流行った時代はないだろう。しかしそれらを反駁しきり、原理を打ちたて、来たるべき社会を準備すること。これが哲学者としての僕の使命である。


18 ・ どこにでも、思いもつかないところにも美はある。自宅の手洗いに聞こえる空に響く小さな轟音。ああ、国道バイパスの音だったんだ........。遠くから遠くへと荷物を積んだトラックは走り去ってゆく。一瞬限りの出来事。二度とは巡り来ない一回限りの美。


19 ・ 僕は雨が好き。叙情的な雰囲気。全てが包まれてゆく。女々しい安らぎ。女々しくはない、美少年の完成、愉悦。自宅にて、深夜2時の神化........。
  ----夕方、デパートの玄関口で雨宿りをしている時の行き交う自動車。路面に反射する光。雨に輝く街。一瞬だけの出来事。深い、戦慄の幸福が、来たり来ては消えてゆく。
  それと夏の雨上がりの深夜、熱帯の夜、街灯の黄色いめくるめく光が続く道路。道路の真ん中に立ち止まり眺める。未だ見知らぬ国がある。美しき未来の予感。


20 ・ 熊本は随一の街だ。駅に着いた時点から感じる街の雰囲気、大都会でアットホーム、健康的で病的なところが何一つ無い。個性的でエネルギーに溢れる、しかしどこか深い所に調和感を感じる。酔っ払いの気の良さ、明るさ。深夜で人通りはなく静かなのにエネルギーが路面から立ち昇る。この街の良さは加藤清正築城の「熊本城」に拠る所が大きいと思う。建築物は人を啓蒙する。(碌な建築物のない貧乏薩摩とはいい比較だ) 天守閣から数時間街並みを眺める。強いバイタリティーを感じる。肥後は官。維新に因る変化が薩摩より少なかったのだろう。個性人の肥後もっこすと民主主義的自由とが巧く噛み合っている。しかし調和感。類型を重んじる精神の名残りが見える。


21 ・ あるクレタ人が言った。全てのクレタ人は常にいつも嘘を吐く。----矛盾した言葉か。答えは矛盾などしていない、である。クレタ人は常にいつも嘘を吐く嘘吐きである。分析してみよう。A:まず、クレタ人が全て皆嘘吐きという表白についてではなく、普段の素行においてはクレタ人は嘘吐きである。B:クレタ人は何について嘘を吐いているのか。その対象は。嘘には対象がある。嘘吐きだと嘘を吐いているのか。それでは何の嘘吐きか。嘘吐きという言葉を成り立たせるその原点は。ある嘘吐きが「俺は嘘吐きだ」と言ったとしたら、そこには普段の素行が隠されているだろう。「ある嘘吐き」には普段の素行が隠されている。「俺は嘘吐きだ」にも普段の素行が隠されている。この表題の問い掛けに隠されていて決して欠けていてはならないのは、クレタ人は普段の素行において嘘吐きであるということである。嘘吐きという言葉を成り立たせる原点だ。嘘吐きという言葉を成り立たせる為には、普段の素行が嘘吐きでなければならず、普段の素行が嘘吐きである為には、その表白が嘘であってはならない。----この嘘吐きのクレタ人が言うように、クレタ人は常にいつも嘘を吐くのである。その表白は嘘ではない。


22 ・ 己が高貴でしかあり得ない故に己を恥じるのは高貴なことだ。ニーチェも同じことを言っている。僕は孤独が好きだ。誰も傷付けないで済む。社交の折に人々の物足りなさに眼を閉じ故意に騙されるるは上品の極み。人を傷付けるのはもう嫌だ。マゾヒストとして人々を包みたい。もう残酷さに耐えられない。----しかしこれらの思いは弱さである。


23 ・ 復讐したいくせに臆病から復讐出来ないのを強さと勘違いするなかれ。我慢することの大抵は単なる臆病である。


24 ・ 音楽はアポロン的である。肉体に働きかけダンスをさせるから、感動が体に響くからといってディオニュソス的なものではない。音楽は科学的残酷さ以外にない。薩摩隼人=ロック。


25 ・ 肉体はアポロン的である。概念のアポロンと肉体の混沌ディオニュソスという区分は間違えている。


26 ・ 独我論は下らない。僕の観念界が全てだ。(まだ知らないことがたくさんあると思っている) 他には何も無い。その観念界の中で知られる人々の観念。認識し得る人々の観念。又、僕の観念は死後も世界が続くだろうと思っている。つまり独我論は意味が無い。現象学の下らなさ。科学客観主義の正しさ。断言、他人の心は完璧に知ることが出来るであろう。どこかに民主主義的低意があるのではないか? 他人との連関を断たなければ下位に押しやられるからだ。


27 ・ 現象学を相対主義と結び付けるのは愚かである。自己の観念を超えたものを静かに認め、........だから相対主義? 独我論的現象学とは、自己の観念界を超えたものは無い、いやあるかもしれない、という壮絶な思想。それが随分お気楽になったものだ。相対主義とは---他人は認識し得る、それに賛同しない、しかし許容する、である。あるかもしれないがもしかしたら無いかもしれないものなど相対化出来ない。相対化するだけでは飽き足らず、さらに、実は何か深い思考があると思わせたい虚栄から現象学を取り出し、相対主義と結び付ける。相対主義自体全くおかしいものだが、現象学と結び付けることは相対主義の理論構造さえ崩壊させてしまう。皆さん、そして教祖プロタゴラスさん。相対主義の理論構造だけでもせめて成り立たせるために現象学と切り離して下さい。


28 ・ ベルグソン批判。「自然によって人間に課せられた物質的条件が根本的に変化し、そのために精神的な側面で根本的な変化が可能となる日」----混沌を制圧する最大の強度である科学的残酷さ以外に真理はない。食べるための残酷な真理ではない。ロボットが人間を労働から解放しても真理は変え得ない。キリスト教徒め、ユダヤ人め、ゲットーへぶち込め。
 機械論は全く正しい。人間を含めた自然は残酷である。


29 ・ ロボットは(もし人間がその成長を故意に抑制しないのなら)後にあらゆる分野で(音楽まで)人間を凌駕するだろう。負けてはならない。


30 ・ ソクラテス----道徳の創始。キリスト教と民主主義の産みの親。
 煩瑣な学問によって高級な人間の自信を失わせる。学問の創始。高貴さは風姿に証明されるものだ。又、高級な人間は己の正当性を言葉を尽くして細々と説明する必要など無い。(馬鹿軍人ではない) 一々証明して貰わねばならないものになど大した価値は無い。
 煩瑣な法の創始、人を信用しない、そのせいで人々の魂は向上しない。社会のシステム化、人間を虚弱にする、(愛の元でも)戦闘心の扼殺。


31 ・ プラトンのイデア論は道徳としては反駁されたが、真理としては反駁されていない。


32 ・ 僕が空手をやっていた頃。深夜の公園の一人稽古で微風に揺れる木々のざわめきの中、夜の彼方に拳を放った。その頃は政治の事など何も知らなかった。ただ全ての領域で強くなりたかった。この偏執的なまでに細部にこだわった練習が、必ず何かに報われると信じた。神に近づく一歩と信じて、拳を放った。


[2006/4/13][改訂]

33 ・ 僕の祖父は拳を握り締め見せ、よく言ったものだ。「負けたらいかんぞー、負けたらいかんぞー。」 絶対的真理の元で生きてよいとの確信。真理への不信から(その真理を主張する人間が真理への不信を目覚ます)甘えである世界創造以後の混沌を主張する人たちへの絶対的反駁。それと命令する資格。後は復讐する事の正当性。
  僕の祖父は鹿児島県指宿市に幼年期から青年期を過ごした。大東亜戦争から帰って来て(中国方面の偵察隊)熊本県鹿本郡相良市で農業を営んだ。貧しい家庭だった。1994年2月没。享年78歳。彼が信仰していた創価学会ではなく、天台宗で葬る。彼の実家は金持ちだった。士族階級とは聞いていたが城下士か。実家の土地や財産は軍に進んで貸し、しかし負けたので戻らなかった。彼の残りの財産も後に友人に騙し取られた。美青年だった。写真が残っている。俊敏な戦士だったのだろう、その様な体つきだ。老年になってもその俊敏さや体力は衰えることがなかった。剛毅で優しい、生粋の薩摩隼人だった。
  祖父の毎朝の祈りを忘れる事は出来ない。母の帰郷の折り、朝はその祈り声に包まれて目覚めた。剄くて優しい声、深い深い声。深い安心感。優しい朝。線香の香りと深い優しさに包まれて。僕も何人かの人をその様な気持ちにさせたことがある。


34 ・ 死の恐怖から逃れるには、
 入滅すること。
 スーパーマゾヒストになること。堕ちて、堕ちて、死を与えられることさえ喜びと成せばよい。どうせさらなる権力への可能性はない。お願いです、殺されるということでもいいから相手にして下さい。
 人を殺しまくって支配者になれ。支配者として楽しめ。女の四肢切断、生首狩り。性交を為しつつ。 


35 ・ 尾崎豊の「ドーナツ.ショップ」(特に大阪球場でのライブ版)----瀕死の白鳥、もう少し強いか。「この街の中では、僕以外の何もかもが僕を否定しようとしていた。」 追い詰められた高貴な魂。残り少ない力を振り絞り、光へ。アイデンティティー。絶対的な高貴さ。そよ風の吹く夕暮れの街を歩き出す。少しずつ体にエネルギーが漲ってゆく。もう一度、もう一度。深い自信を持って、余裕を持って戦いゆく。深い自信と余裕を顔に浮かべて、僕は敵の前に立つ。


36 ・ 知的正直性が行き着いた所の自己確信の爆発、これが高貴さの証である。


37 ・ 義があってこそ行動に意味がある。また多量の義が行動に結び付く。義が熟れ落ちた所の果断。(西郷南州)


38 ・ SMと命令服従は違う。ローマ(そういう部分)、そして特にナチス対ギリシャ。学者による学問の教授はギリシャ的。SMは変質しており病的である。


39 ・ 三島由紀夫の言う「虚構」は、虚構の虚構である。 2重目の虚構は最初の虚構? 身勝手な物は造れない。


40 ・ 三島由紀夫---何か無理をしている。知ったかぶっている。己の分に過ぎた題材を取り扱っている。
  上品さを備えた立派な精神ではないが多少は精神的な人間、というものは奇を衒いたがる。価値あるものに出くわしても一般の人達のように一々驚嘆したくはない。出来るだけ平然と、当たり前の事であるかのように振る舞う。(もちろんそれは上品なことではない。良いものは良いと賛美すべきである。高級な精神に見られたがっている虚栄的な者どもの嘲笑など無視せよ。) 多くの人々において度々見られるその様な下品さを、彼は持っている。


41 ・ 風姿に表明されないが立派な事を語る人間を警戒せよ。危険だ、化け物かもしれない。


42 ・ 僕は幸せになりたい。努力は苦しいけれどその後に真の喜びが訪れる。神々の幸福が。一度体験済みだ。もう一度、いやさらなる喜びを。


43 ・ ディオニュソスなどに何の事があろう。アポロン主義こそ肝要なことだ。僕は愛に、薩摩に、そして貴族主義に殉教する。


44 ・ 20歳の頃のフィーリング力を捨てたくはない。尾崎豊が言うところの、愛を求める心の叫び「心のクラクション」、僕に言わせれば力への衝動「ロックンロール」を。父性愛が行き過ぎてはいけない。愛の、同情へと流れてはいけない。だけれど人々を真の幸せに引き上げたいんだ。人々の叫びを聞く耳を捨ててはいけない。失くしたくない、手放したくない、忘れたくない。


45 ・ 同情というのは見切れば見切る程に強くなる。同情を礼賛する者は、あまり同情心に厚くない。行動にも移せない。
  もちろん、同情心を厚くするために冷酷になる訳ではない。あくまで結果である。
  冷酷な人間に許されているのは父性愛である。冷静に。我が身を危険に晒さぬ様に。


46 ・ ディオニュソスなど唯の遊びである。永遠回帰の学説を理解しているとは知的で素敵ではないか。女の子にでも軽く披露したら。


47 ・ 僕は失わざるべくして貴族である。どうしようも無い。


48 ・ 貴族的な人間が人々に交わる事の出来る形式の一つとしてマゾヒズムがある。堕ちて、堕ちて、交わり易く。その内に支配者に戻れなくなる。焦りと、そして喜び。ほぼ全ての女性に女王様を投影し、マゾヒズムを欲情する。もう戻れない! 抜け出そうともがいてみても麻薬中毒のように挫折する。(その敗北感がまた快感。ああやっぱり駄目だったんだ。もう何度目だろう、やっぱり敵わないんだ。抜け出せないんだ。もう駄目だ。僕は犬だ。マゾ犬だ。どこまでも堕ちてゆく.........。これでいいんだ。僕は芋虫だ、尺取虫だ。女王様、首を締めて殺して下さい..............射精。) もう戻れない、このまま堕ちてゆけばいいとの安堵感。抗う必要は無い。そして人々に気を使うことなどなく虐めてもらい続ければいい。糞尿を生きる糧とし........。さあ去勢の日が来た。そして両手で首を締めて殺していただく日だ..........。


49 ・ ハムレットは嫌い。まるで世界が実は混沌としているみたいじゃん。アマノウズメの命も嫌い。何で再創造しなきゃならないの? まるで世界の実相がカオスみたいじゃない。スサノオの尊が宮台真司のことならいいのだけれど。


50 ・ 絶滅者ディオニュソス宮台真司。彼はディテュランボスを唄う。宇多田ヒカルにでも曲を付けてもらったら。


51 ・ シェイクスピア最高の悲劇作品「ジュリアス.シーザー」。---マーク.アントニーは言った、「ブルータスよ、あなたは偉大な人間だった。」 その通りだ! 僕も観客と共にそう叫びたい。凄い悲劇だ! 観客まで出演者になってやがる。


52 ・ 選ばれた人間にだけ解るように語ること。我々の危険さが知られないように。また愚鈍な者どもに理解している、と騙されないで済むように。


53 ・ エアロスミスのアルバム「Nine Lives」より。「Hole In My Soul」。---胸を引き裂く深い苦痛。別れ、別れ、別れ。仕方ないだろ。砂漠に建つ一軒家は炎に包まれる。家の中には女がいる。男は背を向けて歩き出す。
  「Kiss Your Past Good-bye」---砂漠の一軒家を起ったあとの追憶......。許せ、仕方ないだろ。さようなら。俺だって悲しいさ。叫びたい「Good-bye--!」
  「Crash」---新宿都庁に爆弾を仕掛けた爆弾魔。車に乗って全速力で逃走する。スリル!スリル!スリル!!


54 ・ ブランキージェットシティの「15歳」は江原理恵さんに。(彼女は冤罪分裂病) 何も怖がることはない、僕の側においで。大切な仲間である君のために、全てを壊してあげる


55 ・ 18歳の生命力を感じさせる5月の花の匂い。


56 ・ 入浴の折、先ず浴槽に浸かる時、たびたび思い起こす感覚。----天才として、哲学や宗教を新しい段階へ切り開こうと情熱を燃やした十代後半、浴室で突き詰めた思索をした。灰色のもやと暗黒の渦と、深い苦しみと不思議な落ち着きと(居場所)、選ばれた宿命の人であることの自覚。


57 ・ 感電の時。電気の味、匂いは、深い世界など何も知らない17の夏。


58 ・ 音楽よりも最も人を追憶に誘うのは香りである。


59 ・ 北OO病院の旧館看室の扉が開いた時に流れてくる匂い。僕の居場所に戻れるような、あの頃に戻れるような、再び僕の仲間に逢えるような。  *さんへ、ここは僕の前入院してた病院。


60 ・ 性の最高の悦びは受動に、尽くされることにある。年上の女に猫可愛がりされること。後ろ手に縛られて騎上位、また指を後ろの穴に入れられ性器を玩ばれ頬にキスをされながら「可愛いよ射ってごらん」。年上の男なら後ろを性器で挿され、中で出される。


61 ・ 世界には法則がある、絶対的真理が。だから生きられる。またロックはそう生きていなければ作れない。
 世界の実相が混沌だとすればその事を示唆する音楽、ディテュランボスがある。そして絶対的真理を示唆する音楽、ロックもまた「ディオニュソス的芸術」ではあり得るのだ。どういうことか? 嘘っぽいもの対真実な心の叫び、虚構である法則対一瞬一瞬移ろう世界の実体、ロックは今の真実を歌う。叙事対抒情。ディオニュソスが何故陶酔の神なのか、について。
  しかしそれは法則世界の中の、真剣で価値ある一瞬一瞬とも言える。


62 ・ 早く核ジャック。16歳の頃に若返りたい、クローンと脳移植によって。


63 ・ 芸術的に洗練された音楽は戦争の前には役には立たないものだ。そんな余裕は無い。軍楽なら良いかもしれないが。ロックは戦闘前でない普段において、傷付いた心には慰めを与え、戦いのビジョンを描かせ、勝利の際には祝福し、魂に自信を与え、リズムによって体にエネルギーを増させ、恐ろしい世界を教え、真理に殉教させるものだ。ロックは魂の戦争を歌う。実際の戦闘直前でも聴けるロックを。それは隼人としての下郎との戦争、そして新国家「ニューポリス」建設の為のCracker Terrorism。


64 ・ 内向的な若者の青年期にしばしば訪れる、超人の時期(方向性が定まったという意味での)というものがある。笑止である。恥ずかしい奴らだ。同情を持たぬ人間は病気である。


65 ・ 愛の中にいるのだが、民主主義の子供っぽいところを嫌ったり衆を超えた例外者を気取りたいので、所詮は愛の中だがそれとは逆に見える場所へ行く。保守主義者、石原慎太郎など。男ぶったり悪魔ぶったりもしている、態度に出ている。病的な所作。ニーチェの保守的解釈。


66 ・ 僕の仲間だ、と自称する者どもに聞きたい。君達は十字架についたことがあるのか? まず愛に殉教していない人間など話にならない。


67 ・ 大切なのは直接の行動である。まず率先して行動すること。「ただメンタルなだけじゃ駄目さ進まなくちゃ」(斉藤由貴)


[1999/7/13]
68 ・ 僕はプロメテウスだ。永久にゼウスに反抗する。反省は一切しない、妥協はない。誰が謝るか。誰が謝って助けてもらうものか。僕は自力で鎖を解く。混沌は誤謬だ、世界はある。新プロメテウス解縛。


69 ・ 僕は人間に火を与える、狂気を。ルシフェルを産み出すこと。


70 ・ 僕は混沌を制圧した。ディオニュソスを誤謬と断罪した。僕は根本においてはニーチェより偉大な哲学者であるかもしれない。


71 ・ 一つの星が破滅して消え去った----だがその光はまだ途中にあるのだが、それが途中にあることをやめるのは、いつのことであろうか?(ニーチェ)   報告します。それはニーチェの見間違いです。破滅したなんて、(彼に失礼な言い方ですが) 「デマ」です。 


[1999/7/16]
72 ・ 世界の実相がカオスだとすれば、ディオニュソスとは一瞬一瞬移ろう世界の実体、アポロンとは嘘っぽいものである法則の事である。観念論の問題ではない。


[1999/7/17]
73 ・ 創世記より。----「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」


74 ・ 僕はケルビムを倒し、回る炎のつるぎを掻い潜って、命の木の実を食べるだろう。


[1999/7/19]

75 ・ バベルの塔は言葉の持つある性格。現象学ではない。


76 ・ 新しい貴族達は精神科医と激しい闘争を繰り広げるであろう。君たちに仮面を付ける余裕はあるだろうか。善の徹底的な演技が出来るだろうか。(その為には新貴族としての絶対的意志が強固なものとなっていなければならない。善の誘惑によって我が身を台無しならしめないこと。性格の最も強い試練。) 深い緊張を持って、君たちは精神科医と闘争を繰り広げなければならない。ミスは許されない。その時には肉体的な手段による人格の破壊をも覚悟せよ。強制投薬、デポ、電気ショック、そしてロボトミー手術。(精神外科療法、大脳皮質前頭前葉切除。)


77 ・ 貴族と精神科医とは絶対的に対立している。騙されてはならない。彼らは君たちの味方を、巧妙に装って接してくるだろう。意中を打ち明けてはならない。


78 ・ 貴族達の、時代との徹底的な、容赦のない戦い。彼らは魂の維持の為に時代の全心理学と戦わなければならない。言葉と言葉の戦争。


79 ・ 孤独は七重の皮膚を持つ。「人に交われば 戦慄が戦慄が走るだけ」(自作曲Dark Way) 戦慄の孤独。


80 ・ 新貴族は体力増強、鋭気練成、白兵戦闘の為に武道をやるべきであろう。又は民主主義法下における、法下正当防衛の為に。威圧するのも効果あり。
 僕は野太刀自顕流(薬丸流)をお勧めする。


[1999/7/21]

81 ・ エピクロス主義。----ディオニュソスとは違う。背景にあるのは混沌では無い。
 快楽のための真理? 世界解釈は一つしかない。
 真に充実した人生とは、真理に殉教する人生である。だらけているからそんなことも解らないのだ。
 全ては幸福のためだ。だから少々の残酷さも含むだろう。キリスト教との対立。(決して混沌対法則ではない)
 健全な厭世哲学。


[1999/7/24]
82 ・ 各々、自己の分をわきまえるべし。貴族と中間と奴隷と。


83 ・ 愛は権力を殺す。力を滅却させる。君の志操を強く保て。しかしどんな天才も歳を取るに連れて、次第にその厳しい緊張が弛緩してしまい、最後には愛に跪いてしまう。権力を奪う様々の兆候に留意し、力を奪われないようにしなければならない。


[1999/7/25]
84 ・ 高貴な人間の喧嘩考----
 
  彼らは何処にも属していない。---民衆から受ける不信、攻撃。
  彼らは正しい行動を重んじる。---野蛮で性急な人間に遅れを取る。(しかし多くの心理学的攻撃などにより、致し方なくその誓いが破れてしまえば手のつけられぬ野獣となる。)
  彼らには仲間がいない。---自分への不信、堂々と振舞えない。
  彼らは、本当の思惑は何にせよ、法を重んじる。---刑務所行きの恐怖により本気が出せない。
  彼らは潔癖であるので、己を弁護することにさえ吐き気を感じてしまう。---自分がやる事にしてはあまりにも馬鹿馬鹿しくて、力が抜けてしまうのだ。(馬鹿馬鹿しさ。常識以下の下郎への常識説教、分野は白兵戦。)
  彼らは己の仕事に多くの力を使っているので、下郎対策に力が回らない。---普通人が上手にやるようには上手く対処出来ない。
  彼らは先端的である。科学技術で生活を高めることに強く賛同している。---肉体的に決して強くはない。
  彼らは精神の戦士か、上級軍人である。---白兵戦に長じていない。
  彼らは完璧主義に勝ち気なので、喧嘩などどうでも良い事なのだと解っていても、その事を深く気に掛け、自分より強い人を見ると落ち込んでしまう。---詰まらない人間扱いされる。
  彼らは誇り高い。---些細な事にも深く悩む。
  彼らはその特異性によって多くの低劣な侮辱を受けていて(犬は見知らぬ者に吠えかかる)、その事に深く傷付いている。---単なる苛められっ子扱いされる。


85 ・ 不得手があってはならない。全人的な成長が必要である。----西郷隆盛は幼年の頃悪童に斬り付けられ右手が利かなくなってしまい、剣術の修行が出来なかった。

  彼は強い人望欲を持っていた。
  自分に能力が無いので(武術だけでなく戦略立案能力もだが)、物騒な幕末当時には桐野利秋などに護衛してもらい守って貰った。聖人として尊敬されるようにしなければ。多少の俳優っ気。(悪魔になれないだけではなく、真の聖者にもなれない。)
  優しく見えるだろう優柔不断さを保ちたいので、大事な政治的決定に際して下からの突き上げを待ってしまう。普段から思慮深い者を退け、性急派を好み、彼らを上級職に就けていた。西南戦争の時は彼らの性急さに引っ張られるように開戦してしまった。犠牲になる事が優しさだと思ってやがる、それによってどれだけの人が死んだと思う、また最大野党を潰す事になってしまったというのに。戦略においても相変わらず性急派好み。(というより全部任せている) 野村忍介は薩人には珍しく思慮深かった。彼は戦争に反対し、戦争になったからには良い作戦を立てた。(彼が指揮を任せられた戦いは常に勝利した) しかし「優しい」西郷は彼の案をことごとく退けた。そればかりか最後には彼への嫌悪を露わにし見殺しにした。優柔普段な優しさを保つために果断さを消して性急な人間に果断さを任せ、思慮深いために性急さが無い人間を嫌う。この野村の件には怒りさえ覚える。
  全般的に西郷は少し卑怯である。


86 ・ 根本においては僕の祖父の方が西郷より立派であるだろう。 


87 ・ 城下士は思慮深く、郷士はあまり思慮深くない。東郷示現流、野太刀自顕流(薬丸流)。


88 ・ 美は華麗さより、素朴さ清純さ。「もっとも高貴な種類の美は、突然魅了するような美ではなく、嵐のように酔わせるように襲いかかる美ではなく(そのようなものは嘔吐を催させやすい)、人がほとんどそれとも知らずにずっと身につけているような、そして夢の中でふとめぐりあったりすることもあるが、長い間つつましくわれわれの心にかかっていた後に、ついにわれわれをすっかりつかまえて、われわれの眼を涙で、われわれの心を憧れでみたすような、あのゆっくりとしみこんでくるような美である。」(ニーチェ) ----僕の本名を見て。


[1999/7/27]
89 ・ ディオニュソス的(実体に近づくほどの真剣さ)----転変する世界の中でいつでも通用するのは、真剣さ。
 日々を真剣に生き切ること。エジプトのミイラ、蠢く青虫、蟻の群れ、生贄に捧げられた少女の記録........。皆精一杯生きたのだ。


[1999/8/1]
90 ・ プロメテウス---鎖を解いてもらうためにゼウスに妥協してはならない。謝った瞬間に彼は死ぬ。
           ゼウスの詐欺に引っ掛かってはならない。


[1999/8/11]
91 ・ 薩摩隼人---僕の神経質さを吹き飛ばす。軍人。しかし彼らとは違うよくある冷ややかさは単なる冷ややかさに過ぎない。誠意ある人間の、新しい社交を始める時の注意深さではない、心の機敏を超えた果断でもない。(官僚的な冷ややかさ) 近代軍隊ではなく武士団、特に薩摩武士団。
 電話の声に匂う、土と木の匂い。素朴で原始的で古代的な健康さ。
 現代隼人には、心の機敏を超えた果断だと言うには余りにもその兆候が少なく、単なる粗野さではないかとも感じる。だが彼らの体の奥に凝縮されたある塊、隼人達がその歴史の中で積み上げてきた真心、至誠。遺伝されたものの強さ。          


[1999/8/13]
92 ・ 無敵の矛と無敵の盾---世界に同じ物は存在しない、どちらかがより大きく壊れる。相対主義は子供っぽいんだよ。
 矛対盾は正物質対反物質? 矛と盾で示しているのは真理の対立であるが、反物質は別真理、別法則、別世界、別宇宙の物ではない。そして矛にも盾にも反物質はあるのだろうが、反物質界で矛と盾をやれ、正物質界で矛と盾をやれ。何で矛が正で盾が反なんだ?
 絶対バットにかすらない球を投げるピッチャーと絶対球にかするスイングをするバッターの対決。両方絶対って本当か? 調べたのか? 絶対どちらかが勝つ。かするか、かすらないかだ。新聞記者の誇大宣伝だ。良く調べてから書け。形容詞の間違いに過ぎない。矛と盾の場合も良く調べてから書け。やってみて、確かめてみろ。結果報告を待つ。


93 ・ 政治的には相対化出来ても根本的には相対化出来ない。


94 ・ 音楽は観念界の出来事、そして音楽は世界観を作る。言語障害者も絶対音楽に反応する。楽しい曲には楽しげに、悲しい曲には悲しげに。音楽は混沌ではない。音楽は知覚を超えた神秘的な物でもない。


[1999/8/14]
95 ・ 観念論潰し----観念界があるから世界がある? その観念界で知覚するのは死後も世界が続くということ、生前も世界はあったということ。


[1999/8/16]
96 ・ 神は死んだ、というのはデマだ。


[1999/8/29]
97 ・ 自殺の理由---より苦しまぬよう。
           又は恐るべきテーマからの逃避。


98 ・ 果たすべき恐ろしい仕事がある。しかし達成の困難さによりその仕事から逃れたいので、その可能性を潰そうとする。マゾヒズム。まだ可能性が。ますます深いマゾヒズムで潰す。.............しかし、人は、いかなる状況においても権力を求める。


[1999/9/10]
99 ・ ペルセウスの神話より---メデューサを直接見てはならない。鏡を見ながら倒すこと。さもなければ石になってしまう。混沌は、それが真実だと思ってしまえば、死ぬ程の強力な誤謬なのだ。(中に入らず外から眺めなければならない) 騙されるな、混沌は誤謬である。誤謬だから誤謬ならしめよう。現代にもメデューサはたくさんいる。(大抵は怪物としても出来そこないだが) 怪物退治は英雄の一つの仕事であるだろう。


100 ・ 三島由紀夫の不自然さ。「俺は混沌知ってるぞー。(嘘吐け) 俺はそこから狂気によって世界創造するぞー。(はいはい、凄いこと知ってますね)」。 小説家だからって言ってもさ、もうちょっと真摯になれよ、破廉恥な奴。


[1999/9/14]
101 ・ 過去の瞬間は改変できない。しかし現在においての過去の瞬間の記憶は改変できる。今の瞬間を充実させる為に過去の恨みを晴らさなければ。
  世界変貌は偶然的で何ら必然性、因果を持たないが、記憶は連続体である。世界は偶然だが連続体である。過去の恨みは忘れられない。


[1999/9/15]
102 ・ 服装によってこんなに気分が変わるなんて。おしゃれをして外に出れば貴族的な雰囲気、人々から例外者としてくっきりと浮き立つ。微笑が浮かぶ、何だか恥ずかしい。
  ジャージに眼鏡で外に出れば、何だかまるでトカゲみたい。人々も汚い物でも見るような目で僕を見る。


[1999/9/17]
103 ・ 閑散とした街や、都会の敵意に満ちた街、僕の見知らぬ街々を僕は音楽に守られて歩む。耳元をすっぽり塞ぐ、ウォークマンを携えて。


[1999/9/17]
104 ・ 遠くから見る花火は綺麗。みんなと一緒に見られたらいいのに。一緒に、あの花火が良く見える所まで歩こうよ。ああ、ほら盛大に打ち上げてるよ。もう終わってしまうよ。 間に合わないから走ろうよ。


[1999/9/18]
105 ・ 怖がるな。俺が怖がっているあいつらは単なる成り上がりの奴隷どもだ。
  民主主義--奴隷の大蜂起。


[1999/9/19]
106 ・ 落ち着いて物事が考えられない。文章も読めない。僕には逃げ場が無い。汚い記憶が魂の奥底まで、後を追ってやって来る。高級な人間を破壊し尽くす、時代の全心理学。


[1999/9/22]
107 ・ 身の回りの些細な事柄から、人は緊張感を得たり失ったりする。


[1999/9/23]
108 ・ 幻と戦っても意味がない。また繰り返すだけ。直接戦わなければ意味がない。だけど色々大変なんだよ。隠遁し過ぎて社会感覚を失くすのは危険。僕は社会的には狂人なんだ。


[1999/9/27]
109 ・ 10代後半の喜び。僕のこのしなやかな体、可愛い若鹿の肉は食される。僕は捕えられ縛られ犯されて、最後には生きたまま食べられる。強力な食欲に誘われて涎を垂らす人間達。最高の美少年は究極的に愛される。(コリンウィルソンの犯罪録を見て) 勿体無いから犯し尽くしてそれから食べましょう。生きたままね。麻酔は打つわ、局部だけど。まずは揉んでから舐め回しましょう。男2人に女3人で。軽く噛みましょう。いい歯応え。騎上位で犯しましょう。男は後ろの穴に射れましょう。何回も射かせましょう。何日もそれを続けましょう。ビデオに撮りましょう。そして麻酔。むしゃぶりつくような目が僕を食す。そして実際に僕の体にむしゃぶりつきだした。歓喜! 美少年の歓喜! 喜悦! 天国! 激しい射精! 射精!! 射精!!!


[1999/10/7]
110 ・ 人生は遊びじゃない、真剣に生きるんだ。芸術は真剣な生活からのみ産まれるべき物だ。暇人の遊びごとではいけない。
  萩原朔太郎は遊んでいる。


[1999/10/18]
111 ・ 生計の問題を考えるに。どう転んでもやはり僕は悪魔であって、絶対に愛の天使などではあり得ないのだ。
 現代の問題にまともに深入りしないこと。


[1999/10/23]
112 ・ 今日、薩摩琵琶を聴きながらそれについての書物を読んだ。僕は隼人族の生み出した天才だ。仏教や儒教の影響を受けた時代を越えて古隼人に達し、信長と融合する。古代の復興。新宗教の創始。


[1999/10/23]
113 ・ ソクラテスより始まった人類の精神の悟性化。学問の専門化、教養太り。情操の、音楽精神の衰退。民主主義や官僚制化(ウェーバーの言う)。つまり近代そのもの。それに対抗するのがホメロス的ギリシャ人、西郷派薩摩隼人、ダンディズム。ダンディー、それは閑暇普遍的教養を持つ人間の事である。


[1999/10/25]
114 ・ 共産主義思想は原典的に人間に欠けている。(立派な人達も確かにいたが) 少なくとも現代の全共闘の生き残り、共産党員はその殆どが変質者である。(変質という概念は例外者が一般人たる時、一般人が例外者たる時を言う。) 全共闘の生き残りのあの、妙に柔弱で繊細さを衒い、それでいて図々しく、図太い、いやらしさ。良き感性をねっとりと粘っこく壊す、市井の片隅で蜘蛛の巣を張っている、市井の片隅に隠れ住む間違えた人間達。教養の上塗りの似非教養人。立派な人間を演じる根本的な俳優。似非貴族。共産党は現代の政治においてあの人権感覚が唯一その存在を意味付けているが、全く真意のこもらない俳優的行為なので、彼らの存在意義を剥奪したい。


[1999/10/26]
115 ・ 礼儀正しく愛想なく、仲間以外はこれで行こう。


[1999/10/27]
116 ・ <アイスキュロスめ> プロメテウスよ、そうだ謝るな。私、ヘラクレスはそなたを解放する。この苦しみを今まで良く耐えたな。いいかアイスキュロス、これが真のプロメテウス解縛だ。神話をよく読んでから劇作れや。


[1999/10/27]
117 ・ 僕の住む街は静かな落ちつきが守られた街。こざっぱりしたきれいな街。開かれた街でデパートもあるし自然もある。悪くないだろう。
  でもいつかは熊本や鹿児島に住みたいな。


[1999/10/30]
118 ・ 島津は落ちついている。情熱的ではあるが激情的ではない。大人の円熟。


[1999/11/2]
119 ・ あのネットの連中は、自分が一体何をしているのか全く解っていないのだ。彼らは残酷な子供っぽさで、神聖なるものを汚した......。繊細に、震える神経を、壊した......。最も高貴な魂を、破壊した。許す事は出来ない、復讐する。


[1999/11/3]
120 ・ 宮台真司は世界中に数千万の核爆弾を仕掛け、半分の可能性で爆発するそのボタンを押す。何も知らずに、子供のように。ガキが!!
 オウム真理教はこいつを狙えば良かったのだ。サリンを頭からぶっかけるとか、首筋にVXガスを2、3本打ちこむとか。死刑にはならないだろう。  


[1999/11/21]
121 ・ 僕らに出来るのは信じる事だ。当たっていたらラッキーだし、間違えていたとしても今は許されている。死刑宣告がおりる、その日までは。  ---絶対的真理としての本能。  ---ひかる主義。


[1999/11/23]
122 ・ 高い志操を持った人間は、突然頭から壁に突撃してみたり、ガラス窓に突撃してみたり、頭を抱え込んで甲高い叫び声を上げてみたりする事がある。


[1999/11/29]
123 ・ やりたい事をやればいい。しかし勇敢に立ち向かわなければ出来ない事だってあるのだ。やりたい事には艱難が伴う、逃げてはいけない。本当にやりたい事は取り敢えずはやりたくない事だ。


[1999/11/30]
124 ・ 社会的攻撃を諦め、悪魔として隠遁していても、または本性は悪魔であるが市民的な精神をしていても何にせよ存在は許されない。ならば本来生きる道から言っても悪魔に目覚め、そして最高の欲求を満たす為にも新国家建設を成すべきである。


[1999/12/7]
125 ・ 自分が特別な人間であって、人より大きな権利を持っていると思わない者などとは何の関わりも持たない。僕は巨大な権利を有する。


[1999/12/7]
126 ・ 直感判断、その場で言い返せること、後で自宅で言葉を組み合わせるのではなくて。行動的。情熱的、本能的。些事に拘泥せず。
 昔のアフォリズムの爽快さを見よ。
 学問が悪い。情報過多が悪い、ネット。特にあの掲示板の馬鹿ども。


[1999/12/7]
127 ・ 僕は例外者だ。僕が孤独なのは当たり前の事だ。


[1999/12/7]
128 ・ 紺碧の青空の下、柔らかい土の上を裸足で木刀を持って木を打ちまくる。過去の汚穢は消え去る。屑言葉も晴れゆく。隼人の風を持つ師範に連れられて「チェイ」と気合いを入れ、木を打つ。過去の隼人の歴史とつながる。一番大切なのは真面目さだもの。稽古の二時間は僕の正しい時だ。「チェーーーーイ」と気合いを入れながら木を打つ。土曜日の午前二時間が、今の僕の一番幸せな時間。


[1999/12/10]
129 ・ 成熟社会になって。安心出来る、僕にとっても悪くはない社会を、粗暴にではなく気を使いながら繊細に提供する。洗練された攻撃。社会的には自分を保存し易いが、高い志操を守るのが困難になる。懐柔。彼らの自信を見よ。もう上は無いのだ。新しい進化した人間。反抗などはある型に当てはめてしまう。高貴さへの攻撃、片付け。情報を遮断し、それでも襲ってくる言葉を処理しなければならない。


[1999/12/12]
130 ・ 事態は緊迫して来た。精神科医対策に全力を傾けること。


[1999/12/15]
131 ・ 自分はやはり、飛び抜けて高貴な人間でしかあり得ない。もし僕が高貴でないとするなら、何が高貴さであるかなんて、もう解らない。


[1999/12/16]
132 ・ 僕の絶対的反駁---怒号。深夜の、形而上学などの独り言で追い詰められて上げる甲高い奇声。パニック障害。


[1999/12/18]
133 ・ テレビに流れる深夜のBGM。色々な人生が走馬灯のように浮かぶ。精一杯生きている善良なOLや大学生、悪辣な非道人、真剣な愛の叫び....。全ての叫びが聞こえる。都会の心が一つに繋がる。昼間の緊張は溶け、それぞれがマイ.ルームで本当の心を刻む。心が毀れる、深夜の許された一時。 ----虚弱への、現状肯定への、危険な誘惑の一時。


[1999/12/20]
134 ・ ディオニュソスとは混沌の事であり、アポロンとは絶対法則の事である。---ショーペンハウアーは根底が情熱的な生への意志(根底と言うのなら混沌でなければならないのに。また生への意志などない、命は道具である。)、表象が平静な救済の状態。(生への意志とは卑しく利己的であるらしい、だからそこからの脱却は優れた道徳的なものであるらしい。) 音楽が根底で情熱的で、詩は表象の平静。---ニーチェは根底を混沌と考えそれをディオニュソスと、表面を絶対法則と考えそれをアポロンと呼ぶが、ショーペンハウアーの根底と重なって情熱や音楽がディオニュソス、平静や詩や絵画がアポロンになってしまっている。ショーペンハウアーの過ちがニーチェ理解の混迷を生んだ。ニーチェは晩年まで、その影響がある意味において抜けていない。


[1999/12/20]
135 ・ 情熱の、音楽による「変革」は、アポロン的である。


[1999/12/20]
136 ・ ニーチェなんかどうだっていいのだ。ディオニュソスも誤謬だ。永遠回帰は有限で世界の終点に噛み付く。絶対法則としての本能、アポロン主義。織田信長。ひかる主義。ニーチェなどいらない。自分を信じよう。僕はそうやって構わない非常に才能ある哲学者なんだ。


[1999/12/20]
137・ 今日、ニュース番組を見て  石原慎太郎さんは立派な人。責任ある立場に立ってから病的な迫力、サディスティックな所が消えた。それが消えればとっても魅力的な人なんだ。大きな人間性がある。学者タイプとは違って行動力溢れる人なので、苦労も多いと思うが、力強さを保って頑張って欲しい。


[1999/12/21]
138・ ニーチェは病弱で、観念のドイツの教養人----  
 混沌などという誤謬が好き。行動をしなくて済む。
 復讐心から逃れるには真理を破壊しなければならない。
 あの著作を読むにはああいう人間にならなければならない。神経質で体力無く行動力無い、直観的でなく悟性的な人間に。


[1999/12/22]
139 ・ ディオニュソスとは混沌、もしくは権力への永遠の飛翔。権力への意志とは残酷さ。永遠回帰は混沌の元でも権力への意志の元でも起こり得る。
 しかし僕はひかる主義を立てる。有限の、残酷な真理の世界。最高の美を持って完成する。一回限りが全てであり、又はそれが永遠に繰り返される。繰り返し巻き戻し再生するビデオテープ。世界は化石になる、新永遠回帰説。


[1999/12/23]
140 ・ 窮地に追い込まれると、僕の魂は正しい律動を刻むようになる。普遍的な、絶対的な正しさ。秩序ある、正しい魂の律動。


[1999/12/27]
141 ・ 権力への無限の飛翔、とはおかしい。無限の中では法則が成り立たない。(ニーチェ批判)


[1999/12/27]
142 ・ 混沌にせよ、権力への無限の飛翔にせよ、回帰するならば時間は有限であるだろう。何処かに噛み付くのを永遠に回避するかもしれないが、もし噛み付くとすれば時間は有限である。
 補足.(でもニーチェの永遠回帰は無限の中で起きるのか。過去に全てがあるので未来に起こることは全てかつてあったこと、過去に同化吸収される。)


[1999/12/27]
143 ・ 僕は歌謡曲について普通の人と違う聞き方をしているようだ。調子の良い時は大衆の喜びに対しての哀れみ。調子の悪い時は没落の感覚。蛍光灯の光、頭が真っ白になりゆく、窒息の、トカゲの、没落。


[2000/1/7][2001/6/24]改訂
144 ・ ひかる主義においては有限の過去で、又は有限の未来で噛み付く。有限の過去で終点に。(そうすれば同じ事が繰り返される。例えば現在の僕は確実に、過去の積み重ねだ。) 有限の未来で始まりに。(繰り返されるのは同じ配列の同じ事件だろう。終点は同じ記憶を持つ。また同じ法則は同じ経過をたどる。)
 変えられない、過ぎ去った過去を愛すること。現在の自分を(もちろんその経路を含めて)愛すること。運命愛。それには最高の人生を送っていなければならない。
 未来は決まっているだろうが、知ることは出来ない。欲すること。英雄主義。


[2000/1/12]
145 ・ 今日、久し振りに自分の部屋に行った。何年も掃除をしていないのに、不思議と落ち着く。部屋にバイブレーションが染み付いている。僕が流したレコードの音、演奏した音楽、神経活動が部屋に染み付いている。涼やかで、適度に引き締まり、誠意に溢れ、人間的で、情熱的な雰囲気。それと芳しい香りがする。


[2000/1/16]
146 ・ 僕が一番幸せだと感じる時は、音楽を聴いている時ではなく、演奏している時でもなく、書物を読んでいる時でも、書いている時でも、運動している時でも、何をしている時でもなく、仲間と一緒にいる時。


[2000/1/17]
147 ・ 僕が友情で感じるのは宗教的法悦。敵に対して同盟し、真理に殉教する。堅い結束でもって敵と戦い続ける。 思い浮かぶ----みんなで建物に篭って反抗し続けている。外には敵が取り囲んでいるのだ。僕達は色んな作戦を考えながら対抗する。原理を貫徹するのだ。そして屋内で僕達は歌う、外に響く程に、自分達の歌を。僕等の基地はロックする。音楽は僕達を守ってくれる、ロックしていると安心なんだ。そして勝利への自信を漲らせるのだ。


[2000/1/17]
148 ・ 謙遜するのは馬鹿だけだ。(ゲーテ)


[2000/1/19]
149 ・ 原理で僕に附いて来た人なんて殆どいない。せいぜいその場を言葉で抑え込んだぐらいだ。作品や、容姿や、一言で附いてこないなら諦めること。


[2000/1/19]
150 ・ 下劣な人間に言葉など通じない。一言で駄目なら法に訴える事だ。決闘は禁止されてる。


[2000/1/20]
151 ・ 今後人類は戦慄の走るような恐ろしい事件を経験して行くだろう。だけれど僕はいつでも正しさを保っていよう。ひかる主義を磨いて、恐ろしい事どもに備えよう。人類の真の光にならなければ。真の精神的支柱であらなければ。


[2000/1/20]
152 ・ 薬丸自顕流の稽古は行動に駆りたてる恐ろしい衝動を丹田に与える。哲学的正しさから言って少々の不快さも感じさせる衝動を。薬丸流の稽古をしながら安静を求めようとすればパニック障害になるだろう。ストレスはやらなくてはならない事をやらない時に高まるが、やらなければならないという命令が体から来るのだ、どうせ逃れられない強力な命令なのにそれに従わず逃げようとすればストレスは非常に大きく溜まり、精神の恐慌を起こすだろう。
 ヨガと並行しようか、混沌という誤謬による休息。


[2000/1/23]
153 ・ そういう芸術を好きになるのは、そういう人間だ。(虚弱作品は虚弱者、力強い作品は力強い者) 人間は力強くあることが大切だが、虚弱芸術などその者にとっては何の価値もないのだ。自分自身を高く、強く育成し、その様な作品を創造すること。


[2000/1/26]
154 ・ 感情的であることは最も優れたことであると思われる。ギリシャよりも薩摩。


[2000/1/26]
155 ・ モーツァルトの交響曲40.41(指揮アバド)。透明感、落ち着かせる。冷静に戦闘に向かわせる。清澄な空気を与え粛々と戦いに赴かせる。(今日も心に響いた!)


[2000/1/27]
156 ・ 白人はロックを懐柔した。ジョン.レノンでさえそうだ。


[2000/1/28]
157 ・ 昼寝の目覚めは気持ちがいい。全ての憂いを晴らし、初心に帰らせてくれる。体中が初々しい感受性に高まっている。飲み物を買って来ようと財布を探っていたら、外で一台の車が大きなエンジン音を立てて走り去って行った......。


[2000/1/29]
158 ・ 僕の原初的感情。機動戦士ガンダムF91で少年達が宇宙へ投げ出されて行く、故郷を離れて。もう帰れない。僕は一人で強く生きなければ。 それと映画のエイリアン2。宇宙の中、安全な逃げ場が何処にもなく戦う。戦慄の恐怖の中.....。一番大切なのは何だろう。いつでも頼れるもの.....、それはない。助けて欲しいけれど誰も助けてはくれない。自分が頑張らなければ。強く生きなければ。一人で何者にも負けず強く歩んでゆかなければ。
 少年期に読んだSF小説で、格好いい強く速いロケット号で仲間と一緒に木星に逃げて、そこでみんなで買い物してから、それから遠くへ目的に向かって旅立つ話があった。みんなで戦うことの楽しさ。強い兵器に守られている事の安心感、圧倒感。
 強く生きたい。仲間が欲しい。真の幸せの為に戦いたい。夢を手にしたい。


[2000/1/31]
159 ・ 経験を生かそう、馬鹿とはあまり話をしないようにしよう。人を良く見て、付き合い方に気を付けよう。


[2000/2/4]
160 ・ どんなに追い詰められても、最後は僕には仲間がいる。精神病院などに多い。仲間と宗教的法悦感情を味わうんだ。どんなに辛く苦しくても(パニックなど)、仲間と一緒なら大丈夫、一緒にいるだけで落ち着く。それは最高の幸せなんだ。


[2000/2/11]
161 ・ 生活を営む為に仕方なく最低限の労働をするのは、恥ではない。僕は高校卒業の資格を取って将来の職に有利になるように、定時制高校へ通うつもりだ。将来の生計の事が心配でならない。


[2000/2/12]
162 ・ 詩人は世界の非公認の立法者である。(シェリー)


[2000/2/12]
163 ・ ここ数日の親孝行ぶり---将来の生計の問題を考えていると苦しかったので、時代に適応しようとした。危険。適応せずとも良い。残酷さが大事。別にただ食えさえすれば良いのだ。心から時代に適応せずとも良い。


[2000/2/26]
164 ・ 僕は一般の人間と接すると強い違和感を感じてしまう、何故だろう。


[2000/2/28]
165 ・ 仕方なく必要な生計の問題や自活の問題で悩みこんでしまう。しかし僕は隼人だ。そんなものには立ち向かって吹き飛ばせ。


[2000/3/3]
166 ・ 何をしたらいいのか解らない、迷妄。本当の幸せが欲しい。


[2000/3/3]
167 ・ 最高の、真の幸せが欲しい。ロックを超えたい。ロックによって得られる幸せを超えたい。


[2000/3/3]
168 ・ この世で最も美しい曲はマーヴィン.ゲイのアルバム、ミッドナイト.ラブの「'Til Tomorrow」(この瞬間を愛して)だろう。
 最後の曲「My Love Is Waiting」(燃える情熱)は世界への別れ。決別しきるまで美を讃え楽しんでいる。


[2000/3/3]
169 ・ エリック.サティは音の中にいる。音の中で戯れている。許された芸術至上主義とでも言えるだろうか。
 それとも追憶の音楽なのか。


[2000/3/3]
170 ・ 尾崎豊の「虹」---コンクリートの団地がただ並ぶ街の中で。団地の階段の踊り場にいると雨のしずくがしたたり落ちている。雨は感受性を高めてくれる、何とも言えない、いい気分だ。雨が街全体を優しく包んでいる。独り、祈る。


[2000/3/8]
171 ・ この一瞬一瞬の行動が何かに報われるのだろうか。


[2000/3/17]
172 ・ 過ぎ行く時の中で、僕が生きた証を残したい。


[2000/4/11]
173 ・ 目と目を見合って話すというのは同レベルの人間が義務でもなく自然にしばしば行うものであって、下郎が高貴な人間に要求するものではない。


[2000/6/26]
174 ・ 芸術家もまた、行為者でなければならない。


[2000/7/11]
175 ・ 宮台真司はマックス.ウェーバーから間違えている。退屈と、混沌は違う。


[2000/7/31]
176 ・ チャーリー.パーカーのサックス---シルクハットの帽子を片手に夜踊り狂っている姿。


[2000/8/20]
177 ・ 織田信長は軍人でありながら誰にも命令されず最高の行動の指針を持っている。バラモンの存在さえ影を薄くする彼は、最高の人間であるだろう。


[2000/9/18]
178 ・ 分裂病かな?という所まで行っておこう。精神保健福祉法や生活保護、社会福祉を利用するために。


[2000/9/18]
179 ・ 今日、精神分裂病との判定を受けた。これで社会福祉が利用出来る。本当は大分裂病なのだが。


[2000/9/24]
180 ・ アポロンは法則でディオニュソスが混沌。またはアポロンが平静でディオニュソスが激情(無限の上昇と言うが、しかし無限の中では法則が成り立たない)。


[2000/10/8)
181 ・ ひかる主義はアポロン的(法則)でディオニュソス的(激情、行動的)である。


[2000/10/11]
182 ・ 瞬間移動などの超能力は存在しない。いつも自己からの他者(または外部世界)なのだ。そこからそこへと移動したと言える客観的存在がない。


[2000/10/13]
183 ・ 行動の最高の指針さえ持っていれば精神的指導者など必要ない。国際貴族主義連合は行動的な戦士集団なのだ。ギリシアのポリス。


[2000/10/13]
184 ・ ひかる主義---僕は正しい。しかし他にも同じく正しい人々がいるだろう。その時には我々の理念をひかる主義と呼ぶ必要はないのだ。


[2000/10/14]
185 ・ 性悪説も性善説に過ぎない。---人間は弱いもので罪を犯してしまう。しかし心の底には愛の一粒があるのだ。だから教育によって善へといざなおうとする。性悪説も道徳哲学である。


[2000/11/2]
186 ・ 僕にはどうしようもない健康さ、明るさ、素朴さがある。


[2000/11/18]
186 ・ 観念論は子供っぽいんだよ。自我の誇大視だ。自分の自我が消えても世界は存続して行く。あなた個人の自我なんて世界にとってはどうでもいいのですよ。


[2000/11/26]
187 ・ 日本の皇族は地の塩に過ぎない。


[2000/11/29]
188 ・ 最高の権力を持つことこそ、真の幸福である。


[2000/11/29]
189 ・ 最高の力強さと美しさを持つことが真の幸福である。


[2000/12/7]
190 ・ 生存競争などは存在しない。強者はむしろ没落しやすいのだ。しかし社会の競争から没落していても、彼らは強者である。その存在や行動で強者となるのである。彼らは社会に適合するよりはむしろ没落を欲するであろう。存在するのは権力への意志である。


[2000/12/10]
191 ・ 民主主義を地盤としている限り、独裁者は民衆の奴隷である。


[2000/12/16]
192 ・ ニーチェの永遠回帰説は権力への意志、無限の権力への意志の中での話しらしい。


[2000/12/23]
193 ・ 体験的には、真理の中で生きる事が許されている。


[2000/12/28]
194 ・ 僕は高貴さにいつもつけこまれて来た。


[2000/12/28]
195 ・ 黒人音楽家達は異様な程に歌詞が下手だ。彼等は自分達の残酷さを全く理解していない。


[2000/12/29]
196 ・ 混沌は誤謬であるが、世界が混沌としていてそこから世界を創造するとしてもそれは無限個あるわけではない。一つしかない。積み重ねられて来た錯覚は一つしかない。それに援助するのだ。


[2001/3/23]
197 ・ ストレスはその原因を消さなければ決して消えない。復讐すること。


[2001/4/3]
198 ・ 混沌を知ると人は死ぬ。


[2001/5/2]
199 ・ この未来の宇宙的出来事が間違いなく起るという事は、哲学に取っても将又自然科学に取っても疑問の余地がない。何故なら、如何なる進化も、進化としてはその概念の性質上、一つの終局を有たなければならない。即ち、その目標に、その目的に到達しなければならないからだ。(コエベル博士)


[2001/5/2]
200 ・ プラトンのイデア論は道徳としても反駁されているし、イデア論自体が反駁される。霊界などないのだ。


[2001/5/5]
201 ・ 「誰もが自分を特別だと思っているけど、それは皆なが思っていることで、実際は皆な同じく平凡。」? 虚栄の豚と、真の高貴なる者とは違うんだよ。


[20001/5/7]
202 ・ 親にあんまり細かい注意をするのをやめよう。好かれるために。家に居やすくするために。親をあんまり動かせないようにしよう。僕が長く生活費を出さない状態でい続けるために。


[2001/5/8]
203 ・ 私は、世の光である。私に従う人は闇の中を歩かず、命の力をもつであろう。


[2001/5/10]
204 ・ 脳の内容全てを伝達させる装置は高貴な人間を徹底的に破滅させるであろう。だから高貴な人間の結社による、核武装した独立国家の建設が急がれるのだ。


[2001/5/14]
205 ・ 僕の存在は人の魂のレベルを測る試金石だ。


[2001/5/24]
206 ・ 最近の僕は夢を諦めすぎている。諦めてはいけない。独立国家を打ち立てるんだ。


[2001/6/12]
207 ・ 僕の言葉は狂気の言葉だ。だれも振り向いてくれない。


[2001/6/15]
208 ・ 引き篭もりは偉いんだよ。仕方なく定時制に通っている、将来の仕事の為に。年金で暮らして行けるプランが固まれば、これから完全引き篭もりになればいい。


[2001/6/19]
209 ・ 敵である精神科医を利用して、生計をたてるとはなんとも愉快な話だ。


[2001/7/7]
210 ・ 中庸とは極端にやっても意味がないということである。それによってより高貴な者となるのである。


[2001/7/29]
211 ・ 精神科医どもは奴隷道徳と結託して高貴な人間を迫害する。


[2001/8/3]
212 ・ ベルクソンに反して---僕は解りやすい文章は書かない。高貴な者だけに解るように書けば良いのだ。


[2001/8/3]
213 ・ 僕は天才だ。


[2001/8/12]
214 ・ 古代ギリシャの悲劇は混沌を表すが、コロスの歌う歌は法則である。


[2001/8/16]
215 ・ ドストエフスキーの罪と罰について---愛の中では犯罪を犯すことは許されない。残酷な真理に到達した者だけが犯罪を犯すことを許されている。ナポレオンは愛を守っているので許される。法を破ったのは転換期で混乱した時期だったから仕方がない。


[2001/8/19]
216 ・ 祖父、中崎義男を捨てて、僕は残酷な道を歩まねばならない。


[2001/8/26]
217 ・ 僕は過去のあらゆる年齢において誇りを持っている。


[2001/9/10]
218 ・ ニーチェの著作の改作云々が議論されているが、一連の文章(筑摩学芸文庫など)は改作でも全然構わない程の十分な出来栄えである。


[2001/9/26][2001/9/29]改訂[2001/10/16]改訂
219 ・ ジョン.レノンは自分の苦悩を幼年期の母の死によるものだと思わされているが、実際はそうではなくそれは民主主義化や歯車化による高貴な人間の苦悩である。


[2001/10/7][2001/10/16]改訂
220 ・ 尾崎豊の写真詩集「白紙の散乱」は日本の近現代最高の叙情詩集だ。


[2001/10/9]
221・ 混沌を扱う僕の詩は、遊びである。


[2001/10/16]
222 ・ 抒情詩は古代ギリシャの女流詩人サッフォーの恋愛詩から始まっている。だからニーチェは愛抜きの抒情詩など下らないと言ったのか。しかし僕は愛無しで立派な叙情詩を書いている。


[2001/10/17]
223 ・ エロス---最高の美への欲求。


[2001/10/18]
224 ・ 世界は人間を通して己の姿を認識しようとしている。


[2001/10/18]
225 ・ 世界は最高の権力を生み出そうとしている。


[2001/10/18]
226 ・ 世界は最高の美を生み出そうとしている。


[2001/10/20]
227 ・ 混沌の中では人は死ぬとは僕の確信である。だから僕は真理(法則)の元で生きる。


[2001/10/23]
228 ・ 18歳から23歳と半年までの僕は、ある見方をすれば世界最高の美少年であった。正しい見方をするのであれば、まあまあの美少年という所だったろう。戸田さんや、テレビに恋愛相談で出ていた女の子みたいなあの子には敵わない。26歳の今の僕は美少年崩れである。


[2001/10/23]
229 ・ 能ある鷹は爪を隠す、とは謙譲の事を指して言うのではない。鷹は油断させておいてバッと捕まえるのだ。人間の場合は、高貴な者への迫害に対しての仮面である。


[2001/10/27]
230 ・ 戸田健作さんは僕が見て来た限りでは最高の美少年だ。23歳なのに16歳位に見える。完璧な美なのに冷たさが無い。優美。優美な挙動。美し過ぎて正面きって見れない。完璧な顔と空手によって鍛えられた(筋トレなし、空手の動きの中で付けた筋肉)完璧な肉体、そして優美な美しき挙動。戸田さんは世界最高の美少年である。


[2001/10/28]
231 ・ 看護婦はふてぶてしい。


[2001/10/28]
232 ・ ピカソなどの前衛芸術は間違えている。(中々面白いものだが) 形式を弄んでいる。芸術的形式を弄んではならない。後になって生が形式を取らざるを得ないよう、生を改造すべきである。美術は正しい形式によって表現されるべきものだ。ヒトラーの行なったことは間違えてはいない。


[2001/10/29]
233 ・ もっと一般人の、民主主義の豚の仮面を付けなければならない。現実生活においてはもちろん、ネット上においても。


[2001/11/12]
234 ・ 日本近代詩の最高傑作は萩原朔太郎の「旅上」と中原中也の「秋の一日」だが、日本近代最高の詩人は立原道造であろう。


[2001/11/25]
235 ・ 人類はロボットによって労働から開放され愛の元に精神の黄昏を迎えるだろう。その時には支配欲は徹底的に根絶される。今、核ジャックをして新国家を作らなければ人類はお終いである。


[2001/11/25]
236 ・ シュティフターなど読みたくない。(老年になっても) まだまだ先があるのに安穏と円熟などしていられるか。


[2001/11/26]
237 ・ 東京の街は愛の軍勢などではない。愛の元にはいるが空虚な、弱々しい、虚弱な、物足りない街だ。


[2001/11/26]
238 ・ 無名だが尾崎喜八は優れた近代詩人だ。


[2001/11/27]
239 ・ 大いなる同情を持ち、それを焼き捨てる者こそ正しい残酷な人間である。同情を持たぬ人間は病気である。


[2001/12/1)
240 ・ マキャベリズムは、正義の、愛の哲学である。


[2001/12/3]
         ルックス
241 ・ 全ては外見だ。鏡に映った自分の姿が美しければ全ては満足だ。


[2001/12/3]
242 ・ オスカーワイルドと同じく、僕はゲーテ嫌いだ。あんなのダンディーじゃない。それに愛を信じているくせに、優しいのか残酷なのか解りゃあしない。


[2001/12/5]
243 ・ 真理(法則)なんて保証付き---無機質は必然的に有機体に進化する。有機体は必然的に、誕生と共に本能を持つ。そしてその進化の最高峰の人間は全ての自然(有機体、無機質)を支配する。混沌なんてあほらしい。ニーチェのばーか。荘子のばーか。老子のばーか。シヴァ(ターンタヴァダンス)のばーか。


[2001/1/2]
244 ・ 詩「貴族制」はロボット時代以前の詩である。ロボット時代以前の、本来の目標である貴族制とは違う、ささやかな貴族性を詠った詩である。


[2001/1/10]
245 ・ 僕が今まで出会った詩の中で最も美しい詩は、ニーチェの「ヴェネチア」だ。


[2002/2/18]
246 ・ 僕は選ばれた人間であって、全ての事物の価値を決定する。


[2002/2/18]
247 ・ 尾崎豊の詩集「白紙の散乱」は近現代ダントツで最高の詩集であるばかりか、近世の松尾芭蕉を軽く抜き、中世を超え、古代平安時代の西行に匹敵する。数百年に一度しか現れない大詩人だ。


[2002/2/18]
248 ・ 正岡子規曰く、「美に積極的と消極的とあり。積極的美とは其の意匠の壮大、雄渾、勁健、艶麗、活発、奇警なる者をいひ消極的美とは其意匠の古雅、幽玄、悲惨、沈静、平易なるものをいふ」。織田信長と薩摩隼人たち。積極的美を生み出せるのはもう僕しかいない。尾崎豊は消極的美に過ぎない。


[2002/3/16]
249 ・ ひかる主義=Hikarism(ヒカリズム)


[2002/3/17]
250 ・ 僕の18歳の頃の手記には、イエス、仏陀、と並んで僕の名が刻んである。


[2002/4/17]
251 ・ 人権平等ぎゃあぎゃあうるさい市民たちは僕の著作物にまで手を加えてくる。195万円もの大金を払って出版する著作なのに。


[2002/4/25]
252 ・ 尾崎豊は東京という街に負けたが、僕は東京に勝った。


[2002/5/6]
253 ・ 僕は従順な平民は嫌いじゃない。


[2002/5/19]
254 ・ 前々から思って来たことなのだが、おそらくアインシュタインの相対性理論は間違えている。光は究極の実在ではない。科学的観察が出来なくても有るものは有る。そして光より速いものは実在する。


[2002/5/24]
255 ・ 死ぬことってなんて悲しいんだろう。自分にとって。全ての人々にとって。


[2002/5/24]
256 ・ 真理、法則を見極める哲学以外は下らない。


[2002/5/26]
257 ・ オルテガの文体は臭い。


[2002/5/26]
258 ・ ツァラトゥストラの猿とはまさにオルテガのことだ。


[2002/5/28]
259 ・ 僕は天才の中でもとびきりの突然変異だ。


[2002/5/31]
260 ・ 人類は定期的に、強力な、真理を信じる者が現れなければ絶滅するであろう。


[2002/5/31]
261 ・ 道を知ることと、歩くことは違う。(by MATRIX)


[2002/6/13]
262 ・ 安達さん、「気をつけたほうがいいよ」って本当だったんだね。3年もすれば仲間達は僕のことを忘れてゆく。日本人は場所に支配される。浸ってるんじゃないよ。もし仲間達と再び邂逅出来るのであればそれでいいもの。仲間達を想う詩なんか色褪せて全然構わない。


[2002/6/15]
263 ・ 人を量れば自分もその測りで量られる?そんな量りは僕には通じない。僕には僕の測りがあって、誰にも踏み入ることの許されぬ法廷がある。


[2002/6/17]
264 ・ 昨日あの青臭い、ブルーススプリングスティーンの「明日なき暴走」を聞いた。何一つ妥協せず、戦い続けることを教えられた。


[2002/6/19]
265 ・ 僕は愛の元では人類の絶対の安定剤だ。本性の悪のもとでは人類にとって最も恐ろしい危険物だ。


[2002/6/20]
266 ・ 力の充溢からくる優しさというものがある。これはデカダンではない。しかし冷酷に自分を律していけば、間違いが無いだろう。


[2002/6/21]
267 ・ 人類の未来---ニーチェの言う「おしまいの人間たち」が精神の黄昏の中で永住する未来でない場合、僕は全人類を破滅から救う救世主とならなければならない。


[2002/7/1]
268 ・ ニーチェは「私はこれから先の永遠を駄洒落で支えてゆくようにとの刑罰を受けており.....」と言っているが本能の発生は偶発的なものではないかもしれない。本能は自然に、必然的に、発生するのではないだろうか。そしてその真理は、「権力への衝動」以外にあり得ない。


[2002/7/9]
269 ・ 僕が救われるにはやはり核ジャックしかない。99%不可能でも僕はそのために戦い続ける。


[2002/7/17]
270 ・ 僕は薩摩隼人に強く惹かれる。同情が許されるからだ。しかしこれも弱さなのだろう。


[20002/7/21]
271 ・ 尾崎豊の詩は心を震撼させる。


[2002/7/25][2002/7/29]改訂
272 ・ 仏陀には嘘がある。混沌たる世界の中、全ての欲望を滅却することなど出来ない。不可能だ。無理がある。一番強い欲望の、権力への衝動には逆らえない。


[2002/8/10]
273 ・ 癒しがたく、権力への衝動はダイヤモンドのごとく硬い。


[2002/8/12]
274 ・ 僕の世界の中ではペンも良いが剣こそ何よりも大切なものである。


[2002/8/22]
275 ・ 混沌を体験し、植物人間になっても、身体は生命を維持しようとする。かくある如く、権力への衝動は強い。


[2002/9/24]
276 ・ 似非哲学者---ハイデッガー、サルトル。


[2002/10/1]
277 ・ 書いてはならない種類の作品、というものがある。その様なものを書いた者は人間としての失格の烙印を押されるであろう。『白紙の散乱』の幾つかの作品は人間が書いてはならない種類のものだった。この様な作品は愛に殉教している者、愛に殉教した者、もしくは愛を超克した者にしか理解出来ないであろう。この様な作品を書いた者は存在を許されない。社会から徹底的に排除され、存在の資格を剥奪されるであろう。


[2002/10/18]
278 ・ 社会主義の間違い。---社会システムによっては実存的問題は解決しない。


[2002/10/20]
279 ・ 最近報道された「ICBMを途中撃墜成功」のニュースは僕の夢を崩壊させた。


[2002/11/18]
280 ・ 信長の真髄はその思想の残酷性だ。彼はアレキサンダーやシーザーさえも超え、古代ギリシャ文化の美に匹敵する。


[2002/11/19]
281 ・ 独我論者---ウィトゲンシュタイン、ニーチェ。ニーチェは古代ギリシャのソフィスト哲学者に影響を受けている。彼のソフィスト礼賛は愚行である。


[2002/11/20]
282 ・ 脳の内容全てを伝える伝達装置は、人権に繊細に気を使いながら、またいよいよ人権を守らせる為に用いられる。


[2002/11/21]
283 ・ 言葉は道具、そんなに大したものではない。言葉によって世界が成り立っている.....などどれも行き過ぎだ。言葉の過大視---ニーチェ、ウィトゲンシュタイン。


[2002/11/24]
284 ・ 本能を肯定する身体、本能を否定する身体が、それぞれの言葉を生み出す。


[2001/11/25]
285 ・ 鈍馬の鈍逸人、ハイデッガーの間違い---深い世界があるという事実と深い世界に住んでいるということが取り違えられている。また浅い世界に住んでいると深い世界はないと言うのか。浅い世界に住んでいても深い世界の上に存在しているのである。フッサールの実証主義の独我論が幅を利かせている。


[2002/11/25]
286 ・ アホのフッサールの後期の思想---人生を充実して生きること、生き生きとした芸術的表現が大切だというまともな主張が、独我論の「一種の自我の強さ」と上手く結び付けられて、その個人のものでしかないという独我論的世界観への批判への逃げとして使われている。


[2002/11/29]
287 ・ ニーチェは、彼の認識論が独我論的であるにも関わらず、彼の生の態度は独我論とは対蹠にある。


[2002/11/30]
288 ・ 信長が本能寺でやられずにそのまま征伐を進め、九州全土を支配した島津の薩摩隼人達と遭遇したら彼は薩摩隼人をどう扱っただろう。薩摩隼人は部分的にせよ信長を超えているところがある。珍しい、悪人の松永久秀の謀反を2度まで許した信長である。興味は尽きない。


[2002/12/5]
289 ・ ニーチェの「悲劇の誕生」---コーラス対悲劇。根底の混沌対表象の法則ではなく(ここでの根底対表象は独我論である。その中で混沌対法則が出されている)、平静なアポロン的詩作状態に対する激情の音楽対根底の混沌に対するアポロンの表象(言葉の過大視の独我論。その中での認識できる世界)である。悲劇の誕生の洞察は晩年まで続く。


[2002/12/10]
290 ・ 精神のない専門人、心情のない享楽人--。両者に共通するのは、公共の最善のあり方と自己の最善のあり方の両立を希求する倫理性の欠如である。(長部日出雄)


[2002/12/13]
291 ・ 強迫観念はいけないが、僕は極端に走ることにする。中庸の教えは捨てる。


[2002/12/14]
292 ・ 最も深いロック---最も男性的なロッカーはジミ.ヘンドリックスである。最も美しいロックを作曲し歌うのはマーヴィン.ゲイである。そして最も深いロックを作曲し歌うのは尾崎豊である。小林秀雄が言うように、芸術家たる者は、その思想が極点にまで行き着いていないようでは大した価値がない。ジミ.ヘンドリックスもマーヴィン.ゲイも尾崎豊も、その作品の思想性は極点にまで行き着いている。そして尾崎豊においては、深さ、ということにおいて極点にまで至りついているのだ。


[2003/1/4]
293 ・ 僕は僕の持っている異常な誠実さゆえに、人々に殺される。


[2003/1/6]
294 ・ 私たちは同じ趣味の人間を見つけると残念に思う。それは自分だけが知っている、という虚栄心が挫かれるからではない。その人間たちが本当には解っていないからだ。私たちは本当に解っている人に出会うと喜ぶ。自分だけが特別だ、という思いなど仲間を見つけた嬉しさで吹き飛んでしまう。


[2003/1/20]
295 ・ マタイによる福音書、第23章29節から31節より---律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。---自分たちはもう決して迫害しないだろうと宣言し、そうであるかのように行動している。このことによって今、自分たちが事実迫害しているのに、絶対にそんなことはしていないと思い込んでいる。そうすることによって迫害していることに気付く可能性を完全に葬っている。だから一連の行動は迫害の一つである。先祖と同じく迫害しているのだ。そのことを証明しているのだ。


[2003/1/26]
296 ・ 光は究極のものではない。盲人。
  科学における観測などどうでも良いことなのだ。
  光は情報ではない。情報でもあるが、光が情報の全てではない。人は他に嗅覚、触覚、味覚、聴覚を持っている。


[2003/2/11]
297 ・ ギリシア主義---混沌のディオニュソスを踏まえた上での、中庸な法則のアポロン主義。黄金の中庸。


[2003/2/11]
298 ・ モンテーニュやニーチェと同じく、僕はプラトンに不信を感じる。プラトンは退屈である。彼は冗長過ぎる。


[2003/2/11]
299 ・ 僕の体から来る精神的な衝動が真理となる。我は神である。


[2003/2/17]
300 ・ 史上、論理学においてウィトゲンシュタインほどの者はいなかったであろう。しかし世界において、論理が全てではない。


[2003/2/21}
301 ・ 喧嘩といえば対等な条件で行え、それこそが男性的である、というのがいまどきの考え方であるが、本来の「男らしさ」、武士道においては違っていた。武士は素手の町人農民を相手に刀で斬りつけていた。それは法的にも認められていたし、自己倫理的にも正しかった。武士は正しい倫理を持っている、ということでいつでも刀を使って良かったのだが、他の者は正しい倫理を持ちえない、ということで武器を手にしてはならなかったのである。喧嘩は対等な条件で行え、というのは所詮、百姓、町人の間での話である。


[2003/2/23]
302 ・ モンテーニュの懐疑的認識論は愚かだ。一例を挙げる---ある事物が人間にとっては青く見える。動物にとっては赤く見える。その時の事物は二つであり、色は一つではない。---その事物は人間にとっては青く見え、動物にとっては赤く見える一つの事物である。


[2003/2/27]
303 ・ アンナ.カレーニナ---草刈り仕事に励むレーヴィンの姿、そして彼の思い....。鮮烈に記憶に刻まれる一つ一つの場面。偉大なリアリズム。


[2003/3/5]
304 ・ 世界は人間を通して己自身を認識しようとしている。それは自然の進化の絶頂が人間であり、世界認識は人間にとって知ることによって得られる権力になるからだ。人間には理性が肉体に付随している。「物自体」を認識し、理性でまとめあげる。


[2003/3/5]
305 ・ モンテーニュ---真理への不信仰は素晴らしい。僕はあの懐疑の学校で絶対への信仰から黄金の中庸を手に入れた。しかし彼の場合僕と違い劣っているのは、大方の身体の衝動である「力」、を創造していない。モンテーニュは最高に高貴ではない。


[2003/3/17]
306 ・ 黄金の中庸は混沌を打ち負かすことができる。そしてより幸せになれる。


[2003/3/26]
307 ・ 尾崎豊の「ドーナツショップ」はディオニュソス的でありシヴァ教的である。その瞬間を、充実を求め必死に生きようと叫んでいる。


[2003/3/28]
308 ・ ニーチェが知っていた歴史以降のことを学ぶ必要はない。政治に携わることは現代では下品である。ニーチェ並みの勉強をすれば充分であろう。


[2003/3/31]
309 ・ ラ.ロシュフコーは時代の心理学に似ている。民主主義の匂い。彼は高貴ではない。似非貴族。


[2003/4/13]
310 ・ しばらくぶりに友人と再会すると我々はその友人の成長ぶりに喜ぶ。しかし変わってしまったという悲しい気持ちも拭い去れない。過去はもう戻ってこない。この一瞬一瞬を精一杯味あわなくては。一期一会。


[2003/4/17]
311 ・ 世の中には色々な人がいる。変質者もいるし、化け物だっている。僕にはそれが解る。


[2003/4/17]
312 ・ 今日、僕は再び映画「A.I.」を見た。主人公のデイヴィッドの母親の愛を求める執念に僕の夢を重ねた。


[2003/4/17]
313 ・ 私たちの世界観は19世紀から変わっていない?とんでもない。1960年代後半アメリカで起きたロックによる革命は世界史的な変化だった。


[2003/4/18]
314 ・ 中庸の教えはその特質としてギリシア的であるが,そこからギリシア人は情熱を知らず,安泰で,美的でない中庸の人間に過ぎなかったと判断してはいけない.彼らが中庸を非常に高く評価したのは,彼らが極端に走る傾向があったからである.(キトー『ギリシャ人』)


[2003/4/26]
315 ・ 独我論の類をやっている者には、まず一発ボディーブローをいれてやるといい。


[2003/4/28]
316 ・ 愛とは力の争いである。出会ったその瞬間より勝利と敗北があり、勝利している方の感情は同情であり、敗北している方は死物狂いで復讐を果たそうとする。勝者が同情に(愛に負ける、愛に憧れる)浸り続けていればやがて関係は逆転するだろう。これは最愛同士の1対1の2人、そしてそれより生ずる全ての『愛』に当てはまる。世界は力への衝動であり(一点もあますことなく)、人生もまたそうである。愛とは幻想に過ぎない。(ひかる「Roch'n'Roller Aphorismen」)


[2003/4/29]
317 ・ 偶像崇拝について---キリスト教徒やイスラム教徒のいう偶像崇拝は本当は存在しない。どの宗教も、仏教も多神教も聖母マリア崇拝も、それをいわば象徴としているだけだ。その像を見てその教祖なり、神なりを思い起こし、修行に励んだり勇気をつけたり、またはその物質を見て何かを連想したりするわけだ。偶像崇拝は一つだけ存在する。それは彫刻においてそれを人間の模範とし、神と崇めたギリシアの芸術だ。


[2003/4/30]
318 ・ 痛ましい緊張と傷心のときには戦いを選ぶべし。戦いは、鍛錬し、筋肉をたくましくする。(ニーチェ)


「2003/5/1]
319 ・ 経済の基本的理念---キャベツとほうれん草をお互いが作り、自分で食べる分の余った部分を交換する。たくさんできて余ったキャベツはほうれん草の他に何か役に立つものと交換する。商品だ。そのうち機械が入ってきて(それも職人達が何かと引き換えに作ったものだ)、たくさんの米やキャベツを作る。余った部分はより有用な商品と交換される。有用な商品を生み出そうと経済は動いている。


[2003/5/3]
320 ・ この腐敗した、全てが偽善的で、優れて見える人々が皆俳優であるこの時代にあって、大衆に立派な人だと誉められている者は皆偽者である。


[2003/5/3]
321 ・ モンテーニュは生来体が虚弱だった。このことがあの素晴らしい強さを持った懐疑主義のあとの、キリスト教信仰を生んだのであろう。


[2003/5/6]
322 ・ 「ゲーテよ、貴様の言うのは比喩に過ぎぬ」。(ニーチェ)---言葉は確かに比喩であるが世界のあるがままを身体で認識し言葉で表現するのだ。物自体はなく、言葉で無限に解釈(創造)してゆくわけではない。


[2003/5/6]
323 ・ 仏陀の言う悟りとは認識する欲望をも止滅することのようだ。途方もないことだ。


[2003/5/7]
324 ・ ニーチェの間違った認識論が幾つかの愚劣な現代哲学を生んだ。


[2003/5/7]
325 ・ 非常に深い精神を持った人間は議論に向かない。徹底的に深く査察するので保留してしまい、黙りこんでしまうのだ。


[2003/5/19]
326 ・ 武道家の哲学的見解は笑うべく無茶苦茶である。


[2003/5/20]
327 ・ 言葉は比喩であり、そして不完全だ。数学もまたそうである。


[2003/5/25]
328 ・ スパルタのポリスの国制は云わば極端でありポリスのカリカチュアである。アテナイ人は戦争の時はスパルタ人に劣らず勇敢であり、彼らは制度によってでなく個人の勇気でもって勇敢なのである。そして中庸を心得、さまざまな分野に広く文化が開かれている。


[2003/5/26]
329 ・ シュティフターの「晩夏」は美術に対する敬愛による円熟を描いた円熟味のある、ゆったりとしたテンポの優れた小説である。しかし彼には文体のある種の余裕が欠けていて読みにくい。


[2003/5/26]
330 ・ 古代ギリシャのオリンピア競技会は各ポリスが強い誇りを持って、権力への意志を持ちつつ、それを充足させるために、戦争時でも一時休戦し、競技会を行なった。現代の世界平和を理想としたオリンピックとは如何に違うことだろう。


[2003/5/26]
331 ・ モンテーニュは真理への信仰を解きほぐしてくれる。


[2003/5/26]
332 ・ 愛を真剣に追求した者でなければ僕やニーチェの思想は理解できない。


[2003/5/26]
333 ・ 道徳を超克した者は「愛」には非常に微妙な立場を取る。それを「愛を真剣に追求していないからだ」と指摘してはならない。そう言う者は卑しい人間だ。


[2003/5/26]
334 ・ 愚劣な、タイシュウ臭いオルテガのアレキサンダー賛美は愚かである。彼は戦術家としては史上最高であったが、戦略家としてはまるで駄目であった。彼が残したものといえばギリシャ古典期とはまるで異質なヘレニズム文化というまがい物だけである。唯一それなりに価値があるものを残したとすればそれはアレキサンドリアにおいて膨大な学問を作り上げたことだ。


[2003/5/26]
335 ・ ホメロスの英雄たちにとって一切は名誉と美徳(すなわち体力,度胸,身体的勇気,武勲)という純一の要素を軸として回転していた。そこには「十戒」の痕跡も,家族にたいする以外の責任感も,だれかある人や,なにかある物にたいする義務の意識も認められず,あるのはただ自己の武勲,自己の勝利と力への衝動だけなのである。(M.I.フィンリー『オデュッセウスの時代』)


[2003/5/26]
336 ・ 古代ギリシア市民の間に政治的社会的平等が実現し,ポリス民主制が完成した時期に,非ギリシア系原住民を中心とする典型的奴隷制度が発展を遂げたことは注目に値する.貧しい人々の債務に基づく身体緊縛や隷農耕作などの中間的隷属労働が優勢であった時代には典型的奴隷の使役は行われていなかった.つまり中間的隷属労働の消滅とそれに代わる典型的奴隷制度のうえにギリシア民主制は成り立っていたのである.(伊藤貞夫『古典期アテネの政治と社会』)


[2003/5/29]
337 ・ モンテーニュはエセーにおいて「人間」について語ったのである。(ヴォルテール)


[2003/5/29]
338 ・ 全てが専門的になり歯車化した現代において、政治家や官僚や市民運動に身を投じるのは馬鹿馬鹿しい。


[2003/5/31]
339 ・ 軍隊には規律が多いが、薩摩武士団には規律は少ない。それは官僚軍は一人一人の勇気を信じず(実際にないのだろう)それ故に規律で縛るが、薩摩武士団は一人一人に勇気があるので規律などなくても安心して戦争を任せられるからだ。


[2003/6/1]
340 ・ 「個人」とは大抵の場合虚栄である。


[2003/6/3]
341 ・ 物欲を満たされたあとの虚しさが僕を哲学へと誘う。


[2003/6/5]
342 ・ プラトンと同じようにキケロにも冗長さが感じられる。


[2003/6/6]
343 ・ 数学と脳神経の働きは違うのだから、ロボットは人間と違うあり方で人間に匹敵するであろう。


[2003/6/11]
344 ・ 世に洪水のように溢れるへぼ詩人達が消え去れば僕たちの詩はもっと目立つようになるのだ。


[2003/6/16]
345 ・ 数学の命題は、いかなる思考をも表現してはいない。(ウィトゲンシュタイン)


[2003/6/16]
346 ・ 人は本当の知的正直性があるような振りをして卑しい魂を持っているものだ。


[2003/6/26]
347 ・ 意志強き偉大な人間を輩出する時代を見よ。英雄の時代とは大いなる対立が存立する時代であった。(例えば信長を生んだ戦国時代)現代の大きな対立は民主主義対貴族主義である。新しい貴族主義、それは残酷な人間達の理念である。無限に創造可能な世界だが多くは「力」である。魂の高さはともあれ偉大な人間の範疇に入る人間は現代の民主主義と巨大な対立を生じしめる。現代そして未来の偉大な人間達はこの身の毛もよだつ巨大な対立を利用するであろう。


[2003/7/19]
348 ・ 真の芸術家は己の作品について評価を下すことは出来ない。また他人の作品の傑作に感嘆はするが批評することは出来ない。


[2003/7/20]
349 ・ 混沌を感じる身体、法則を感じる身体が、それぞれの音楽や言葉を生み出す。


[2003/7/22]
350 ・ 時空もなにもないところ、そこからある時世界が始まった。そしてそれは美の完成とともに終焉し、次の瞬間世界の最初に噛み付く。そして再び同じ世界が繰り返される。新永遠回帰説だ。有限の時間の中での永遠回帰。真理は力。混沌などという言葉によって残酷な世界から逃れることは出来ない。最高の力と美を獲得し、超人になり、世界を完成させるのだ。


[2003/7/24]
351 ・ 残酷な真理、力への意志からは逃れることが出来ない。混沌などは単なる臆病な誤謬である。新永遠回帰説、これが反駁されるまで戦わなければならない。織田信長と薩摩隼人は世界史上最も優れた人間である。民族としては薩摩隼人こそ世界史上最も優れた民族である。ギリシャなど悲劇とディオニュソス神があるとおり臆病な民族である。ひかる主義、ここでは薩摩原理主義を理念として掲げ僕は全世界、全人類、つまり民主主義と徹底抗戦する。


[2003/7/24]
352 ・ ほとんど全ての人間は裏切るものだ。永遠の友情などという風に思わせておきながら必ず忘れ去っていく。僕は尾崎を罵倒する。彼を乗り越えたからだ。しかし僕は真に高貴なる人間として、貴方を決して忘れない。


[2003/7/25]
353 ・ 空手家は無礼である。太極拳士は謎めいていて、卑しい。少林寺拳法家は仏道臭い。剣道家は不自然に礼儀正しく、糞真面目で細々と口うるさく、不細工で、そして意地悪だ。薬丸自顕流の剣術家こそ、大らかで自然に礼儀正しく、容姿端麗で、心情深く、真に男性的で野性的で、狂気の情熱を持ちながら合理的な、武道家としては最も優れた人々である。


[2003/7/27]
354 ・ 信長は暗い。彼は行為者だからだ。僕はおしゃべりだ。芸術家だから。僕は僕の全てを知って欲しい。しかし一つだけ秘密がある。それは国際貴族主義連合にとって重要な事柄だ。


[2003/7/28]
355 ・ 運動をし精神を強く持ち、作品を作り、仲間を集めること。今僕に出来るのはそれしかない。


[2003/8/2]
356 ・ ニーチェの独我論的認識論。独我論のある、ない、法則のアポロン対混沌のディオニュソス、平静、詩作のアポロン対激情、音楽、性欲のディオニュソスがそのまま二つに分かれてその中で一緒くたにされている。本来は独我論のある、ないのあるから法則のアポロンにつながりそこからのアポロンの詩作とディオニュソスの音楽。独我論のある、から混沌のディオニュソスにつながりそこからのアポロンの詩作とディオニュソスの音楽。


[2003/8/9]
357 ・ マルクス曰く、「人間は経済人である」。---これでは知価社会に通用しない。また人間は最終的には物質に支配されず実存的である、「愛こそ全て!」と実存的に叫んだ時に「それは共産主義だ」とは絶対に言えない。


[2003/8/17]
358 ・ エピクロス主義批判---情熱を押さえ込むのは仏教的である。激情こそディオニュソス的、またはアポロン主義的なものである。この二つ以外にはあり得ない。
                性的快楽は節度を持ちながらも大いに楽しむべきものである。快楽を否定するのは馬鹿げている。


[2003/8/26]
359 ・ 僕は死後、尾崎豊のように一部の人間に熱狂的に迎えられ、多くの人間に下劣な罵倒を受けるであろう。


[2003/9/16]
360 ・ その人間が持つ思想は、その人間の風姿が持つ雰囲気に出るものだ。真理(法則)の元で生きることはかも良き事かな!真理の元で生きる人間の雰囲気は、人間的で香り高いものだ。真理を信仰する者にとっては真理を信仰する者の雰囲気こそ芳しい。一方混沌を見つめている人間はそういう者にとっては何か神秘的なものを感じさせるにはせよ、何か人間的ではない冷ややかなものを感じさせる。しかし真理を信仰する者に「これは偽者だ、何かいかがわしいものがある」と感じさせる者が混沌を見つめている者なのではない。そのように感じさせる者は、どのような立場に立っているように見えるにせよ、どこから見てみても、単なる偽者だ。


[2003/10/5]
361 ・ 混沌や法則の「物自体」は存在する。それを肉体によって感じ取るのだ。そして多くの人間に付随しており、一部の人間に高い意味でのそれが付随している理性によって(論理、言葉)それを思考し、言語によって表現するのだ。


[2003/10/5]
362 ・ 正しさとは何か?全ての人間の肉体に眠っているものである。普遍的な正しさは全ての人間の肉体感覚に存在しており、各人が思考によって何を語ろうとも真理は共通している。


[2003/10/7]
363 ・ 現代の日本の詩人は自由過ぎる。理念にはニーチェがあるが、形式において自分を縛るものがない。唯一わずかながらでも伝統と言えるものは尾崎豊の白紙の散乱くらいである。僕の詩は書き始めたときから独創的だった。伝統があって欲しかった。僕が伝統の端緒を作るしかない。


[203/10/15]
364 ・ 水平化する人々は非常に個性的な僕を「個性的でも良い」と許容する。そうすることによって卑小な愛の元の多様に組み込もうとする。


[2003/10/15]
365 ・ 「このシベリアにはロシアの最も男性的な資質が眠っている」とドストエフスキーはシベリアの犯罪者達について語った。僕は言う、「精神病院の閉鎖病棟には日本の感性の最も鋭い資質が眠っている」と。


[2003/10/15]
366 ・ ロックが多くの人々の心に響く時代は終わった。喜ばしいことだ。これまでロックに感動して来た人々は何か勘違いをしていたのだ。(おそらくは規則からの自由への渇仰、多様性への欲求、閑暇の肯定) 本物のロックや本当にロックが解っている人はますますその音楽や精神が深くなってゆく。人々の嘲笑、自己への懐疑は彼らをますます孤独に、深く、過激なものにしてゆくであろう。


[2003/10/15]
367 ・ 大地は認識できず、肉体に備わる天与の「理性」によって映し出される世界だけが認識出来る、というのはカント的である。そうではなくて、大地の一部としての肉体に備わる共通感覚としての「肉体感覚」が大地を認識し、そしてごく一部の人にだけに備わる普遍的な「理性」(新しい意味での)に伴う言葉を使って世界を語るのだ。


[2003/10/15]
368 ・ 「我思う故に我あり」、これで自我の存在は規定出来るか?「思う」という述語に対する主語としての「我」という言葉の構造上の習慣が、「我」を生みだしている。よってこれによっては自我の存在は規定出来ない。自我とは共通感覚としての肉体感覚に宿る個性的であるが普遍的なものである。


[2003/10/15]
369 ・ 世界が力だとすれば、目標はあるが中途の過程は偶然的であり、因果律は存在しない。
  世界が混沌だとすれば、目標はなく中途の過程は偶然的であり、因果律は存在しない。


[2003/10/17]
370 ・ ニーチェはジュリアスシーザーについては殆ど全く語らなかったが、ハムレットについては多くを語った。


[2003/10/23]
371 ・ 肉体及び肉体感覚としての感性は、根源的には本能としての目的を持たず、カオスである。それに対して、理性、論理によって世界を創造し、肉体及び感性に本能を与え、目的を与えるのだ。肉体はそれ自身としては本能を持つことは出来ない。


[2003/10/23]
372 ・ 詩人は世界を創造する。


[2003/10/25]
373 ・ 世界の流転を拒否するアポロン的な主張は全てイデア論に帰着する。イデア論はディオニュソスに勝てない。


[2003/10/25]
374 ・ 現代人が真理を信じない理由は時代が真理向けでないからに過ぎない。真理を信じない者が形而上学的な理由を持っている場合はごく僅かである。


[2003/10/26]
375 ・ ディオニュソス、信長、イエス、地の塩、民主主義者の順に人類は序列付けられる。弱者である民主主義者は上位の人間を妬む。知的大衆としての民主主義者はインターネットを通じてますます勢力を広めるであろう。奴隷の大蜂起。ディオニュソスとしてはギリシアの復興を目指したい。革命は不可能だ。核ジャックはモデムアクセスがないから不可能だ。僅かな現代の貴族達を招集し、数千年後の自然革命を目指して頑張れ。


[2003/10/26]
376 ・ 世界の生成流転を否定しながらイデア論に帰着しない思想がただ一つある。ひかる主義における「新永遠回帰説」だ。価値決定者ではない、真理を信仰する殉教する戦士達にはこれを勧める。


[2003/10/28]
377 ・ 学校での、毎日の授業への出席、知識の詰め込み(これに反対する者どももこの範疇に入る)によって急速に芸術的精神が失われる。学問は貴族のものでなければならない。労働によってそれが失われるように、学問は感性を失わせるものであってはならない。貴族は「労働」をしてはならないのだ。現代の教育は労働的なものになってしまっている。それを覆すのは不可能だし、知的大衆が歯車となって高機能な社会を運営していることを考えてみてもそれを覆すのはもはや得策ではない。一切の労働をせず、寄生し、歯車を生活に利用し、独学で貴族的勉強をしてゆくべきであろう。


[2003/11/14]
378 ・ 世界はカオスであり、大衆もその存在の本質はカオスだからといっても彼らはディオニュソス的ではない。彼らは意識せず愛を信じており、その元にだらだらとやっているだけだ。


[2003/11/16]
379 ・ 自殺への甘い誘惑は苦しい毎日を生きている人間にとってのこの上ない慰めである。人はこれによって多くの辛い夜を過ごす。


[2003/11/17]
380 ・ ニーチェのディオニュソス思想を超えて無為自然にならなければならない。世界は創造出来ない。転変する法則の中では瞬間は存在せず、一瞬の内でも真理は創造出来ない。天才、神という概念は誤りである。「私」は存在しない。西洋思想であるニーチェ、ギリシャから東洋思想へ。


[2003/11/17]
381 ・ ディオニュソス的な音楽などアポロン的な音楽に比べればなんと色褪せることか。あらゆる芸術の中でロック、特に尾崎豊の音楽こそ最も深く、最も魅力的な芸術だ。


[2003/11/20]
382 ・ 永遠回帰説は間違えている。瞬間は存在しない。同じ川の流れに再び入ることはない。未来の過去と同じ瞬間は過去に同化吸収されない。回帰はなく、川は常に新しい流れを続けてゆく。


[2003/11/22]
383 ・ 民主党の中心である鳩山由紀夫にはプロテスタント的な厳しさがある。普段からも高貴さは失っていないが、時折普遍的な愛の精神を強く感じさせる鳩山由紀夫だがこの点は共感できない。それと法治より人治的な政治を取り入れていきたいと僅かに語っているが、もっと薩摩的に、西郷的に、人治政治の理想を持って欲しい。


[2003/11/24]
384 ・ 久美ちゃん、おそらく君だけが狂ったこの僕を真人間にしてくれる。


[2003/11/24]
385 ・ 流転する世界の中、僕はいつも幸せだけを求めてきた。そして今は君が僕の生きがいだ。


[2003/11/27]
386 ・ 4年半前、熊本に帰った。熊本は中崎義男そのものである。熊本に行くと深い安らぎと健康そのものが与えられる。彼は異常に繊細な頭脳を持った、ある尋常でない天才であった。僕の原型は全て彼にある。彼は100%信じられる。彼だけが信じられる。どんなに追い詰められて自分がただの馬鹿だったと確信しても、それは違う。なぜなら中崎義男は超最高に高貴な人間だからだ。彼の申し子である僕に間違いはない。僕が間違えることはあり得ない。


[2003/11/27]
387 ・ 僕が人類史上かつてなき最高の天才であることは間違いがない。僕は人類史上最高に高貴な人間である。僕はニーチェをも超えるだろう。素質としてはもはや超えている。私は中崎義男の血を引いた。これはとてつもなく比類なき特権である。僕は全てを救済するだろう。


[2003/11/28]
388 ・ 強い原理性があって初めて本物の混沌が可能になる。


[2003/12/14]
389 ・ 民主主義者の民主主義への柔らかく巧妙な誘惑に注意し、貴族主義を貫く。されど真理には殉教せず。民主主義歯車に高機能な社会を運営させ、貴族はそれに寄生し、己たちのみでの自閉した文化を築き、生きる。


[2003/12/22]
390 ・ 無限の過去の中には未来の全てがある。日の下に新しきもの無し。


[2003/12/24]
391 ・ 僕だけが尾崎豊の真髄を理解しているという確信が、僕の全ての劣等感を吹き飛ばしてくれる。


[2003/12/24]
392 ・ 宗教人の間でこそ、僕は充分に暴れることができる。


[2003/12/26]
393 ・ どんな意見にもそれぞれ尤もらしい言い分があるものだ。


[2003/12/30]
394 ・ 精神医学は時代に反抗する人間をパラノイアと診断し、その人間の自信を失わせる。
  一切の時代からの反抗を砕く、時代の全ての言語。あらゆる言語(言葉、音楽、建築など)が強い人間を徹底的に破壊する。パラノイアと診断されてもニーチェを読み、自己を高く育成すること。ニーチェも僕もパラノイアではない。精神医学は時代(未来も含めての)と結託しているのだ。総じて民主主義と。また現象学者はその愚劣な懐疑によって人の直感を始め、人の最終的悟性的判断をも疑わせる。現象学自体には何の懐疑も持たず。一切の、総じて民主主義的言語からできるだけ離れ、自己を強者として強く育成すること。


[2003/12/30]
395 ・ ニーチェも僕もパラノイアではない。パラノイア的人格があるだけだ。そう言う理解のある精神科医にもまだ馬鹿にする意図が含まれている。所詮は愚かな、少し注目すべき人格が存在する、という意味で。


[2003/12/30]
396 ・ 自信を持っていた頃の僕が、天才の精神病について本を読んだことの意味---それはどのような形でもいいから世に認められたいという願望である。たとえ狂人としてでも。


[2004/2/15]
397 ・ 何らかの信仰を持っているほどの強い人間はいない。彼は無敵である。


[2004/2/27]
398 ・ 人生の遍歴の中、何らかの経験で体感した思想のみに価値がある。一足跳びに、ある思想を学んでも何も得ることはできない。そういう人間は何か不信感を感じさせる。


[2004/3/7]
399 ・ これからの時代は神々の争いの時代である。それは壮絶な争いなのだ。


[2004/3/12]
400 ・ 思索家とは少ない体験で多くを知り多くを体験する者のことだ。


[2004/3/22]
401 ・ ある悪癖に侵されると人は焦り、そこからの離脱を必死に求めようとする。では試しにそこに浸り続けてみよう。どんなにそこから離れまいと粘ってみても、必ず離脱の時は訪れる。


[2004/3/30]
402 ・ 士農工商とはそのまま人間の価値の序列である。


[2004/4/4]
403 ・ 俺が理解したと思ってみても、俺の腐った頭は、そのものを腐らせるであろう。


[2004/4/6]
404 ・ まず小学校に入り、次に中学校に行く。そして高校を受験し入学し、大学を出る。それからサラリーマンになり、結婚し、家を買い、ローンのために必死でつまらない仕事をし、子供を産み育て(これにはいいところもある。所詮は親と同種の人生を送るのだが)、やがて老い、年金で暮らし、病院のベッドで一生を終える。下らない!なんとも下らない!糞むかつくほどくだらない!彼らの言い分はこうだ。「生活のために仕方ないじゃん」」自分の悲惨な境遇から抜け出す勇気も気力も努力もなく、それを肯定する言葉が「生活のためにやっているのよ」といういい訳だ。衆を超えた優れた男は自分の人生を自分で構築し、生き、そして運命愛に至る。それに働かなくても生きる手段なんていくらでもあるだろう?何が怖いんだ。


[2004/4/8]
405 ・ 現象学における独我論について---自己の外部世界があると規定し、それを内在的に推察する、と言う。独我論においては自己の外部世界があるかないかは解らない。当然推察などできない。だがあえて語るならば愚劣な独我論も真理である、自己の観念界が全てであり、そこから他人の観念界を推察する。


[2004/4/9]
406 ・ 権利の平等を求める闘争が殆ど片付いてしまった後、独居的人格への闘争が勃発する。(ニーチェ) 精神病院における、患者の権利の獲得への改革が進まないのは何故か?彼らが独居的人格だからだ。


[2004/4/9]
407・ 共産主義者を撲滅するためなら僕はヒトラーになりたい。地上から彼らを殲滅したい。


[2004/4/22]
408 ・ ニーチェが同時代の教養人を馬鹿にしたように、ニーチェの洗礼とは呼べぬ洗礼を受けた現代の教養人も、一部のニーチェ主義者達を侮辱する。ニーチェの思想を誤って解釈して。現代の世界創造以後の混沌を世界創造以前の混沌として、そこから有意味化する人間を、混沌の中で生きる人間より下位の人間として捉えて。


[2004/5/8]
409 ・ イエス、及びJ.S.ミルの「自分がして欲しくないことを人にもするな」。これは笑うべき見解である。これは人間の平等説にもとづいている。僕はこう言い返す。「自分が人にして欲しくないことを人にして一体何が悪いのだ?」。


[2004/5/11]
410 ・ 俳優でない誠実な人間は行動を起こせない。


[2004/5/14]
411 ・ 読書は非常に有用なものであり、人生において決して欠かせぬものだが、自分の魂において本当に大切な局面においては何の役にも立たない。独創、自分自身にとっての真理において戦うこと。


[2004/6/3]
412 ・ 天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。それでも人々に上下があるのは勉強するものと勉強しないものがいるからだ。(福沢諭吉)---大切なのは血統による魂の高貴さであって、機知、才などはどうでもいい。福沢諭吉はユダヤ的、民主主義的な卑しい人間である。


[2004/6/9]
413 ・ 偏った習慣として積み重ねられてきた行動が肉体自身の内から生まれた本能となる。言葉、理性はその本能を強めるものであり、本能を生み出すものではない。


[2004/6/25]
414 ・ 何か強い衝動があれば、自分を破滅させてしまうひどい保留性から逃れられる。


[2004/6/25]
415 ・ 現在は未来であり過去だ。


[2004/7/10]
416 ・ 僕には民衆から迫害される権利がある。民衆には僕を迫害する義務がある。


[2004/7/12]
417 ・ 僕の人生で真に価値があったのは18歳から21歳までの間である。それ以降の人生は全てただの補足である。


[2004/7/13]
418 ・ 徹底した保留は民主主義化する。何故僕だけ意見を主張してはいけないのか。


[2004/9/6]
419 ・ 愛、力、美、サティ。無限個の全ての真理は「権力への意志」と言い換え得る。流転する世界の中での、その時を得た支配的理想。真理を惜しみなく確信するがそれに屈服せず。神、もしくは悪魔として身体の衝動で世界を創造する。今の僕の真理は核ジャックへの希望を捨てず、自閉的貴族文化で楽しむこと。


[2004/10/15]
420 ・ 閉鎖病棟での僕は、まさに伝説的な、極めて優れた人格者だった。しかし時はもう帰らない。


[2004/10/17]
421 ・ 産まれたばかりで、まだ温かい新しい思想というものは、人には語りたがらないものだ。


[2004/10/29]
422 ・ 恐怖の中へ突き進め。地獄へと、歩め。


[2004/11/18][2004/11/20改]
423 ・ ラ.ロシュフコー気取りで、美しい感情を糾弾し、それがとても立派で格好いいものだと思う連中は多い。下らない奴らだ。そんなものはひねくれていて思いが純一になっていないだけだ。


[2004/11/28]
424 ・ 心の問題について触れる資格があるのは哲学者や芸術家達であって、カウンセラーなどにそんな資格はない。「心理学」という学問などで生の人の心が解るものか。小林秀雄の言うように、精神医療は人間に欠けている、ので必ず失敗するだろう。というより、もう既に、(ことに日本では特に)大失敗している。そして世界を見回してみても「良い精神医療」などどこにもない。


[2004/12/1]
425 ・ 俺はいつも狂気の保留の元に語り、行動をして来た。両親はそれに付け込んで愚弄し続けた。僅かでも正義心があれば人はそれを見て怒りだすだろう。他の奴らも、どいつもこいつも、俺が保留をし過ぎる余りはっきりと主張しないことに付け込んで言いたい放題やりたい放題をして来た。彼らに対して俺は、男らしさ(暴力)は大事だし、そして我慢がしきれなくなった為にぶち切れて手の付けられぬ野獣の様に襲いかかった。彼らはみっともない足取りでひょこひょこと情けない格好で走り出し、警察を呼びに行く。僕は度々自己の高貴さに打たれる。


[2004/12/1]
426 ・ 物質に満たされ過ぎているとそれに気を取られてしまい、深い精神状態を味わえなくなる。


[2004/12/3]
427 ・ 僕のような人間がカウンセリングによって傷つくのは、対話していくことによって自分の嫌な欠点に気付くからではなく、――これは精神医療全般に通ずることだが――全ての人間は皆凡庸であるという定義の下に、卑しい、いわゆる「時代の心理学」、を使って高級な人間を柔らかく、極めて洗練されたやり方で破壊するからだ。


[2004/12/3]
428 ・ 社会は寂しい。みんな自分の役割を演じているだけ。仕事として付き合っているだけだ。どいつもこいつも涙が出るほど下らないよ。どんなにすがってみてもみんな氷のように冷たい。付き合い始めてしばらくは続く笑顔は、所詮は偽りの笑顔だ。


[2004/12/19]
429 ・ 地獄へと歩め、そこに天国がある。


[2004/12/19]
430 ・ よく振り返ってみると実際は苦しい事ばかりだったのに、思い出はいつも美しい、という言葉に今の内に反論しておく。久美子と過ごした恋の季節は、とても楽しい日々だった。


[2004/12/20]
431 ・ 子供が父親に逆らう事の転移として、若者は社会に逆らうと精神分析学は言う。しかしそれは社会を構成する大人の男の一人として父親がいるだけだ。


[2005/1/12]
432 ・ 詩人ははしたない。どんなことでも作品にしようとする。人が普通持っているような羞恥心に欠けている。人はあえて語らない出来事をたくさん持っているものだ。詩人ははしたない。どんなことをも作品にしてしまう。


[2005/1/14]
433 ・ 今の己の状態を正当化したいが為に、過去に犯してしまった失敗を今の「良い」己の置かれた状態への道として正当化しようとする。しかし失敗は失敗に過ぎない。場合によっては今の情けない己の状態を生みだした原因である失敗を正当化してはならない。


[2005/1/27]
434 ・ カウンセラーはいつも計算しているように見える。素朴な人間性など殆ど残っていない。


[2005/2/1]
435 ・ ディオニュソス対アポロンとは、混沌対法則、実在的な音楽対比喩的な言葉である。そこに表象対盲目的な生への意志だとか、根源的な苦痛だとか、そんなショーペンハウアー的な物を持ち込むと「悲劇の誕生」を代表とするニーチェのおかしな認識論、芸術論を生む。


[2005/2/25]
436 ・ 下品で、しかも頭の悪い貴様等は、何らかの社交におけるこの狂気のような徹底的な僕の高貴さを何も知らずにいるのか。その行き着く先は貴様等を核攻撃し、全てを焼き尽くしてしまうことだ。これもまた高貴なことだ。


[2005/2/25]
437 ・ 僕は孤独になりたくない。変わるってことは孤独になるってこと。


[2005/2/25]
438 ・ 僕は本当にくだらない人間なのか。それとも時代に、社会に言葉に負けただけなのか。


[2005/2/26]
439 ・ 人間は本来皆神であるが殆ど全てが奴隷道徳に縛られている。


[2005/3/4]
440 ・ 人間。なんて哀れな生き物だ。悲しすぎる。


[2005/3/4]
441 ・ 俺が俺であるためにはおまえと別れるしかなかった。久美子すまない。


[2005/3/12]
442 ・ 織田信長はおそらくマゾヒズムの性癖を持っていたと思われる。ああいうタイプの人間は、非日常的な世界ではきっと虐待されることに喜びを感じたはずだ。自分の経験に照らし合わせて解る。
 信長のような英雄ではないが、ヒトラーもおそらくマゾヒストだったと思われる。虐待されるその対象はエヴァブラウンだろう。


[2005/4/10]
443 ・ いかにして俺を駄目にしようかと、全人類が追いかけてくる。


[2005/4/11]
444 ・ どいつもこいつも、どの団体もどの組織も、心の底から本当に下らないと思っている。世界は俺の人格から始まるべきだ。


[2005/4/29]
445 ・ プラス志向、マイナス志向、ポジティブ、ネガティブ色々あるが、どれも言い訳がましい不純な言葉だ。ただ事実があって、正しい行動をするのみだ。


[2005/5/7)
446 ・ 何故人生はこれほどまでに悲しい。


[2005/5/21]
447 ・ 数百年ののちに人類は最大の岐路に立つ。すなわち「安寧なる愛」を取るか?それとも厳しくたくましい「力」を取るか?


[2005/5/22]
448 ・ 人生は楽しむためにある。
  楽しむためにあるからこそ復讐する。


[2005/5/22]
449 ・ 何をおいても人生は良い。あとは糖尿病にならないようにダイエットするだけだ。


[2005/7/13]
450 ・ 「精神科医は天才を迫害する。現代の魔女狩りだ。」その言葉を最新の学問を備えた精神科医や学者たちは子供っぽい物語だとせせら笑う。しかしそれは現在においてもなお事実なのだ。精神科医、特に臨床心理士による極めて洗練され尽くした、優しい善意による、容赦のない残忍な、人格改造。


[2005/7/16]
451 ・僕はよく人に「君はいつも何かを探しているように見える」と言われる。僕の祖父は 彼はいつも何かと戦っていた。


[2005/7/20]
452 ・ 今思うと学校の先生は大部分が狂っていた。正常な教師はごく一部だった。


[2005/7/20]
453 ・ 正しい残酷さを知らず、当然それを行えないのに、愛を信じているが中途半端にしかそれが出来ず、悪にさえ走る、貴様等民主主義者ども。貴様等の行う、いじめや、不条理な会社上司による薄情な真似、犯罪、人を傷つけること、など、俺は貴様等を絶対に許さない。貴様等は塵で屑で、奴隷として使役させる以外に何の価値もないのに、貴様等はお互いを傷つけ合う。卑怯な虫けら、この蛆虫ども。何らかの「力」がなければ、人は不条理なこの世界の中で没落してしまうのだろう。


[2005/8/28]
454 ・ 相対性理論は間違えている。ポイントはその理論が科学的方法に因っているところによる。視覚、科学的実験、科学的観察法、まとめて言えばその科学的思考法によるものが真理だと思い込まされている。相対性理論は科学的には反駁できないであろう。しかしその根にある科学的方法に問題があるのだ。それは哲学の世界で言えばぶっ飛んだ無茶苦茶な話である。科学の役目は世界の解釈ではなく、それを哲学によって得られたものを分析すること、そして生活を高めるものであり、科学者を哲学の世界に踏み込ませてはならない。


[2005/9/26]
455 ・ 僕の、強者の自律道徳の理由は、全て喧嘩にある。


[2005/9/28]
456 ・ 僕は今三十歳。まだまだ若輩者だけど、人生生きれば生きるほど、わけが解らなくなってくる。


[2005/10/4]
457 ・ 「どうしようもない。巨匠に習う者はいつかその師から離反しなければならない。それはその者も巨匠たるべく宿命付けられているからである」(ニーチェ) 最近僕は強く思う。僕はニーチェから逃げない。逃げたくない。どこまでも「常に正しい」ニーチェについていきたい。だが逃げではなく、僕は僕自身になりたい。時は満ちた。僕はもう、僕自身になる時だ。恐ろしい残虐さと、生来の僕の素朴な非常な優しさを抱えて、僕自身の独創的な思想を見つけるのだ。


[2005/10/27]
458 ・ 思考、行為は原始の時代から非常に重んじられていたものだと思われる。人が産まれ、成長し、世界を認識するに至った時、人は度々死んでいたものと思われる。偶然の中で生まれた思考や行為が何らかの方向へたまたま偏った時、本能が生まれ、人は生き続ける事を選んだ。真理は錯覚であり、世界は積み重ねられた錯覚の妄想である。それに援助することで人は世界を成り立たせ、カオスの中で破滅することを避けてきた。ゲルマン神話の、神々の黄昏、ラグナレク。ディオニュソス。人類はそれを避け、真理、本能を維持し、美の頂点に達しなければらならない。


[2005/11/13]
459 ・ 既に、卑しい民衆どもによって全ての言葉は穢されてしまった。今や、言葉によって何かを思考した途端に言葉は清々しさを失い、汚濁の中に突き落とされてしまう。


[2005/12/16]
460 ・ 絶対的に孤独な存在である、人間、は歌や言葉によって心を伝達しようとする。極めて愚かしい行為なれど、その優しき行為は喜ばしきことなり。


[2005/12/19]
461 ・ タイムマシンの発明は実現されるだろう。過去にタイムスリップしてみても、タイムスリップし、してきた、自分の存在は何も変わらないし、過去は、タイムスリップしてきたその時点から先は違う歴史を歩むだろう。事物は過去と未来において堅く連結されているが、この世に因果律は存在しないのだからタイムパラドックスなど起こらない。無限の別様の僕の人生があるはずだ。無限の数の永遠回帰がある。


[2006/1/9]
462 ・ 人は解りあえないからこそ、孤独を癒し合えるのだ。


[2006/1/9]
463 ・ 多くの論理は根拠なき信仰から始まっている。


[2006/1/16]
464 ・ 聖書にこうある「神の御業は謎めいている」。つまり神意などはなく、全ては偶然の賜物だということだ。


[2006/1/18]
465 ・ 俺がニーチェと比較して、勤めて原理を尊重するのは、俺が薩摩隼人の末裔だからだろう。


[2006/2/5]
466 ・ タイムスリップした先の過去も未来も永遠回帰するし、永遠回帰として起こったことだ。そしてタイムスリップをしたことも永遠回帰として起こったことだし、また永遠回帰する。


[2006/2/5]
467 ・ 瞬間ということを定義した上で言えば、次の未来の(こういう表現をあえて用いるとして)、瞬間に起きることは過去や他の未来へのタイムスリップとなんら変わりがない。


[2006/2/5]
468 ・ 想像したことは実現するし、想像しなかったことも実現する。


[2006/3/11]
469 ・ 世代や年齢の差によって理解出来ない若者を、必死で理解しようと誠実に深く考え込むことの喜び!(三島由紀夫風に)


[2006/3/15]
470 ・ じいちゃんの祈りは死んだ後も永遠に続く。僕は永遠に戦い続ける。


[2006/3/20]
471 ・ 自分が相対している人間の言っている事が間違えで自分が正しいだって?僕は自分を信用できない。他の人の目も信用できない。そして相対している奴の言っていることだけが真実になる。


[2006/3/20]
472 ・ 「事物の移ろいやすさを嘆く必要はない、海は再び寄せ返すのである」(ニーチェ)?過去の良い思い出に再び帰ることなどできない。その時も今のように、それなりには移ろいやすさを思い、一生懸命になるだろうが、まさか後で過去である今をこんなに大切に思うことなど基本的には想像にもよらない。海は再び寄せ返すとは言っても、思い出の場所に、今の情念のまま移れはしないのだ。


[2006/4/9]
473 ・ 親孝行したくないとき親はあり
  親孝行親がいなくばしたくなる


[2006/4/22]
474 ・ いつだって、僕は誰にも恥じることなく徹底して高貴に生きてきた。いったい誰が僕を批判できよう。


[2006/5/2]
475 ・ 僕はカナリヤ。しかし泣き喚くには遅すぎた。日本は、この世は、発狂する。


[2006/5/19]
476 ・ 何一つ報われなくともただひたすら徳を積む。


[2006/5/19]
477 ・ 僕はある事柄について充分に語りすぎた。それは君たちが薄々気付いていることだ。しかしそれは選ばれし者にしか理解できないようになっている。君たちがそれについて語り始めてみても滑稽なことになるであろう。君たちはアイスキュロスやソフォクレスに並ぶ、いやその悲劇の概念を塗り替えた恐るべき作品を知っているか?


[2006/5/25]
478 ・ この地上で最も忌むべき存在は3種類ある。キリスト教徒、共産主義者、そして精神科医。


[2006/6/3]
479 ・ 宇宙は恐怖の虚無である。


[2006/6/15]
480 ・ 僕の完璧主義や、特に強迫観念が、僕を混沌から守ってくれる。英雄主義へと駆り立たせてくれる。


[2006/6/16]
481 ・ 知的正直性や、保留や、貴様らの所詮は一方的な批判で、俺はもう言葉を発せないし、思考することもできない。


[2006/6/27]
482 ・ 「隠遁者は決して恨みを忘れない」、ので、彼らは汚猥の記憶の中で神経を焼き尽くしてしまうものだ。だが自然に、鼻であしらうことができるようになれば話は簡単だ。そういった説教をしてきたお前らに対しても言いたいことだ。「重力の魔――怒っても殺せないときは、笑えば殺すことができる。」


[2006/6/28]
483 ・ 人類は全滅せずに存在を維持している限り、無限の宇宙の中で新しい発見をし続ける。終わりはない。恐怖の虚無というよりは、この無限の可能性、喜び!


[2006/7/19]
484 ・ いつでも独特な僕特有のセンス、普遍的で最高級のセンスで高貴に振舞うこと。その忍耐と緊張と充実の日々は僕をますます高貴にさせ、更なる高貴さへと駆り立てる。


[2006/8/31]
485 ・ 私は少年の頃より、キリスト教の教会にて良い気分を味わったことは一度としてなかった。子供の日曜礼拝では老いぼれたくさい匂いのする老女の話のつまらなさ、そして他の子供たちの性格の悪さ、意地悪さに辟易した。大人の礼拝においても説教の内容の不可解さ、そしてあまりのつまらなさに失望した。しかし私はそれでも教会には足を運ぶようにしていた。人や物事を突き放す際の非常な慎重さはその頃からすでに表れていた。教会では人々が表面的な仲のよさ、そして表面的な善良さをもって、嘘臭く、表面的に互いに「我らこそ善良な者」とばかりに談笑していた。私の少年の頃の灰色の退屈さは土曜日の学校帰りの家の雰囲気(父はまさに灰色の絨毯の上で、寝転びテレビを終日見ていた。)、そして教会の礼拝堂での雰囲気だった。私は16の時受洗したのだが、その受洗式をした牧師の夫が直接教えを受けたのは賀川豊彦である。私は賀川豊彦が嫌いである。賀川は彼の伝記を読むたびにキリスト教徒特有の卑しさを感じさせる非常に不潔な人物である。好感の持てるキリスト教徒は内村鑑三ぐらいであろう。キリスト教徒とはこの世に存在する人間の中で最も卑しく不潔な人種である。少しでもキリスト教に関わりのある事物や人物に接触すると本当に気分が悪くなる。現世流の教義、について疑問を言ってみると人の頭を小突き、「神様は怖くない、許しの神だ」と許されるのだから何をやってもよいのだとばかりのプロテスタント、人格を高めようとする意思の低さ。こんな汚らわしい存在とはできるだけ距離を保つべきである。どんな快感もキリスト教的な事物と接触するとたちまちの内に吹き飛んでしまう。教会など全て火をつけて燃やしてしまえばよい。キリスト教徒などは地上から殲滅すべきなのだ。


[2006/9/18]
486 ・ 共産主義は一種の宗教である。実存的問題、即ち魂の救いの問題が、もっと充実したいもっと幸せになりたいという人間の根本的な命題が社会システムや金銭、物質的なものが満ちることによって解決するという思想だ。資本主義は金銭こそ全てという卑しい経済体制だが、実存的問題については共産主義よりははるかに寛容だ。


[2006/9/19]
487 ・ 公平にどの点からみても、世界で最大の偉人は、仏陀釈迦牟尼仏である。(ウェルズ,英・作家)


[2006/9/19]
488 ・ 仏陀釈迦は、世界の最も偉大な宗教家であり、世界の光である。(ハイラー)


[2006/11/2]
489 ・ 僕は二十歳の頃空手をやっていたのだが、師範の一人に化け物がいた。人間ではない。彼は時折異様なオーラを発し、目がぐにゅぐにゅと動き、ピンと爬虫類の目になった。爬虫類の目。ちょうどワニの様な目だ。誰も信じないし、見た者も覚えていない。だがこの世に化け物は存在する。あれは人間ではなかった。


[2006/11/15]
490 ・ 英雄史観と唯物史観の融合を僕は欲している。ニーチェと堺屋太一の合体を。堺屋太一は規格大量生産的なものとして共産主義を否定しているが、彼もまた共産主義者と同じく唯物史観だ。


[2006/11/15]
491 ・ 西○和○-----僕に敵わないものだからとにかく無茶苦茶に、しかし乏しい知識を脈略なく並べ立てる。小賢しい相対主義者として、いや相対主義をも相対化する小賢しいガキ。彼は敵わない者を敵に廻しているので勝つためならどんな強引さ、無理さをも行使する。彼は度々ひるんだ、やはり敵わないとの観の挙動を見せる。しかし彼は強引に勝とうとする。それを積み重ねたゆえにもう少しでも負けるわけにはいかない。自分の方が勝っているという虚栄を貫く為には全ての事においてに勝利しなければならないのだ。もうどんな無茶苦茶でも構わないのだ。彼はそのような動機からひるんだ観の挙動から強引に盛り返し、無理に勝利を堅持しようとする。背筋を伸ばし首を引き、煌々とした満面の笑顔を見せるのだ。あの笑顔!.....哀しい奴だ。


[2006/12/20]
492 ・ 全ての哲学、芸術は単なる現実逃避である。現実はもっと淫猥で生々しい。
  しかし現実逃避をしていったい何が悪いというのだ。


[2006/12/20]
493 ・ 自己の意志などは全て偶然の所作である。


[2006/12/20]
494 ・ 正伝空手道の空手家たちは近くに寄ると死臭がする。このように世の中には奇妙で奇怪なことが時折あるものだ。笑顔を浮かべると歯茎がむき出しになる女性たち。三島の書いたような奇妙で気持ちの悪いものがこの世には存在する。


[2007/2/6]
495 ・ ニヒリストとは宮台の言うようにないものをあるように、つまり真理(反道徳に対する道徳でもよい)がないのに真理を信ずる無謀者ということではない。ニヒリストとは、ディオニュソス、または英雄主義(ニーチェの言うようにカーライル流のでなく信長的な)が現実主義であるのに対して、反自然、反充実を志向する者達のことだ。


[2007/2/6]
496 ・ ある時、僕の隣にとても惨めな風采をした男女が座っていた。僕は日頃、強者の戒律として同情を禁じていたが、つい彼らの方に、心を、優しさを溢してしまい、しまいには彼らにこの身の全てを投げ出してしまい、同情に殉教してしまったのだ。彼らは涙を流して感謝をし、僕を崇めた。そんな人々が僕の周りに日に日に増えていった。しかし日が過ぎるにつれ、彼らの様子は少しずつ変わっていった。以前は彼らは僕を恐れた様に接していたのに、次第に対等な関係であるかのように話すようになり、馴れ馴れしくなり、時々生意気にも僕を侮辱し始めた。もっと日が経つと彼らは僕に激しい、肉体的精神的折檻を与えるようになった。・・・・・もう十分だ。立ち上がれ。民主主義者によって植え付けられた過剰な保留性など捨てよう。自信を持って、何の情け容赦なく、彼らを鞭打とう。豪胆に彼らを辱め嘲笑しよう。虐待し、悦び楽しもう。


[2007/2/25]
497 ・ 多くのニーチェ識者が持つ、そしてニーチェ本人にさえ認められる永遠回帰説についての間違い。-----ある瞬間、は無限の過去において無限回繰り返され、未来にも無限回繰り返されるが、その瞬間はその瞬間の内で「完結」しているのだ。再び体験することなどできない。再び体験するのはその瞬間と全く同じことなのだから、同化し、その瞬間に閉じ込められる。もはや永遠回経験したし永遠回経験していく。のちの自分の意識を織り交ぜることなどできない。時たま馬鹿者が言うような、忘れてしまった、とかそういう問題ではない。


[2007/2/25]
498 ・ 共産主義者と話していると自分の深い精神全てを伝えたくなる。そして酷い目に遭うのだ。あの柔弱さと、何でも知っているかのような雰囲気に、自分の思いの全てをぶつけたくなり、そして無力さを感じさせられ、これならどうだというばかりに全ての全てを語ってしまうのだ。


[2007/3/31]
499 ・ 人類は皆、手を繋ぎ合って死という恐怖の王から身を守っている。後世への貢献名誉、称え合い繋ぎ、死という恐怖の王と戦っている。しかし死の恐怖に打ち勝つことは決してできない。だが光はある。人類は救われ得るのだ。仏陀釈迦牟尼こそ唯一の救いであり、世界の光である。


[2007/3/31]
500 ・ 孫正義。この凄まじき男と同時代に生きていることの喜び。彼の所業一つ一つは男心を感動に震え上がらせる。
 ---そしてそれをもはるかに上回る電撃が来る。天を見よ。雷光をはらむ大きな雲が向かってくる。嵐がやってくる。凄まじき稲妻がやってくる。


[2007/3/31]
501 ・ 強者がもはや自己の権力を発揮できない場合、彼らは、---例えば精神障害者として---、人々から哀れみ、優しさを受けることを自己の社会的位置とする。そうせざるを得ない世の中なのだ。無論、実際は自分は強い人間で偉大であることを忘れてはならない。


[2007/3/31]
502 ・ 仮に相対性理論が正しく、非常に高速な速さで飛ぶ宇宙船の中での生活が、地球上よりも時間が遅くたつとしよう。しかしなぜその宇宙船の中にいる女性の皮膚の老化のスピードが地上に比べて遅くなるというのか。地上時間に合わせて比較した時に他の乗組員の諸体験、脳の活動が地上よりも頻繁になるというのか。小学校の一周200mのグラウンドを光速並のスピードで走れば人生経験が豊かになるとでもいうのか?


[2007/4/11]
503 ・ 絶望の中で生きるのも悪くない


[2007/5/8]
504 ・ 「死後の世界は有るとも無いとも言える。死後の世界が有ることは科学的に証明されていないが、死後の世界が無いということもまた、科学的に証明できていない。」阿呆。動物や人間の死体を見てみなさいな。死がどういうものなのかわかるだろう。小賢しことを言いなさんな。賭けてもいい。死後の世界など絶対に無い。死の恐怖のあまり無謀な論をたてなさんな。しかし嘘でもいいから死の恐怖から逃れたいものである。 


[2007/6/9]
505 ・ 永遠回帰の「回帰」という言葉には何かもう一度戻ってきて体験しなおせる、との意が、願望、が含まれている。同じことが回帰する。寸分たがわずにだ。今この文章を書いていることもすべてがだ。永遠回帰される事象そのものはただ一度きりであり、そこで完結している。そう「完結している」ということを多くの低脳なニーチェ学者やニーチェ本人に言いたいのだ。


[2007/6/10]
506 ・ 両親のあの、人を見る目がゼロどころかマイナスにまで低いのはなぜだろう。僕は昔からたった一人で戦ってきた。


[2007/6/15]
507 ・ 強く生きていて、復讐や威圧などをしているとお前は独善的だの、空威張りだの、ひねくれているだのと批判してくる。僕は正しいことしかしていないのに。僕が弱くなればみんな言いたい放題やりたい放題馬鹿にしてくる。一体僕のどこが間違えているというのか。最後には誇り高いこの人格が問題とされる。


[2007/6/19]
508 ・ 「みんな自分のことを特別だと思いたがっているけど、実際はみんな同じなんだよ」お前らはまたやるか。今度は「個性」なるものの片付けだ。貴様らはそうやってなんでもかんでも汚らわしくし無価値にして片付けてゆく。


[2007/6/25]
509 ・ 一期は夢よ、ただ狂へ。混沌の中で遊び狂う、遊ぶなら徹底的にやってやろう。彼は陰鬱なまでに権力を求める。しかし彼が本当にはその原理を信じていなかったことは、生涯にわたり何度も見せたその破滅的な態度に表れている。織田信長は超人である。彼が基本的には真理を信じ、真理の生成流転を起こさなかったのは、彼が生きたその時代によるものだろう。


[2007/7/21]
510 ・ ロックンローラーになろうとしている若者を阻む全ての者を俺は決して許さない。彼らの殆どは失敗するだろう。だからといって、ロックンローラーになろうとしている若者を邪魔するもの全てを俺は決して許さない。


[2007/7/21]
511 ・ 基本はクリーンに。(しかし原始的自然の崇高さは残しておくがよい)そしてインターネットに代表されるような多様さを持たせながら、上部構造がいかにして、上手く密かに魔法のように、ITを使った徹底した管理支配社会を創るか。


[2007/8/20]
512 ・ あの苦しい中学一年の時の夏のサッカーの合宿。永遠回帰だからまた味あわねばならない?嫌だ、嫌だ。大丈夫。もう二度と味わうことはないから。あの苦しい一瞬は、その無限の過去において永遠回起こったことだし、また無限の未来に永遠回回帰するが、その瞬間は完結しており、再び苦しみを体験することはない。ニーチェは「海は再び寄せ返す」などと言っているが大間違いだ。人生は一度きり、悔いなく生きよう。苦しみは繰り返されることはない。苦しみの中にも喜びはあるが、何より達成した時はもっと喜ばしく、苦労の甲斐もあったというものだ。苦労はするとよい。目的があって、それに必然的について回る苦労なら。ニーチェの永遠回帰説はでたらめだ。


[2007/8/20]
513 ・ 本当の貴族は利他的な感情から戦争に参加するのではない。彼らは自分の領土、資産を守るために戦地へ赴くのだ。そして軍隊の兵士に民衆の率が多ければ反逆の恐れがあるからだ。彼らは民衆のために戦争に行くのではない。民衆という一種の奴隷、その使役させることのできる資産を他の国の者に奪われないために戦争に参加するのだ。ノブレスオブリージュなどおかしな言葉だ。


[2007/9/13]
514 ・ 全人類は死に対しての共同戦線を張り、半永久的に個人個人を語り継いでゆかなければならない。それくらいの事をしなければ死の恐怖にはとても太刀打ちできないのだ。


[2007/9/13]
515 ・ この世は混沌としており、人間は無限の数の欲望に支配されている。仏道にいそしむ以外の全ての人生は犬死に終わる。世界は一瞬も留まることなく流転している。外界にも自身にも実体はない。これが空である。


[2007/9/13]
516 ・ 明けることのない夜
     それが今の僕の人生


[2007/10/17]
517 ・ オルテガの貴族主義は笑うべく無茶苦茶である。彼によれば市民エリートが貴族的なものとされている。ノブレスオブリージュ自体おかしな言葉だが、それを貴族がしたようにこれからは市民それをがやれば良いらしい。そうすれば貴族的だと。話にならない。彼はアメリカ人のような個人主義的道徳を持った人々を貴族的というのではないか。阿呆が。真に貴族的なるものとは卑しい民衆とは何の関わりもない。そして市民の命より自分の命を優先する。己が彼らより価値ある存在だからだ。オルテガの文章は西尾幹二の風姿と同じように大便臭い。


[2007/11/29]
518 ・ 極めて深い精神を持つが故に仲間がおらず、時代を超えて生きるが故に、己が時代にリンクする時に覚える歓喜、快感。


[2008/2/2]
519 ・ この世で唯一価値のあるものはロックだけだ。ロックをやることは人生の中で唯一意味のあることだ。


[2008/3/16]
520 ・ 芸術家、詩人には色々なタイプの人がいるが、その自分の特性、年齢を重ねることによって生じる、精神や作品の推移。寿命、死に方。さまざまな要素の傾向。自分は今までどういう傾向があったのか、そしてこれからどうなっていくのか、先の天才たちと比べ、思いを巡らせるのは楽しい。


[2008/3/16]
521 ・ 数百億年後に地球が無くなってしまったり、数千億年後に人類が滅亡してしまうことが確実であったっとしても、人々は殆ど恐怖を覚えない。それならば少なくとも数千年間、出来れば数万年間に渡って、自分の思想や作品、そして僕がどんな人間であったかを全人類に知らしめ、人類史に名を残せば、死の恐怖から逃れられるのではないだろうか。


[2008/3/16]
522 ・ 今はタイムマシンのない瞬間にいる。僕の過去もタイムマシンのない瞬間の羅列だった。未来はどうなるかわからない。タイムマシンにかかわる瞬間というものはあるはずだ。

<タイムマシンがあるならもう未来からまたは過去から来てるはずじゃないか>ということへの反論


[2008/3/16]
523 ・ ロックは全てを変えた。それまでの人間の正しいあり方----それはギリシャ的古典性だったが----をロックは根本的に変えてしまったのだ。ほとんど形而上学的な深奥から人間のあり方を変えてしまった。ロックはホメロスを押しやって人類の範になったのだ。


[2008/3/16]
524 ・ 永遠回帰とは、つまり人生は一度きりで取り返しがつかないということだ。強者は必死に生きるだろう。出来るだけの充実を求めるだろう、そしてそう意欲するだろう。弱者は忸怩たる念がありながらだらだらしてしまうだろう。永遠回帰でなくてもだらだらするだろう。別に永遠回帰だからだらだらするということはない。-------------ニーチェの、永遠回帰説が弱者に及ぼす影響、についての批判。


[2008/6/22]
525 ・ 全ては偶然に支配されている。いけるところまで突き進め。賢さと強さで。奸智と勇気を携えて。


[2008/6/22]
526 ・ 色々な努力や英雄主義などの巨大な思想の遍歴から、僕は極度の強迫観念の徒に成り上がった。


[2008/6/22]
527 ・ ビジョン---僕は悪魔なのに、人類を救う力が唯一あるため、悩んだ末、人類を救う。愛に零れる。そして人類は僕に敵意を向け、僕を殺す。取り囲まれた時、僕は仕方なさと慈愛を持って人類を見つめ微笑む。もう一つの道とは、僕一人だけ生き残るということだった。


[2008/6/22]
528 ・ 時は金なり----? 金より時間の方が断然大事に決まっている。


[2008/6/22]
529 ・ 僕の風貌の特徴からか、みんな僕に説教ばかり。うざい。話しかけるな。死ね。


[2008/6/22]
530 ・ 中庸には強さが付随する。ギリシャ人は極端に走る傾向が強すぎたために中庸を高く評価した。中庸とは安楽な適当なのんびりした性格のものではない。中庸には強さが付随している。


[2008/6/29]
531 ・ ニーチェが言ったように「偉大な哲学者の後には一群の賎民が現れ、彼らが効果を挙げることによって偉大な哲学を台無しにする」ものだが、ならば効果を挙げねば良いと、現実社会、そして日常としての現実、最も生活に密着した現実、に何の影響も与えまいと、宙に浮いた下らない現代思想に走ればいいというものではない。


[2008/9/29]
532 ・ 僕はよく人がいいと言われる。頼まれると断れない性格だと言われる。だがそれは相手に好印象を持たれたい、悪い印象を持たれたくないからなのでは無く、相手に、その人に優しくしたい、幸せにしてやりたいというある衝動のようなものからなのだ。豊満な魂を持つ者の、満ち溢れる人間愛。


[2008/9/29]
533 ・ 死人のような寝顔をしていた貴方の言うように、友は皆裏切るものだった。


[2008/10/9]
534 ・ いろんな思想、いろんな考え方があるけれど、結局決めるのは自分。どんな説でも、最後には自分一人の世界の中での、自分の、誰にも反駁を許さぬところの、賭けのような判断。その信念でもって決断が為される。


[2008/10/9]
535 ・ 愛ではもちろんない。そして悪でもない。「光」は悪の上に立つものではない。全く新しいものなのだ。


[2008/11/18]
536 ・ 神、悪魔、幽霊などは存在しない。なぜならそれを認識した人間は、人類史上一人もいないからだ。


[2008/11/18]
537 ・ 自然は善悪に無関心だ。だから僕はディオニュソスとして生きる。またこの現代の危機、社会主義的危機、永遠の日常が達成された民主主義社会。この恐るべき凶暴な発端を利用する。アポロン主義、貴族主義者として。


[2008/12/1]
538 ・ 「死は体験できない。」?---彼らが言うに、生が終わってゆくことを認識できるだけで、死んだ時はもう認識できないのだから、死は体験できないのだと。頭でっかちの愚かな話だ。死は体験できる、今に死んでゆくことを認識しながら死んでゆくのだ。自己の消滅を体験しながら死んでゆくのだ。永遠に虚無の中に消え去ることの恐怖を感じながら死んでゆくのだ。死は十分に体験できる。


[2008/12/1]
539 ・ -----死後の世界はあるかないかわからない。なぜなら死んだ人はもう生の世界に帰ってこれないし、生きている人は死んでいないのだから死後のことはわからないからだ。----- 100兆円賭けよう。死後の世界など、絶対に無い。


[2008/12/4]
540 ・ 死の問題ほど重要なものは他にない。死というこの恐ろしい、とてつもない恐怖は、人生において最も深刻な問題である。それさえ克服できたら(死から逃れることができれば、またはせめて死の恐怖から逃れることができれば)人生は気楽で楽しいものとなろう。


[2008/12/31]
541 ・ キリスト教ではなく、今度は民主主義によってヨーロッパ中世のような世界的な恐るべき暗黒時代が訪れる。魔女狩り、火刑は精神科医達によって為される。天才たちは恐るべき自己貫徹をなすか、徹底的没落に沈むか、二者選一を迫られる。前者の場合、厳しい緊張の中にも高い幸福感を得ることができ、後者の場合、安楽で平和な生活の中にも良心の呵責に苛まされ、結局のところ没落することになる。15世紀、イタリアに端を発したルネサンスの時代に似ている。ダヴィンチか、気味の悪い終末の絵か。


[2009/4/1]
542 ・ 友人や仲間たちの裏切りという問題において、「前向きに生きる」というのは大きな不誠実である。そういう奴らは人間的に欠落している。しかし殆ど全ての人間はそういうものなのだ。


[2009/4/14]
543 ・ ニーチェが言うところによると、真理の中で生きるには天才を要するらしい。ディオニュソスが実体?本当は混沌?所詮真理など表皮で表面的な、嘘?ごまかし?---いや違う。これらの発言を含め、全ての混沌的な思想はただ間違いであり、原理的真理は100%正しいのだ。ドームでさえないドームで、いやドームではない、全てに開かれていて、どこまでも開かれていて、アポロンに守られた、それもディオニュソスが間違いだからこそ、間違えたものからアポロン神によって守られていた。人類は2500年前、ギリシャのアテナイにて美の頂点に達した。そんなドームに守られた強く美しい世界があった。原理的真理の美しさ。原理的真理の、絶対的正しさ。


[2009/4/14]
544 ・ 僕が放送大学で古代ギリシャ哲学を学んでいた時、ニーチェが勧めるヘラクレイトスの他に、何かある、と注意を向け好意的な興味を持ったのはパルメニデスである。彼には超ひも理論や、アポロン神の大切さ、僕の新永遠回帰説、ひかる主義に繋がるものを持っている。パルメニデスには僕のように混沌と法則の間で苦労した痕跡がある。あるからある。デカルトのそれでもない、崇高な「あるがゆえにある」という真理。パルメニデスはヘラクレイトスよりも魅力的だ。思考法など深い所に親近性を感じる。


[2009/4/14]
545 ・ いつも若い頃の事を思い出すとあの頃に戻りたいと願うけれど
    そんなに幸せじゃなかったかも 今より不幸だったのかもしれないと思うくらい。


[2009/5/4]
546 ・ ニーチェは数学という教科が非常に苦手で、理解することが全くできなかった。学校でも数学においては落第級の成績で、いつも赤点だった。だが他の成績があまりにも素晴らしいので特別に卒業させてもらい、学士の資格を取った。彼の思想の詰めの甘さ(永遠回帰などにおいての)はその数学の学力の極端な低さに起因しているのではないだろうか。彼は正確さより、効果、や美を重んじている。三島などのような気持ち悪さでない、最高度の、溺れ死ぬような、大空を飛ぶような、美と力と精神性と、高貴で品性の高い、幻惑の、戦慄が走る、魔的な文章。誘惑や悪意に満ちたあの文章に誰が抗えようか。彼自身の言うが如く人類史上最高の書物を書いた、人類史上最高の精神的天才である。僕でさえ決して勝てないであろう点は数え切れない。----ただ僕は光とでも呼ぶべきか、何か物凄いものを発見する、ある種、数万年に一人現れるかどうかの物凄い使命、運命を帯びて生まれてきたのだと思う。自分自身に時折、異常な偉大さを感じる。僕は自分自身を救い、人類も、無限の広さ、無限の時間の中の、宇宙生命体をも救う。この世界は時間も空間も無限である。そして全ての存在を(無機質も)光の中に、一種の天国のような居心地の良い場所に移し、その素晴らしさを感じさせよう。
そしてこの世界を完璧に、光の中に救う。世界は光になる。無限の大きさ、無限に続く時間として....。つまり全ては光として、永久に包まれる。至福の境地は訪れる。僕は、僕らは救われるのだ。僕ら自身も光になるのだ。

光の中へ。


[2009/5/4]
547 ・ 自分が相手の格好いいところに憧れて模倣したのに、その真似をした当の人物の前でそれを披露するような人たちがいる。中には更には模倣した相手の前で、「こういう格好いいところを見せつけられると悔しいんだよなあ、わかってるんだよーん」、なんて言う奴もいる。そしてこれはある知人のことである。彼は僕が初恋の人の写真を大事にしていて、愛の素晴らしさを語り、写真を抱きしめたりしていると何故か彼は何も言わずに、泊まりの朝、食事のことで僕の親が呼ぶ声も無視して、さーっとでていき、さーっと自転車でどこかにいってしまった。普通あり得ない凄いことを言おう。彼は僕という男のかっこいいところを見て、憧れて、強烈な劣等感を感じ、悔しくて、出て行ったのだ。そして彼はそれを一生懸命模倣し練習してくるんだ。そして彼に数週間ぶりに逢えば、彼は間違いなくその話をしてくる。「やっぱり愛がなきゃな。愛こそ全てなんだよな。愛がなければ全ては虚しいんだな」そういうことをレストランの中で大きな声で言うから、僕は恥ずかしくなり「もういいよ、人前でそんな・・」というと、彼は言う。「ああ、そうか。そういうこと聞かされると悔しくて嫌なんだよなあ。わかってるんだよーん」。(独特の「しめた」という調子に乗った笑顔で)


[2009/5/11]
548 ・ 鳩山由紀夫の生涯の夢は暗殺されることである。


[2009/5/11]
549 ・ 永遠回帰について---再び繰り返されることなどないのだから、たくさん苦労し、成長しよう。


[2009/5/11]
550 ・ セルシンを飲んだ後の不思議な暖かさ。少し眠気がして、冬でも、いつの日か経験したような幸せな家庭文化。


[2009/5/11]
551 ・ ドーナツショップにて尾崎が求めた本当の救い、光、を僕は手に入れてやる。


[2009/6/22]
552 ・ 精神病院の閉鎖病棟にて3か月を過ごした僕は、この国の本当の姿を知っている。この国は何らかの意味で、滅びる。滅びなければならないのだ。その恐慌の後、いつの間にか夢から覚めたときのように、はっと気付くと当たり前のように、まともな開かれた社会が訪れている。


[2009/6/22]
553 ・ 残忍さは意識を鮮明にする。


[2009/9/6]
554 ・ 人というものは、親しくしていた知人が急に元気に強くなり、視覚的も大きく見えるようになると、その知人を狂人とまで呼ぶようになることがある。そうすることによって劣等感を誤魔化すのだ。


[2009/10/28]
555 ・ 僕の偽りの愛の言葉を見抜けずに、セックス中、愛の成就に浸りきり、幸せを噛みしめている彼女----女の死体との遊戯。

僕は早にマインドコントロールされている。魔術師、僕の心の全ては彼に知られている。発狂、頭の皮膚が麻痺する。


[2009/12/13]
556 ・ 当たり前にニーチェに負けていて、それでいてニーチェから離れ、彼のことを無視し、まるで自分たちのしていることが間違いではなく、正しいことなのだと誤魔化し、堕落した生活を送る。アル中、ネット中毒、運動不足、肥満、アナル狂い、マゾなどに落ち込み、それでも居直るように、我は正しく、かつ偉大なり、と豪語する背筋の曲がったうろんな目つきの中年。確かにかつては偉大な人間だったのだろう。でも今は違う。


[2009/12/21]
557 ・ 私はαでありΩである。


[2010/1/16]
558 ・ 私やニーチェについて学んでいる時、本当に自分は彼らに正しく従っているのだろうか、褒められているようで一方では責められる。。そんな迷いがある青年に私は言ってやりたい、「大丈夫だ。安心しろ。」


[2010/1/16]
559 ・ 古代ギリシャ人は法則と混沌の、非常に微妙な関係によって、極めて高い文明文化を築いていた。アポロンとディオニュソスの関係、その両極端性、そして融和。これほど高貴で素晴らしい文化文明を持った民族は人類史上類を見ない。人は時にはディオニュソス信仰に入らねば狂気に陥ってしまう。しかしディオニュソスとは恐ろしいもの。避けるべき恐ろしき恐慌。アポロン神を掲げ、貴族主義に心を保ち、アポロン神と共に生きてゆくのだ。ギリシャ人の聖書であるイーリアス。それを詠いポリスを創造したホメロスという天才。ありとあまねくこと全人類にアポロン神の加護よあれ。


[2010/3/26]
560 ・ 何も変わらない。結局何も変わらない。織田信長のような天才が出現し、革命に成功したとしても僕らの生活は殆ど全く変わらないだろう。政治、社会なんてそんなものだ。


[2010/3/26]
561 ・ あの物凄い悲劇作品を理解する者は日々その悲劇を体験するだろう。


[2010/4/16]
562 ・ 多くの人は哲学についてそんなものが何の役に立つ?何になる、無用じゃないかとこぞって否定してくる。これを指して典型的な、「俗物」、と言う。
それなら例外者的な物言いや素敵な格好に憧れ、のちには考えを改めるくせに特別な人間ぶるのはやめたまえ。どうせ例外者的なものを片付ける過程なのだろう。そういうぶっ殺したくなる屑どもに何度人間なんて皆同じ、と聡しげに説教されたことか。


[2010/6/26]
563 ・ 人生は一度きりであって、瞬く間に年月は過ぎ去ってしまうのだから、以前母が言っていた様にできるだけ楽しいことを考えて過ごしていった方がいい。嫌なことばかり考えて不機嫌に過ごしていても何にもならない。そんなのは馬鹿げている。大損だ。


[2010/6/26]
564 ・ 俺は愛することよりも傷つけることの方を楽しいと思った。このことから全ての道徳が反駁される。


[2010/7/8]
565 ・ 俺は何が特別な異常な偉人を作るのかを覚える。それは気違い染みた、異常なまでの頑固さだ。


[2010/7/9]
566 ・ 一度でも英雄であったことのある者は、その後辛い毎日を過ごすことになる。「今のお前の生き方は間違えている」と四六時中責めたてられる。悪魔であったあの日々は充実していたが、今ではいつも不全感が付いて回る。新しい生き方?新しい真理?確かにそれを探すしかないが、そんなことも英雄主義からの逃げに感じてしまう。悪魔に戻るべきか。しかしそんなエネルギーはもう無い。では逃げかもしれないが逃げと思わず、それが自分の道を歩むことだと思って大人の感性に従って生きてゆくべきか。どうすればいいのだろう。もう何もかも分からない。


[2010/7/12]
567 ・ 裸の王様というのはたくさんいる。日本や他の先進国、また新興国などの殆ど全ての人間が裸の王様だ。そして皆、お互いに綺麗な服を着ているとお世辞を言い合っている。そこに本当の、美しい着物を着た本物の王様が現れると、複雑で絶妙極まる徹底的なやり方、言わば究極的なやり方でその人の根本から全てを粉々に粉砕する。皆に蔑まれ、虐待され、辱めを受け、孤独に悩み、誇りや自尊心などは粉々に粉砕されるだろう。まあこういう穿った皮肉な言い様もまた上手く片付けられてしまうのだろうが。

でももっと、普通な物語としての裸の王様というのも実際にいるものだ。ある流派の空手の師範がそうだった。皆から崇拝され、または尊敬されていたが、僕は彼が人間ではなく化け物であることを見抜いていた。矢田さんくらいの、まあ取り敢えずは立派な人なら何かそれなりには感づいていたかもしれない。あの人は彼の僕に対しての行き過ぎた無礼な発言に対して疑問を持ち、「ああ、空手はまだまだだけどひかるさんは色々と良く考えている感じで偉いなあ」、とか、化け物との約束組手においてあまりの無礼さに見ていられなかったのか、よく一礼して化け物との一対一の練習に割って入ってきて稽古をつけてくれた。


[2010/7/22]
568 ・ 憎め、憎め、大いに憎め。それは怒りとなり、巨大なエネルギーとなり、勇気と、素晴らしき陰湿な卑怯さを生む。憎しみは大事を為す。一般にネガティブと呼ばれる感情はとてもポジティブなものだ。英雄主義もダークサイドも悪魔的な強さは美しい。ルシフェルは魔王であり、同時に美しき殺害の王子だ。つまり美少年、もしくは美青年だ。エホバ(ヤハウェ)は老いており賢そうな風貌をしているがなんの面白みもない。魔界の王子、殺害の王子、魔王ルシフェルこそ、刺激的で最大の権力者だ。殺せ。大量に人を殺せ。大量殺人もまた美しいものだ。僕の夢は四肢切断した女をイカせながらギロチンで生首を刈り取り、美しい女性の生首を(性的快楽の極みの悦びの表情をした)巨大な冷凍貯蔵室に何千個もコレクションすることだ。ああ、美しい僕を食べてくれ。ああ美奈子、君の切り離した肉体は美味だ。僕は生きている君の前で切り離したその体を食べたね。おいしかったよ。そしてギロチン刑。殺せ、殺せ、殺せ。スーパーサディストの欲望がこの文章を書いていても高まってくる。みんな、美しく可愛い僕を食べて。そして女ども、僕に犯され生首を頂戴な。狂気もまた人生の楽しみ。一つの幸せな秘め事。一つの良き趣味なり。


[2010/11/17]
569 ・ 精神科医が外科的にこちらを見つめ観察する時の目つきへの恐怖と、なんだか安堵感。カウンセラーはいつも相手の心を優しく見つめている。


[2010/11/17]
570 ・ 狂った卑劣な得体の知れない海。優しさでも残忍さでもカオスでもない。本人が自称する如く人格破綻者。骨のない出来損ない。先天性精神障害。というよりもはや身体障害と呼ぶのが相応しい。異常な脳を持って産まれた奇形児。身体も内部奇形。生殖器を始め多くの器官に先天的な異常が見られる。
一切の人格を持たない病的なカメレオン人間。その変身の見事さよ。自称する様なディオニュソス等とは何の関係も無い。


[2010/11/17]
571 ・ 多くの人が自殺を考える。そして多くの人がぎりぎりのところで這いずり上がってきた。結局望みなどどこにもないのだが。ただなんとか生き続けて、そんな屈辱を味わうことさえも出来なくなった敗残者として、今日もただ生きている。尊厳など殆どありはしない。負け犬。蛆虫。

踏みにじってくれ。そこに性的快楽を感じる。だけど性欲も枯れてきた。まあ虐めてくれれば勃つかもしれない。でも誰も虐めてくれない。気持ち悪がって。いやただ関わり合いたくないのだろう。


[2010/11/17]
572 ・ 世界は流転していくけれど、別に僕が創ったわけじゃない。神はいない。


[2010/11/17]
573 ・ 宇宙の時間は無限であり、人類はその存続を保っている限り無限に新しい真理、新しい価値感、新しい美、新しい現象を認識していく。この無限の可能性の喜び!これがニーチェのいう悲劇的なるもの、ディオニュソス的快楽である。


[2010/11/17]
574 ・ 人の心は弱いもの......。好きな人が幽霊を見た話をした。――疑いたくない。素敵で、正直な心を持ったあの人を信じたい。だから怪談、幽霊のことを信じて本気で恐がり、毎夜毎夜をびくびく震えながら過ごす。あの人のことが嫌いになった。――馬鹿馬鹿しい、幽霊なんている訳がない、と勇気を持って迷信を嘲り飛ばす。

幻視の可能性もあるけど。

初音ちゃんは会えなくても家族のようだ。僕の化け物体験、信じてくれるだろうか。いや相手にされないだろうな。ちょっとしつこくしたらすぐ嫌われ、永遠の無視。でも性格いいからなあ。大好き。


[2010/11/17]
575 ・ プロメテウスは火を盗んだ。それは原理的に進歩すること。そうすると原理は破滅し(進歩すれば極点で破滅する)、カオスになる。頑張っては破滅し、頑張っては破滅する。神々の世界から火を盗むことによってゼウスの怒りを買い、岩への捕縛をされている時、鳥に食べられてはまた内蔵が生え、また食べられては生えるという神話に重なる。(わざわざ内蔵が生えるのは努力しようという原則がある) しかし岩から解縛するためにゼウスに謝罪するととんでもないことになる。火、原理を放棄することだから。謝罪した瞬間プロメテウスは死ぬ。


[2010/11/17]
576 ・ 共産主義者は人の魂のことよりも金のことばかりを考えている。マルクスからしてそうだろう。哲学者の、現実の世界創造からして「ただの解釈」と呼び、庶民の生活が楽になる社会的革命こそが一番大切な現実そのもの、とする。

―――「哲学者たちは世界をさまざまに解釈したにすぎない。大切なことは世界を変えることである。」(マルクス)


[2010/11/17]
577 ・ 跳ねるような未知の認識というものがある。しかし一歩一歩登って行くしかない。
    新しい、ひどく逸れた認識というものは存在する。


[2011/5/9]
578 ・ 僕がキリスト教徒だった頃、どんなクリスチャンに会っても仲間と感じたことは一度も無かった。無神論的に愛こそ真理だと思っていた頃は勿論、普通に神やイエスを信じていた頃もそうだった。
また礼拝の説教で理解の及ぶ類のものを聞いたことも一度も無かった。


[2011/5/9]
579 ・ 人生は悲惨だ。無茶苦茶に悲惨過ぎる。みんなも俺も悲惨極まる。凄惨だ。


[2011/5/9]
580 ・ レジ業にも面白味がある。どんなに恐ろしい奴でも無防備に、遠慮気に弱々しくなる。善良にもなる。


[2011/5/9]
581 ・ 俺は白昼夢を見続け、一生を終える。


[2011/5/9]
582 ・ 遠く先が見通せるのは物事の本質を掴んでいるからだ。あしらうように扱う現在も間違えない。根本が見えているからだ。


[2011/5/9]
583 ・ 誰も僕のことを解ってくれない。僕はあらゆる表現手段を使って自分の全てを伝えているのに、酷く孤独だ。僕は狂っているのだろうか?僕にはどうしようもない孤独がある。想像を絶する孤独だ。思慮ある者は、ローマの獣の暗号を解くがよい。


[2019/7/20]
584 ・ 男女が一対となる愛、ここから全ての道徳が生じる。